青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

書評

『夜に生きる』デニス・ルヘイン

メキシコ湾に浮かぶタグ・ボートの上。セメントの桶に両足を浸けた男が、こう回想する。「いいことであれ悪いことであれ、自分の人生で起きた大事なことはほぼすべて、エマ・グールドと偶然出会った朝から動きはじめたのだ」と。シェルシェ・ラ・ファム(女…

『木に登る王』スティーヴン・ミルハウザー

いつも同工異曲。似たような素材を相も変らぬ調理法で俎上に載せているのだ。飽きられても仕方がない。それなのに、新作が出るとついつい手に取ってしまう。それがまた期待を裏切らない出来映えになっているところが驚異だった。ところが、ここのところミル…

『オリーヴ・キタリッジの生活』エリザベス・ストラウト

作家デビューが遅く、作品数が限られている。これは第三作目の短篇集だが、すでに自分の世界というものを持っていることが分かる。そして、その世界には確固としたリアリティがある。合衆国最北東端メイン州にある海辺の小さな町クロズビーが主な舞台。小さ…

『騎士団長殺し』村上春樹

主人公は三十六歳の画家。今は復縁しているが、五年前に突然妻から離婚を切り出されたことがある。あなたとはもう暮らせない、と言われたのだ。家を出るという妻に、自分の方が出ていくと告げ、愛車のプジョー205に当座の荷物だけを積みこむと、そのまま…

『私の名前はルーシー・バートン』エリザベス・ストラウト

くせになりそうな作家だと思う。自室に独りでいる自分の傍らに来て、低い声でぼつぼつと語りかけられているような、よほど親密な仲なら構わないが、そうでもない場合にはちょっと距離を置いた方がいいのではないか、と思わせるような、内心に秘かに隠されて…

『運命の日』上・下 デニス・ルヘイン

(上下巻併せての評)1910年代末のアメリカは揺れていた。1917年に起きたロシア革命を受けて、東海岸では社会主義者、共産主義者、アナーキストたちが盛んに活動し、テロ活動も頻繁に起きていた。同じころ、第一次世界大戦の帰還兵が持ち込んだスペ…

『あなたはひとりぼっちじゃない』アダム・ヘイズリット

原題は<You Are Not a Stranger Here>。「異邦人」や「よそ者」を意味するストレンジャーよりも、「ここで」を意味する<here>が気になる。その「ここ」とはどこだろう。それは、この短篇集の中なのではないだろうか。ここには、現代アメリカやイギリスだ…

『ときどき旅に出るカフェ』近藤史恵

カフェ・ルーズは毎月一日から八日が休み。営業は九日から月末まで。店主はその間旅に出る。そして買ってきたものや見つけたおいしいものをカフェで出す。オーストリアの炭酸飲料だとかハンガリーのロシア風チーズケーキとかだ。もちろん毎月海外という訳で…

『ザ・ドロップ』デニス・ルヘイン

はじまりは犬だった。映画『ティファニーで朝食を』のように、ごみ箱から助け出されるのが猫だったらもっとよかったのにと思ったけど、頭のイカレた男に殴られても死ななかったのは、ピットブルだったからで、猫だったら死んでいただろう。そう考えると、犬…

『中動態の世界』國分功一郎

この本は、ハイデッガーやアレントはもとより、デリダにラカン、フーコーにドゥルーズ、と有名どころを次々と繰り出しては、能動と受動という二つの対立以前に在った「中動態」という態の存在をあぶりだすことを目的として書かれている。聞きなれない名前だ…

『五月の雪』クセニヤ・メルニク

作者の生まれたマガダンという町。ロシア北東部といっても、広大なロシア連邦のことだ。どこだろうと思って地図を開くと、意外に日本に近い。オホーツク海に面した港湾都市。カムチャッカやアラスカという地名がよく出てくるはずだ。マガダンにはソ連時代に…

『人みな眠りて』カート・ヴォネガット

2014年に出た『はい、チーズ』の訳者あとがきに、もう一冊未発表作品集があると紹介されていて、首を長くして待っていたのがやっと出た。カート・ヴォネガットの短篇集である。『スローターハウス5』で有名になる前、1950年代にスリック雑誌(光沢…

『黒い犬』イアン・マキューアン

互いに愛し合っているのに結婚してすぐに別居してしまった妻の両親。小さい頃に両親を亡くし、親というものに飢餓感を覚えていたジェレミーは、両親の不仲に苦しんできた妻の不興を買いながらも、フランスとイギリスに別れて暮らす二人を事あるごとに訪ね、…

『クライム・マシン』ジャック・リッチー

あと一冊になってしまったので、すぐには読まずに置いておこうと思っていた未読のジャック・リッチー本。病院で待たされる間何を読もうかと考えて、手に取ってしまったのがまずかった。どれだけ周りが騒がしくても、点けっぱなしのテレビから音が流れて来て…

『10ドルだって大金だ』ジャック・リッチー

洒落た会話、シャープな文体、ひねりを効かせた展開、あっと驚くようなオチ、というのがジャック・リッチーの持ち味。2016年に早川書房から出た『ジャック・リッチーのびっくりパレード』を初めて読んで以来、すっかりはまってしまった。2013年には同じポケ…

『サーベル警視庁』今野敏

明治三十八年というから、時代は日露戦争の真っ最中、警視庁第一部第一課巡査の岡崎を狂言回しに連続殺人事件を追う警察小説である。今野敏といえば『隠蔽捜査』などの警察小説が専門だが、時代を明治時代に取るのはめずらしい。新シリーズを目したものか、…

