青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『海に帰る日』 ジョン・バンヴィル

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妻を病気で亡くして間もないマックスは夢を見た。夢のなかで自分は今の歳でありながら少年だった。自転車が壊れ、足を怪我し、誰もいない田舎道を歩いていた。「日が暮れかかっているのに、雪のなかをひるむことなく歩き続ける哀れなでくの坊。行く手には道路しかなく、帰っても歓迎される保証はないのに」。まさに、日暮れて途遠し。この夢は、長年連れ添った伴侶を亡くし、これからどうしたらいいのかと呆然自失する男の心象風景そのものだ。

というのも、マックスは、もともと何者でもない人間だった。彼には個性がなかった。個性の代わりに、生まれや育ちによって彼に与えられたもの――感受性や性癖や考え方や階級的な癖の寄せ集め――を彼は嫌っていた。彼の願いは何者かになることだった。彼は美術史家になった。だが、それは、結婚によって妻アンナの資産が得られたからであった。彼はアンナによって、自分自身になれたのだ。そのアンナを喪失したことで、マックスはアイデンティティ・クライシスに襲われる。

わたしたちは、もし自分自身でなかったら、だれだったのか?哲学者たちによれば、わたしたちは他人を通して定義され、他人を通して存在するのだという。バラは暗闇でも赤いのか?音を聞く耳が存在しない遠い惑星の森のなかでも、木が倒れるときには凄まじい音を立てるのか?

今のマックスは暗闇の中のバラであり、聞く耳のない森で倒れる木だった。この頼りなさは、ある年齢を経て、人生の下り坂に入った人でなければ分からないかもしれない。一生の仕事を持っていて、やるべきことが常にある人ならいいが、多くの人間はそうではない。社会から切り離され、夫婦という単位が唯一の拠り所となり、いつまでも一緒に余生を過ごすつもりでいた。その世界がある日突然崩壊してしまう。

マックスは夢に誘われるように、妻と暮らした家を売りに出し、少年の頃一家で夏休みを過ごした海沿いの町を訪れる。当時、海食崖の上に別荘が立ち、ゴルフ場を隣接したホテルの建つ町にはいろいろな人がやってきた。月単位で借りられるサマー・ハウス<シーダーの家>を借りたのは、グレース一家だった。マックスははじめ、肉感的なミセス・グレースに恋し、やがてその娘であるクロエを愛するようになる。みずみずしい少年期の性の眼ざめであった。

今はミス・ヴァヴァソーが管理する<シーダーの家>の一部屋を借りたマックスは、そこで書きかけているボナール論の原稿を前に回想に耽る。クロエとの出会い、映画館でのキス、海辺の小屋での出来事。またある時は、アナとの出会い、そして別れ、と次々に浮かび上がる過去の情景。娘クレアの言う通り、マックスは過去に生きていた。


彼女を通して、わたしは初めて他人の絶対的な他者性というものを経験した。つまり、クロエを通して、わたしは初めて客観的な他者として現れたといっても過言ではないだろう。(略)それまでは世界は一つでしかなく、わたしはその一部だったが、いまやわたしがいて、わたしでないすべてがあった。


他者性を獲得するということは、ひとくちにいえば、無垢な時代を脱したということだ。マックス少年は、自分の育つ環境を厭い、親を疎ましく思い、サマー・ハウスに長逗留するグレース家に憧れ、近づく。倦怠期にある夫婦と男女の双子、そしてまだ若い家庭教師のミス・ローズ。広場に立つ小屋を借りている自分との階級差に恥ずかしさを感じながらも、ピラミッドの上の方に上りつめたいと願うのだった。

わがままで、同じ年頃の少年たちを見下しているクロエにつきまとい、しだいにグレース家に出入り自由の位置を獲得してゆくマックス。ある日、木登りをしていたマックスは木の下に立って泣くローズとそれを慰めるミセス・グレースの姿を盗み見る。ローズはミスター・グレースに叶わぬ恋をしていたらしい。それがクロエの知るところとなり、二人の関係は以前より険悪なものとなる。そして、あの日がやってくる。

回想のなかで、少年の日の淡淡としながらもそれなりに官能的な経験を思い描きながら、ともすれば崩壊に向かおうとする自己と真摯に向き合う初老の男。こう書くと何やら格好いいが、正直なところ、いい歳をした男の正直な告白というのは読んでいて楽しいものではない。むしろ、読むほどにいやな気持ちにされる。どこがいやかといえば、自分に似ていると思わされるところだ。

