青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『白い果実』ジェフリー・フォード

バベルの塔をモチーフにした、カバー装画がいい。街ひとつをそっくり呑み込んだ建築物という絵柄が、この三部作に共通するであろう主題を象徴している。ファンタジーなのだが、ディストピア小説めいた趣きもあり、寓意を多用した思弁的小説の装いも凝らして…

『記憶の書』ジェフリー・フォード

表題に惹かれて手に取ったら表紙の絵がまた魅力的だった。それで読みはじめたのだが、冒頭に何の説明もなく書きつけられた「理想形態都市(ウェルヴィルトシティ)」という言葉につまづいた。どうやら、かつてあった都市で、今は廃墟と化しているらしいのだ…

『イングランド・イングランド』ジュリアン・バーンズ

大金持ちが島を買って、金にあかせて島を好き勝手に作り変えてしまうという話が主題の一つになっている。ポオの『アルンハイムの地所』や『ランダーの別荘』に想を得たと思われる江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』を思い出させる趣向である。しかし、中身はま…

『街への鍵』ルース・レンデル

便利になったものだ。机上のモニターにグーグル・マップでリージェンツ・パーク界隈を開いておいて、作中に現れる場所を打ち込んでいくと、人物たちの移動ルートが手に取るように分かる。特に主人公が住んでいるパーク・ヴィレッジ・ウェストなどの高級住宅…

『神秘大通り』上・下 ジョン・アーヴィング

<上下巻併せての評です> 誰にでも人生の転機となった日というものがある。フワン・ディエゴにとって、それは十四歳のとき、父親代わりのリベラが運転していたトラックに過って足を轢かれた日だ。後輪に挟まっていた鶏の羽をとろうとしたところへ、サイドブ…

『夜に生きる』デニス・ルヘイン

メキシコ湾に浮かぶタグ・ボートの上。セメントの桶に両足を浸けた男が、こう回想する。「いいことであれ悪いことであれ、自分の人生で起きた大事なことはほぼすべて、エマ・グールドと偶然出会った朝から動きはじめたのだ」と。シェルシェ・ラ・ファム(女…

『木に登る王』スティーヴン・ミルハウザー

いつも同工異曲。似たような素材を相も変らぬ調理法で俎上に載せているのだ。飽きられても仕方がない。それなのに、新作が出るとついつい手に取ってしまう。それがまた期待を裏切らない出来映えになっているところが驚異だった。ところが、ここのところミル…

『オリーヴ・キタリッジの生活』エリザベス・ストラウト

作家デビューが遅く、作品数が限られている。これは第三作目の短篇集だが、すでに自分の世界というものを持っていることが分かる。そして、その世界には確固としたリアリティがある。合衆国最北東端メイン州にある海辺の小さな町クロズビーが主な舞台。小さ…

『騎士団長殺し』村上春樹

主人公は三十六歳の画家。今は復縁しているが、五年前に突然妻から離婚を切り出されたことがある。あなたとはもう暮らせない、と言われたのだ。家を出るという妻に、自分の方が出ていくと告げ、愛車のプジョー205に当座の荷物だけを積みこむと、そのまま…

『私の名前はルーシー・バートン』エリザベス・ストラウト

くせになりそうな作家だと思う。自室に独りでいる自分の傍らに来て、低い声でぼつぼつと語りかけられているような、よほど親密な仲なら構わないが、そうでもない場合にはちょっと距離を置いた方がいいのではないか、と思わせるような、内心に秘かに隠されて…

『運命の日』上・下 デニス・ルヘイン

(上下巻併せての評)1910年代末のアメリカは揺れていた。1917年に起きたロシア革命を受けて、東海岸では社会主義者、共産主義者、アナーキストたちが盛んに活動し、テロ活動も頻繁に起きていた。同じころ、第一次世界大戦の帰還兵が持ち込んだスペ…

『あなたはひとりぼっちじゃない』アダム・ヘイズリット

原題は<You Are Not a Stranger Here>。「異邦人」や「よそ者」を意味するストレンジャーよりも、「ここで」を意味する<here>が気になる。その「ここ」とはどこだろう。それは、この短篇集の中なのではないだろうか。ここには、現代アメリカやイギリスだ…

『ときどき旅に出るカフェ』近藤史恵

カフェ・ルーズは毎月一日から八日が休み。営業は九日から月末まで。店主はその間旅に出る。そして買ってきたものや見つけたおいしいものをカフェで出す。オーストリアの炭酸飲料だとかハンガリーのロシア風チーズケーキとかだ。もちろん毎月海外という訳で…

『ザ・ドロップ』デニス・ルヘイン

はじまりは犬だった。映画『ティファニーで朝食を』のように、ごみ箱から助け出されるのが猫だったらもっとよかったのにと思ったけど、頭のイカレた男に殴られても死ななかったのは、ピットブルだったからで、猫だったら死んでいただろう。そう考えると、犬…

『中動態の世界』國分功一郎

この本は、ハイデッガーやアレントはもとより、デリダにラカン、フーコーにドゥルーズ、と有名どころを次々と繰り出しては、能動と受動という二つの対立以前に在った「中動態」という態の存在をあぶりだすことを目的として書かれている。聞きなれない名前だ…