美術史家といえば聞こえはいいが、要するに他人の褌で相撲をとっているわけで、自分の書くものに独創性のないことは自分がいちばんよく知っている。自分が何者でもないのは、個性の代わりに生まれや育ちによって自分に与えられた感受性や性癖その他のせい。確立した自分などなく、自分以外の何かによって再生産された自分があるだけだ、という考えは、ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオンⅠ』を読んで、文化資本という存在に気づいて以来とり憑いて離れない。

謎めいた過去の出来事に引きずられるように最後まで読んでくると、そこには思いがけないどんでん返しが待っている。謎は最後まで明らかにされることはないが、一抹の救いの残る結末は悪くない。自分を洞窟の聖ヒエロニムスに擬するマックスには微苦笑を誘われる。「ああ、そうさ、人生はじつにさまざまな可能性を孕んでいるのだ」から。

『分解する』 リディア・デイヴィス

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リディア・デイヴィスの真骨頂は、真実と嘘の兼ね合いの見事さ、の一点に尽きるといっても過言ではない。真実に拘泥し、自分の身の回りに起きたあれこれを貧乏たらしく書き記した身辺雑記に終始してそれでよしとしたのが日本の私小説。しかし、そんなもの誰が読みたかろうか。そこにはアート、技芸に対するリスペクトが微塵も感じられない。

一方で嘘も百篇つけば真実になるを地でいったものもある。ところが、これも同じで、あまりに嘘くさいものは、いくら面白おかしく飾られていても、祭りの見世物よろしくどこもかも嘘で塗り固められていては、祭りの終わった後の寒々しさに耐えられない。

人は、嘘の中に真実を求めるものなのだ。嘘と知っていればこそ、安心して生の真実を受けとめることができる。これは本当のこと、と打ち明けられて、真実を語られたら身も蓋もない。嘘だからね、と前置きされてこそ真実を聴く覚悟ができるのだ。

ある人にとっては、人である前に女や男であって、女と男が真実を語るとなれば別れ話をおいてない。別れ話を切り出されて、私のどこが悪かったの、と思わない女はいない。あなたのそういうところが云々と語る男もきりがない。身に覚えがあるからこそ、人は劇であれ小説であれ、作り物の別れ話にうつつをぬかす。

『分解する』は、作家が自分をまな板に載せて、男と暮らすことを選んだ自分の根底までを手探りしてみせる、その一方でものを書くことを生業とする者が、それをどう書けば生業たらしめることができるのかを問うた実験のようなものでもある。こう書けばわかるか、こういう形で書いても面白い。ならばいっそこういってみるか、という文体練習のようなものが、そのまま一切の飾りや誤魔化しを欠いて投げ出されてここにある。

かといって、練習にありがちな甘えやできそこないの跡はない。ためらいや、しでかしたミスはすべて、徹底的に掃除されている。そぎ落とし、削り取り、これでもかというところまで噓くささは拭いとられている。読む者はそこに自分のものでしかない感情や心理が裸で震えているのを発見する。徹底した抽象は普遍的な具象に通底するものなのだ。

一方で、赤の他人が書いたものをしれっと使って、まるで自分の日記か伝記のようにそれらしく書いてみせるのもこの作家のお家芸だ。自分と他人との間に垣根がない。人間など所詮みな同じ。自分の考えることは他人も考えるし、自分の感じる悲しみや辛さは他人も感じているはず。だからこそ、自分の感情や思考を掘り下げているのだ。

であれば、他者の書いた手紙や日記をもとにして何かを書いても、それは嘘でも何でもない。他者は自分であり、自分こそ最も卑近な他者なのだから。何をおいても自分が興味の対象というタイプの人間にとっては、リディア・デイヴィスを読むことは自分を知る最高の手がかりなのかもしれない。

 

『ほとんど記憶のない女』 リディア・デイヴィス

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最初に読んだのは、今は別の男と暮らす女が過去の失敗に終わった恋愛を回想するという小説を執筆中の作家が交互に主人公を務める、『話の終わり』だった。

abraxas.hatenablog.com

リディア・デイヴィスは、プルースト失われた時を求めて』第一巻『スワン家の方へ』の英訳で受賞経験を持つ翻訳家でもある。フーコーブランショサルトルなどを訳しているというから、その実力のほどが知れる。全部で五十一篇を収めた短篇集『ほとんど記憶のない女』の中には、「フーコーとエンピツ」と題した短篇もある。

腰をおろしてエンピツを片手にフーコーを読む。水の入ったグラスが倒れ、待合室の床が濡れる。フーコーとエンピツを置き、床を拭いてグラスにふたたび水を注ぐ。エンピツ片手にフーコーを読む。フーコーを置き、メモ帳に書きとめる。エンピツ片手にフーコーの続きを読む。

 と、まあこんな調子の文章だ。これは何だろう、と思う。小説か?これは。行分けしていない詩か?いや、ちゃんとストーリーは進行している。待合室という一語がカギになる。この後、カウンセラーと、「緊迫した関係がしばしば激しい口論に発展する状況について話し合う」。この人物は、地下鉄に乗り、フーコーを読みながら、乗客たちについてメモを取り、ひとしきり口論について考えたあと、フランス語で読むフーコーの分からなさについて考える。

「意識の流れ」の手法に近いが、ずっと言葉をそぎ落とした記法で、フーコーの翻訳に携わる人物が、一緒に旅をした相手との関係についてカウンセリングを受け、地下鉄で帰るまでを描く。カウンセリングを受けるくらいなのだから、人間関係に問題を抱えているのだろうに、思考はいつしか口論一般という抽象論に走り、思いつきをメモする。それを終えるとメモ帳をしまい、フーコーの文章のわかりにくさについて考え、メモを取る。

主語すらない、着ている服とか、髪型とか、普通の小説ならまず触れる細部は全部すっ飛ばした文章なのに、おそらくは女性と思われる人物のキャラクターがおそろしく鮮明に立ち上がってくる。きわめて知的な人物で、自分の問題さえ客観的に考えることができる。そればかりではない。スイッチを切り替えるような思考を通じて、口論と旅とフーコーの文章という無関係に思われる事象の間にある連関が見えてくる。

口論はそれ自体が一つの旅に似てくる。口論をする人々は、センテンスから次のセンテンス、さらに次のセンテンスへと運ばれていき、しまいには最初の場所から遠く離れたところにいて、移動と、相手と過ごした長い時間のために疲れはてる。(略)フランス語で読むフ-コーはわかりにくい。短いセンテンスより長いセンテンスのほうが分かりにくい。長いセンテンスのいくつかは、部分部分はわかっても、あまりに長いために、最後にたどり着く前に最初のほうを忘れてしまう。最初に戻り、最初を理解して読み進み、最後まで来るとまた最初のほうを忘れている。

困難な状況下にある人間の途切れがちな思考の前に立ちはだかり、一つの名詞が目くるめく変化を見せつつ延々と続くフーコーのフランス語。フーコーの文章については、その流麗さとともに難解さが話題に上るのが常だが、読者がそれを知っていることを前提にしないと、主人公の置かれた状況は伝えられない。英文学者で、フランス文学の翻訳をしている作家でなくては書けない種類の短篇である。

もちろん、五十一篇すべてがこんなスタイルではない。もっと短いものはわずか数行のものもある。長いものの中には、「サン・マルタン」のように、若い二人が住み込みの管理人としてフランスの田舎の屋敷に暮らした一年間をほぼ事実のままに書き連ねた、至極まっとうな、日本でいえば私小説風の一篇もある。どうでもいいことながら、ここで何度も「私たち」と記される二人は、作者リディア・デイヴィスと、当時つきあっていた、作家のポール・オースターである。

どうして分かるかといえば、食べるものがなくなった二人が、キッチンで見つけた玉ねぎでオニオンパイを作るが、一つを食べていて美味しさに夢中になり、残りのあることを忘れ、黒焦げにしてしまう切ない場面や、世話をしていた二匹のラブラドル・レトリーバーの一匹がいなくなったことなど、すべてオースターの『トゥルー・ストーリーズ』ですでに読んでいたからだ。題名通り、すべてが実話とオースター自身が書いている。

偶然手に入れた19世紀イギリス貴族の書簡集をもとに、北欧、東欧、ロシア等をめぐる旅の記録という体裁で書かれた「ロイストン卿の旅」は紀行文。北方の地の自然や交通手段等、当時の旅の様子がよく分かると同時に、英国貴族がロシアやその他の国の人々をどう見ていたかが一目で分かる。書簡をもとにした紀行文なのに、集中最も小説らしさを感じさせるのが、おかしい。リディア・デイヴィスが「私」の突出を抑え、黒子に甘んじているからだろう。

主語も動詞もなしに男女の諍いを書くという挑戦的な短篇「ピクニック」は、たったこれだけ。

道路脇の怒りの爆発、路上の会話の拒否、松林の無言、古い鉄橋を渡りながらの無言、水の中の歩み寄りの努力、平らな岩の上の和解の拒絶、急な土手の上の怒声、草むらの中のすすり泣き。