『五月の雪』クセニヤ・メルニク

作者の生まれたマガダンという町。ロシア北東部といっても、広大なロシア連邦のことだ。どこだろうと思って地図を開くと、意外に日本に近い。オホーツク海に面した港湾都市。カムチャッカやアラスカという地名がよく出てくるはずだ。マガダンにはソ連時代に…

『人みな眠りて』カート・ヴォネガット

2014年に出た『はい、チーズ』の訳者あとがきに、もう一冊未発表作品集があると紹介されていて、首を長くして待っていたのがやっと出た。カート・ヴォネガットの短篇集である。『スローターハウス5』で有名になる前、1950年代にスリック雑誌(光沢…

『黒い犬』イアン・マキューアン

互いに愛し合っているのに結婚してすぐに別居してしまった妻の両親。小さい頃に両親を亡くし、親というものに飢餓感を覚えていたジェレミーは、両親の不仲に苦しんできた妻の不興を買いながらも、フランスとイギリスに別れて暮らす二人を事あるごとに訪ね、…

『クライム・マシン』ジャック・リッチー

あと一冊になってしまったので、すぐには読まずに置いておこうと思っていた未読のジャック・リッチー本。病院で待たされる間何を読もうかと考えて、手に取ってしまったのがまずかった。どれだけ周りが騒がしくても、点けっぱなしのテレビから音が流れて来て…

『10ドルだって大金だ』ジャック・リッチー

洒落た会話、シャープな文体、ひねりを効かせた展開、あっと驚くようなオチ、というのがジャック・リッチーの持ち味。2016年に早川書房から出た『ジャック・リッチーのびっくりパレード』を初めて読んで以来、すっかりはまってしまった。2013年には同じポケ…

『サーベル警視庁』今野敏

明治三十八年というから、時代は日露戦争の真っ最中、警視庁第一部第一課巡査の岡崎を狂言回しに連続殺人事件を追う警察小説である。今野敏といえば『隠蔽捜査』などの警察小説が専門だが、時代を明治時代に取るのはめずらしい。新シリーズを目したものか、…

『その雪と血を』ジョー・ネスボ

あと数日後にクリスマスが迫るオスロ。王のローブを思わせる真っ白な雪に点々と残る血痕。男は、今一人の男を殺したところだ。死んだのは《漁師》と呼ばれる男の部下だ。電話で仕事が済んだことを告げると、ボスに次の仕事を依頼された。今のところ信用され…

『古書の来歴』ジェラルディン・ブルックス

謎につつまれた一冊の本がある。実在の本で、発見された地の名を取ってサラエボ・ハガダーと呼ばれている。ハガダーというのは、ユダヤ教信者が過越しの祭りで読む、説話や詩篇を綴った本のことだ。謎というのは、教会で使用するものではなく、家族の間で用…

『ねじれた文字、ねじれた路』トム・フランクリン

ラザフォード家の娘の行方がわからなくなってから八日が過ぎて、ラリー・オットが家に帰ると、モンスターがなかで待ち構えていた。 いかにもミステリらしい謎めいた書き出しに興味は募るが、正直なところ犯人はすぐわかってしまう。なにしろ<おもな登場人物…

『物が落ちる音』ファン・ガブリエル・バスケス

カバが射殺された話から始まる。閉鎖されて久しい動物園から逃げ出したカバが畑を荒らすので撃たれた、という記事を読んだ「私」は、昔つきあいのあった男のことを思い出す。リカルド・ラベルデと会ったのはビリヤード場だった。当時、最優秀の成績で法学士…

『風の丘』カルミネ・アバーテ

丘は、海の手前で逆さにひっくり返された舟を連想させる湾曲した細長い形をしていて、スッラ(マメ科の多年草。フレンチハニーサックル)の緋色で一面彩られていた。そのまわりを、果樹、乳香樹の茂み、月桂樹、金雀枝(えにしだ)、ローズマリー、庭常(に…

『内面からの報告書』 ポール・オースター

少し前に出た『冬の日誌』に続く自伝的な色彩の強い書物である。前作と同じように「君は」と二人称で語られる。『冬の日誌』が、小さい頃から今に至る身体の履歴について時間軸に沿って述べた物語であるのに対し、本書の体裁は少し異なっている。四部構成で…

『コスタグアナ秘史』 ファン・ガブリエル・バスケス

フランスによる運河建設工事が破綻して混乱の極みにあるパナマ共和国。その北部にあってカリブ海に面した港町コロンからロンドンに逃れてきた男ホセ・アルタミラーノが語る物語。語りの中で時おり呼びかける可愛い盛りの娘エロイーサを独り故国に残して、何…

『アルファベット・ハウス』 ユッシ・エーズラ・オールスン

人気シリーズ「特捜部Q」で知られる北欧ミステリの雄、ユッシ・エーズラ・オールスンの初期の作品。嗜虐的な人物による陰湿で執拗ないじめと長い時間をおいて反撃可能になった被害者の苛烈な復讐という人気シリーズに繰り返し現れる主題は、作家活動初期段階…

『ふたつの海のあいだで』 カルミネ・アバーテ

詰め物をしたナス、辛味のペペロナータ(パプリカの炒め煮)、土鍋で煮込んだインゲン豆にソラ豆にヒヨコ豆、ラザーニャか、ヤギや仔ヒツジのミートソースで味付けした手打ちパスタ、シーラ山地特産のアニスで風味をつけたリコッタチーズ入りラヴィオリ。そ…