 たった二行の中に、ピクニックに出かけた男女のうまくいかなかった一日が結晶している。好きな人には、たまらないのがリディア・デイヴィスという作家だ。新刊『分解する』は、邦訳としては新しいが、作家としては出発点にあたる作品。岸本佐知子が偶然、『ほとんど記憶のない女』を手にしなければ、ここまで邦訳が続いたかどうかは疑わしい。それほど読者を選ぶ作家だ。お気に召したらぜひ手にしてみてほしい。

『風狂 虎の巻』 由良君美

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ちくま文庫から『みみずく偏書記』、『みみずく古本市』、平凡社ライブラリーから『椿説泰西浪漫派文学談義』と、ここ何年かの間に由良君美の復刊が相次いでいるのには何かわけでもあるのだろうか。ここへ来て、青土社が『風狂 虎の巻』を新装版で出すに至っては、ますます面妖である。紹介レビューの一つを読むと一言。「四方田犬彦の先生の本」とあった。まさかとは思うが、映画評論家として知られる四方田犬彦が書いた『先生とわたし』で由良君美を知る人が増えたというのか。それでは、ちょっと由良が浮かばれない。

というのも、あれは四方田の大学時代の師である由良君美の評伝の一面を持つ本で、師の博学多才ぶりを称えながら、その一方で師の弟子に対する嫉妬、飲酒癖、学内での孤立といった否定的側面も描いている。読みようによっては、弟子が師の自分への嫉妬を赦し和解した話のようにも読める。しかし、由良はすでに亡くなっており、自分について書かれたことに反論が許されない。和解といっても、墓石にコップ酒を手向けるという一方的なものだ。

当の由良は、かつて<評伝>というジャンルについてこう書いている。

資料をふんだんに使って人物を浮き彫りにする<伝記>の分野は、イギリス人のお家芸で、イギリスぐらい堂にいった伝記に富む国は珍しい。そのイギリスにも、日本のような意味での<評伝>というジャンルはない。<伝記>の事実尊重主義と<批評>の分析判断主義とが、別枠になっているためであろう。これらを混淆し、何となく事実に沿った伝記のような体裁をとりながら、実は筆者の好悪をコッソリ織り込むやり方が<評伝>。(中略)しかし、本格的伝記を書くだけの事実追求の執念もなく、批評といえるだけの分析能力も価値判断力もなく、手頃な規模と手間でお茶を濁すのに、<評伝>というジャンルは実によい隠れ蓑を提供してきた。(『みみずく偏書記』)

<中略>部分を間に挿む二つの文をよく読んでみてほしい。まさか自分の死後、かつての弟子によって自分を誹謗する<評伝>まがいの本が書かれると予想していたわけでもないだろうに、師は安易に<評伝>のようなジャンルに頼るべきでないことを、後から来る者に厳しく教えているではないか。たしかに、四方田の本は筆者の好悪を「コッソリ」織り込んではいない。自分の類推や想像、噂話、といったものに頼って、筆者の好悪をハッキリ書いている。

上手いのは、<評伝>とはっきり銘打つのでなく、ジョージ・スタイナーや山折哲雄の論考を引きながら、自分と由良の子弟関係を考察するという手法を用いていることだ。先ほどの引用文中省略したところには次の文章が入っていた。

二つの分野を峻別するのも、混淆するのも、それぞれに得失はある。秀れた見識を持つ筆者の手になる<評伝>は、筆者の個性の冴えが、対象の個性を描き上げ、いきいきした読みものになる。個性による個性の証明であり、出会いであり、読者までその出会いに感動し満足させられる。こういう秀れたものの場合は良い。

実際のところ、評者も『先生とわたし』を読んで、感動した一人である。弟子が優れた師と出会い、傾倒し、師も弟子を可愛がるところなど、感動的な師弟関係で、むしろこちらがそれに嫉妬したくらいだ。しかし、よくよく考えてみれば、疎遠になってからのことについては、すべては筆者の側の用意したエピソードとそれをもとに組み立てた、「師の脆さ」、「嫉妬」という主題に基づく叙述になっている。

由良の側の話が聞ければ問題はないのだが、流石に、墓石にマイクは向けられない。そこで、由良が残した『≪みみずく雑纂≫シリーズ』の出番となる。「みみずく」とは、由良の「木兎斎」という斎号からきている。専門はコールリッジら英国浪漫派文学だが、領域を横断し、あらゆる分野で博識をもって知られる氏のことだ。書物について、美術について、怪奇・幻想文学について、いろんな雑誌その他に求められて書いた蘊蓄満載の文章はまさに「知の宝庫」。

風狂 虎の巻』は、その第二弾として発表されたもの。章立ては五つ。「日本的幻想美の水脈」は、「梁塵秘抄」についての一文を除き、曽我蕭白を中心に「日本のマニエリスム」について述べる美術論。若冲ブームで美術館がにぎわっているが、由良君美の一押しは、表紙にも使われている蕭白。「絵を求むるなら我の所へ、図面を求むるなら応挙の所へ」という蕭白の、円山四条派という正統派に対する対抗心が、由良の気質に響いたのであろう。

「幻想の核」という題でまとめたのは、メルヘンやおとぎ話に始まって、空を飛ぶ「翼人」について、日本のオカルティズム?について、果ては夢野久作の『ドグラ・マグラ』に出てくる「九相図」、上田秋成雨月物語』の「青頭巾」、ダニエル・シュミットの映画『ラ・パロマ』を貫くネクロファギア(屍肉嗜食)のテーマについて、と幻想文学の核となるものについて幅広く論じている。

風狂の文学」に至って、やっと「風狂」が登場する。夢野久作坂口安吾大泉黒石、と「風狂」を名乗るに相応しい作家を並べた最後に、由良が師と仰ぐ平井呈一が満を持して登場する。佐藤春夫門下の平井呈一は、すぐれた文章家、翻訳家として知られるが、荷風の代筆者をしていたとき筆禍を起こし、逼塞していた時代がある。

その後、その力を知る人たちにより復活の場を与えられ、評者偏愛の『ディレムマその他アーネスト・ダウスン短篇全集』や、擬古文を駆使したホーレス・ウォルポール作『おとらんと城綺譚』の名訳を世に送ることになる。平井について語る二つの文章が、由良君美が師と弟子というものをどうとらえていたかを知る手がかりになるかも知れない。

「現代俳句における風狂の思想」は、中村草田男論。「贋作の風景」は、本物と偽物についての味わい深いエッセイ。最後の「書誌学も極まるところ一つの犯罪」は、ある書誌学者による悪質極まりない贋作創りの実話。この手口ばかりは、そうそう誰にでも使えるものではない。驚かされた。

あらゆるジャンルに分け入り自在に語る、その内容の深さ、ヴォリュームは生なかではない。しかも、他人の書いたものに頼ることなく、自分の見識を頼りに書いているから、文章に勢いがあり、熱がこもっている。好きなことについて語るのが楽しくてしかたがない、という悦びがどの文章からも伝わってくる。独学の作家や体制に抗う画家を称揚してやまない、こういう人が、はたして大学格差に拘泥したり、弟子の端くれに嫉妬したりするものだろうか。

死人に口はない。ただ、書いた文章はいつまでも残って多くのことを語る。以て瞑すべし。

『誰もいないホテルで』 ペーター・シュタム

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「凡庸さの連続が豊饒な生の厚みに変わるその一瞬を、シュタムは逃さない」という堀江敏幸の評に引かれて手にとった。ペーター・シュタムはスイス生まれの作家で、十篇のうち一篇を除いて、故郷である、ドイツ国境近くのボーデン湖を望む丘陵地帯を舞台としている。そこに住む人やそこを訪れた人が出会う些細な出来事が主たるモチーフ。静かな湖面に小石が放り込まれた一瞬の動揺と、それが呼び起こした波紋を眺めているような印象の残る短篇集。

誰にも邪魔されないところで論文を書き上げたいと思った「ぼく」は、同僚の教えてくれた湯治場に電話で予約を入れた。バスは夏しか運行しないので、徒歩でようやくたどり着いたホテルには電話に出たアナという女性しかいなかった。水も電気もないことに嫌味を言うと「あなたはそれ以上のものを得ている」と、なじられる。缶詰のラビオリをワインで流し込むのが唯一の食事だというのに。

巻頭に置かれる一篇は、その短篇集を代表する。短篇の取柄は短さにある。可否を判断するのに時間がかからない。本屋でぱらぱらっと立ち読みをして買うかどうかを決める時、まず目に入るのが最初の一篇。その意味で、表題作「誰もいないホテルで」は合格。奇妙なホテル管理人の言動には主人公でなくとも興味を覚え、続きが読みたくなる。買って帰ろう、ということになるからだ。

客を泊めておきながら、ベッドメイクもなし。原稿を書こうにも電気が来てないので、バッテリーが切れたらコンピュータも使えない。それでも「ぼく」が、別のホテルに変わろうとしないのはアナが気になるからだ。食事の時以外は姿を見せず、相手との間に距離を置く。話だって、相手の気に障るような言い方しかしない。たぶんアナにとって「ぼく」は邪魔者なのだ。この自分を愛そうとしない者に寄せる「ぼく」の愛したいという感情は、他の作品にも共通する主題だ。

「自然の成りゆき」は、倦怠期にある夫婦がある事件をきっかけに危機を脱する話。休暇で借りた貸別荘が気に入らない妻と何でもそういうものだと甘受してしまう夫。夫は妻の機嫌を取り結ぼうと努力するが報われない。ニクラウスは思う。「アリスは自分の人生にも違った期待をしていたんじゃないかな」と。そんな夫婦の隣に子ども連れの夫婦がやって来る。

ニクラウスは寝椅子に寝そべる隣家の妻のビキニが気になるし、アリスは子どもの喧嘩する声に悩まされる。子どものいない夫婦が感じる子ども連れの一家に対する違和感はやがてある事件に出遭うことで解消される。危機的な事態から脱すると性欲が高まるという。「自然の成りゆき」とは皮肉な題をつけたものだが、確かに言いえて妙だ。

三年間というもの、夜の時間を森で過ごした少女が、やがて妻となり、母となる。誰も理解できないその心理を自らの声で語ったのが「森にて」。愛されたい相手には気づかれたいが、近づいて来れば逃げてしまう自分。愛してくれる相手には、近づくこともできるし、結婚や妊娠さえできる。けれど、心はいつも森で暮らしていたときに戻ろうとする。

周囲の人は、喧嘩の絶えない夫婦による育児放棄が原因だと説明したがるが、アーニャ自身そうは思わない。ただ森の中で眠ることがいちばん心にも体にも適っていた。子どもを持つ身になっても、一人になると遠くを見つめてぼんやりとしている自分がいる。ごくごく当たり前の生活に違和を感じる人がいてもいい。ただ、ここは私のいる場所ではない、という本人の感情は誰にもどうすることもできない。センシティヴな意識が先鋭に描かれた一篇。

聖餅をパンに、ワインをブドウジュースに、礼拝式の伴奏をオルガンでなく妻の弾くギターに変えたことが信徒に受け入れられず、孤立していた新任司祭が出会う奇跡を描いた「主の食卓」。有機野菜を栽培する農家の若者の、隣家の草地で開催されるロック・フェスでの女の子との出会いを、若者に寄り添いあたたかく見つめた「眠り聖人の祝日」。どちらも、いつまでも続く静かな余韻に浸っていたいと思わせる佳品。

他に、念願のカナダ移住を目前にして妻を亡くした男の悲嘆を描く「氷の月」。コンサート・ピアニストを目指すピアノ教師の挫折を描いた「最後のロマン派」。妻の入院に呆然とする夫の困惑を描いた「スーツケース」。二人で暮らし始めたばかりの若い女性の揺れ動く心理を描いた「スウィート・ドリームズ」。海辺を散歩する男のある日ある時の一瞬をスケッチして見せる小品「コニー・アイランド」を所収。短篇小説好きなら、試してみる価値のある一冊。

『聖母の贈り物』 ウィリアム・トレヴァー

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短篇小説の名手ウィリアム・トレヴァーの作品を一冊の短篇集として日本に紹介した初めての試みが、2007年刊のこの『聖母の贈り物』ではなかったか。知らないということは恐ろしいもので、初めて読んだとき、何だか嫌な人間ばかり出てくる小説だな、と感じたのを覚えている。おそらく巻頭に置かれた「トリッジ」の印象が強かったのだろう。

若島正が『乱視読者の英米短篇講義』のなかで、「学校時代に、ポリッジ(つまり粥のこと)とあだ名をつけられ、同級生の笑い者になっていた男が、後にささやかな同窓会の席に突然現れて、過去の同性愛の習慣を家族たちの前で暴露するという筋書きの作品」と評しているのがそれだ。「人間の弱さという主題を引き出す物語装置として機能しているのが、「陰謀」及び「復讐」といった筋運び」と若島の言う通り、偽善で固められた共同体が一気に瓦解してゆく様は慄然とする。

これが日本のサスペンス劇場なら、過去のいじめに対する復讐は殺人という短絡的な手段をとるところだが、トレヴァーはそんな手は使わない。「ドライな微笑みとタップダンサーの身のこなしで、過去のイメージを見事に裏切りながら、誰よりも過去に忠誠を尽くしたやつがそこにいた。中年になった今、そいつは勝ち誇っているように見えた」。この「誰よりも過去に忠誠を尽くした」がどういう意味かは読んだ者にしか分からない。初読時には迂闊なことに読み飛ばしていた。例えるなら、自分自身を復讐の道具に使うという高等手段。これを書くのに読み直してうなった。

マティルダイングランド」三部作は、両大戦間のイングランド、チャラコム屋敷を舞台に、一人の少女が大人になるまでを描く。若島は「トレヴァーは、あらゆる登場人物に対して、分け隔てなく、ほとんど等距離の位置を保って書くのだ。(略)一瞬ある人物の心理に分け入ったかと思うと、すうっと出ていき、そしてしばらくすると今度は別の人物の心理にこっそり入り込む。その輪舞を見るような動きが絶妙」と評しているが、それはこの「マティルダイングランド」にも当てはまる。

チャラコム屋敷の当主ミセス・アッシュバートンは八十一歳。マティルダの住む家と農場はかつては屋敷の直属農場だったが、第一次世界大戦後、経営が怪しくなり、農場は売りに出され父が購入した。マティルダは、何故か老婦人に気に入られ、テニス・コートの整備を頼まれる。夫人は往時のようにテニス・パーティーを開き近隣の人々を招き歓待した後没する。幸福感に満ちた第一部、これが序にあたる。

夫人亡き後、空き家となったサマーハウスは、恋人たちの逢引きの場所となる。マティルダは、そこで戦争で夫を亡くした母が後に継父となる男といるのを見てしまう。男には従軍中の妻がいた。姉のベティーは母に翻意を促すが、母は男を家に入れる。これが第二部。転調を示す破にあたる。第三部は1951年。グレガリーという家族が、チャラコム屋敷を買い取ることから話は始まる。

チャラコム屋敷に魅入られたようにマティルダは、愛してもいないグレガリー家の息子ラルフィーと結婚する。まさに「急」展開。この物語は一人屋敷に残るマティルダの回想録であることが明らかになる。それまで、マティルダに寄り添っていた視点がここで、ラルフィーの視点と重なり、夫の側から見た妻の異常さが明らかになる。喧嘩の後、ラルフィーは家を出てしまう。この視点の転換による物語の読み替えという手法はトレヴァーの独壇場。読者は唖然としながら事態を見つめるしかない。

小さい頃に刷り込まれた価値観が少女の心を支配する。まるで老婦人が乗り移ったかのようにふるまうマティルダの姿が異様で、読者はマティルダを離れた視点で主人公を見るように仕向けられる。すると、それまでの事態の推移がまるで別様に見えてくるから不思議だ。この技法は、禁断の技ではないのか。人間関係の深淵を覗くようで、ただ畏れるしかない。

辺鄙な丘の上の耕作地を受け継ぐ独り者の嫁探しを描く「丘を耕す独り身の男たち」もまた、いかにもトレヴァーらしい、寡黙で運命に従容と従う男の姿を描いて神話的な深まりを見せる。他に、独居老人の台所の壁を塗り替えるプロジェクトに巻き込まれた老婆の困惑を描く不条理劇にも似た「こわれた家庭」。不倫カップルが、ホテルのバスルームを使って密会を重ねるバックにプレスリーやビートルズのヒット曲が流れる「イエスタデイの恋人たち」。夭折した娘に恋した男のちょっと変わった恋愛模様を描く「ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳」他四編を含む。

『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』

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今年2016年は、イーヴリン・ウォー没後50年にあたる。英国でも四十巻をこえる全集が出版され始めたと解説にあるが、日本でもここのところ、各社から出版が相次いでいる。日本ではさほど知られていないが、二十世紀イギリス文学を代表する一人である。吉田健一訳『ブライヅヘッドふたたび』を読んで以来、手に入る邦訳作品は読んできたが、ブラック・ユーモアというのだろうか、毒のある笑いを効かせた作品群には独特の味がある。批評家のセシル・モーリス・バウラは、ウォーの短篇について次のように述べている。

「短篇小説は、ウォ-氏の長篇小説同様、彼自身の苦い経験から生まれている。それらは彼が考え出した、あの特殊なコメディーに属している。そこでは、失敗、挫折、罪の意識、被害妄想、悲しみ、死が滑稽なものになる。彼の書くものに笑わずにいるのは不可能である。また同様に、それらはすべて極度に痛ましく、悲劇的だと感じないのも不可能である」

イーヴリン・ウォーの短篇について論じるならば、この言葉に尽きる。たしかに、どの短篇も笑えるものばかりなのだが、笑っているうちに、なんだか落ち着かなくなってくるのだ。ほんとうに、このまま笑っていていいのか。笑われているのは、ひょっとしたら読者の方ではないのか。作家は自分の書いた本を読んで笑っている読者を、一段上の位置にいて笑っているのではないだろうか、と。

そこに登場する人々はひどく滑稽でいながら、同時に、とても悲しい姿をさらしている。不幸な人を笑うのはまともな者のすることではない。批評家のことばにあるように、多くの作品の素材となっているのは、作家自身の苦い経験である。普通なら、隠しておきたい姿をあえてさらすのは、強い自意識と自分を突き放して見ることのできる批評的精神のなせる業であろう。一方、自分を負の局面に追い込んだ世の中や人に対する悪意や妬み、といったルサンチマンの解放を意図してもいよう。

全部で十五篇。どれも甲乙つけがたい逸品ぞろいだが、作家の経験との関連性がはっきりしているもの、後の長篇に発展したものなどに限って簡単に紹介しておこう。

17、18世紀の英国では良家の子弟が古典教育の仕上げ(今でいう卒業旅行)に長期間イタリアなどの外国に旅行するグランド・ツァーという習わしがあった。大学を中退したヴォーンはある公爵の孫のチューターになって外国に行く話に渡りに船と飛びつくが、うまい話には裏があり、公爵いわく孫は狂人とのこと。儘よとばかりに契約を交わし、一行はロンドンで長旅の支度を整えることに。何日かつきあううちに意気投合した二人だったが、外国旅行はお流れとなる。

一つ目国の話というのがある。一つ目ばかりが住む国にあっては目が二つある人間は化け物扱いを受ける、というあの話だ。「良家の人々」もその伝で行く。酒浸りや乱脈な暮らしぶりによるオックスフォード中退、起死回生を期したイタリアでの仕事の破談もウォー自身の経験による。自殺を試みるほどショックだったらしいが、後に作品のネタにすることで元を取っている。

紅海のホテルで船が出るのを待つ「わたし」は、イギリス人のミシン委託販売員と知り合い、彼の身の上話を聞く。階級差別的視点や目上の者に対する敵対意識を持つ両親に育てられたせいで、その反対の立場をとるようになった男は、相棒に裏切られて事業は破産。妻は他の男と去り、道楽息子には脛をかじられているように「わたし」には見える。だが、不快や不和とは無縁に生きてきた男は、自分をそうは見ていない。究極的なオプティミストが他人にはどう見えているか、という皮肉。世界を旅したウォーらしい、船旅での出会いに材を得た小品「お人好し」。

「アザニア島事件」は長篇『黒いいたずら』と舞台や人物を共有している。いろいろ事件が続出する長篇とは違って、一つの出来事にしぼってひねりの効いた短篇に仕上げている。アフリカ東海岸沖にあるアザニア島では毎日同じ顔ぶればかりで変化に乏しかった。そこに新顔が登場する。石油商人ブルックスの娘プルーネラは気立てのいい美人で、皆が夢中になる。

その娘が山賊に誘拐されるという事件が起きる。本国から記者がやってきたり、莫大な身代金を調達したりと大騒動だったが、交渉は成立。娘は解放され無事に本国に帰る。やがてプルーネラの結婚が報じられる。その相手というのが、なんと島にいた本国からの送金に頼る影の薄い男だった。ストーリーで読まされ、後から巧みなプロットに魅せられる。

「勝った者がみな貰う」も、居たたまれない思いにさせられる一篇。二つ歳の違うジャーヴェイズとトマスはよく似た兄弟だったが、兄は良家の跡継ぎとして寵愛を受け、弟は二男であるというだけでプレゼントから教育機関に至るまでとことん差別を受けて育つ。当時は長子相続制。二男であるということは、長子に何かあるまでいないも同じ。自分の仕事の名誉は横取りされ、果ては結婚相手まで、母親の策謀で兄の物となる。

これもウォーの実体験がもとになっている。ウォーの父は兄を贔屓して、ウォーが欲しいといった自転車を兄の方にプレゼントし、ウォーには文房具という仕打ち。当時の恨み辛みをフィクションという言い訳のもとに鬱憤晴らしをしたのがこの作品だ。大人気ないといえるかも知れないが、まあ、一度読んでご覧なさい。「事実は小説より奇なり」というが、弟に対する母や兄の扱いたるや目に余るものがある。淡々と叙しているだけにかえって哀れさがつのる。

カントリー・ライフを好むイギリス人気質を徹底的に揶揄った「イギリス人の家」。誰もが良しとする善意というものの持つ危うさを皮肉った「ラウデイ氏のちょっとした遠出」。どれもこれもイーヴリン・ウォーでなければこうは書けなかったであろうという傑作短篇集の名に恥じない話が用意されている。これをきっかけにウォーの長篇小説を読んでくれる読者が増えればうれしい