『その雪と血を』ジョー・ネスボ

あと数日後にクリスマスが迫るオスロ。王のローブを思わせる真っ白な雪に点々と残る血痕。男は、今一人の男を殺したところだ。死んだのは《漁師》と呼ばれる男の部下だ。電話で仕事が済んだことを告げると、ボスに次の仕事を依頼された。今のところ信用され…

『古書の来歴』ジェラルディン・ブルックス

謎につつまれた一冊の本がある。実在の本で、発見された地の名を取ってサラエボ・ハガダーと呼ばれている。ハガダーというのは、ユダヤ教信者が過越しの祭りで読む、説話や詩篇を綴った本のことだ。謎というのは、教会で使用するものではなく、家族の間で用…

『ねじれた文字、ねじれた路』トム・フランクリン

ラザフォード家の娘の行方がわからなくなってから八日が過ぎて、ラリー・オットが家に帰ると、モンスターがなかで待ち構えていた。 いかにもミステリらしい謎めいた書き出しに興味は募るが、正直なところ犯人はすぐわかってしまう。なにしろ<おもな登場人物…

『物が落ちる音』ファン・ガブリエル・バスケス

カバが射殺された話から始まる。閉鎖されて久しい動物園から逃げ出したカバが畑を荒らすので撃たれた、という記事を読んだ「私」は、昔つきあいのあった男のことを思い出す。リカルド・ラベルデと会ったのはビリヤード場だった。当時、最優秀の成績で法学士…

『風の丘』カルミネ・アバーテ

丘は、海の手前で逆さにひっくり返された舟を連想させる湾曲した細長い形をしていて、スッラ(マメ科の多年草。フレンチハニーサックル)の緋色で一面彩られていた。そのまわりを、果樹、乳香樹の茂み、月桂樹、金雀枝(えにしだ)、ローズマリー、庭常(に…

『内面からの報告書』 ポール・オースター

少し前に出た『冬の日誌』に続く自伝的な色彩の強い書物である。前作と同じように「君は」と二人称で語られる。『冬の日誌』が、小さい頃から今に至る身体の履歴について時間軸に沿って述べた物語であるのに対し、本書の体裁は少し異なっている。四部構成で…

『コスタグアナ秘史』 ファン・ガブリエル・バスケス

フランスによる運河建設工事が破綻して混乱の極みにあるパナマ共和国。その北部にあってカリブ海に面した港町コロンからロンドンに逃れてきた男ホセ・アルタミラーノが語る物語。語りの中で時おり呼びかける可愛い盛りの娘エロイーサを独り故国に残して、何…

『アルファベット・ハウス』 ユッシ・エーズラ・オールスン

人気シリーズ「特捜部Q」で知られる北欧ミステリの雄、ユッシ・エーズラ・オールスンの初期の作品。嗜虐的な人物による陰湿で執拗ないじめと長い時間をおいて反撃可能になった被害者の苛烈な復讐という人気シリーズに繰り返し現れる主題は、作家活動初期段階…

『ふたつの海のあいだで』 カルミネ・アバーテ

詰め物をしたナス、辛味のペペロナータ(パプリカの炒め煮)、土鍋で煮込んだインゲン豆にソラ豆にヒヨコ豆、ラザーニャか、ヤギや仔ヒツジのミートソースで味付けした手打ちパスタ、シーラ山地特産のアニスで風味をつけたリコッタチーズ入りラヴィオリ。そ…

『特捜部Qー吊された少女ー』ユッシ・エーズラ・オールスン

特捜部Qシリーズ第六作。きっかけはボーンホルム島に勤務する警官からカールにかかってきた一本の電話だった。退職を前に心残りの事件の再捜査を依頼するものだったが、相変わらずやる気のないカールはすげなくあしらう。翌日、定年退職を祝うパーティーの席…

『名誉と恍惚』松浦寿輝

権力の中枢にいる者が民間の一事業主に便宜を図る引き換えに何かをさせようと思えば、誰か連絡を取る者が必要となる。下っ端の公務員なら、いざとなれば切り捨てることができるので好都合だ。しかも、真の意図は隠し、国のためを思ってやることだと言い含め…

『特捜部Q-カルテ番号64ー』 ユッシ・エーズラ・オールスン

複数視点の名手という呼び名が献じられるほど、その構成が繰り返し使われる特捜部Qシリーズ。第四作にあたる本作も2010年11月(現在)と1987年8月(二十三年前)で、二つの視点を交互に使い分けている。現在時の方は、カールとアサド、それに今回…

『殺す・集める・読む』 高山宏

著者自身が「博覧強記の学魔の異名をとる」という自身の紹介記事をことのほか気に入っているようなので仕方がないが、とにかく出てくるは出てくるは。見たことも聞いたこともない本の名前が次から次へと繰り出される。俗にいう「高山ワールド」の信奉者なら…

『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』 フリードリヒ・デュレンマット

雨が降り続き道路は川のようになった。そのうち霧が出た。やりきれない一月だった。アルノルフ・アルヒロコスは独身のベジタリアン。身なりは貧しいものの、いつもきちんとした服を着て煙草も酒もやらず、四十五にもなるのに女を知らなかった。プティ・ペイ…

『特捜部Q Pからのメッセージ』ユッシ・エーズラ・オールスン

シリーズ第三作にして最高傑作、という評は嘘ではない。過去に起きた未可決事件を再捜査することに特化された部署である特捜部Q。部員は警部補カール・マークとその助手でシリア人のアサド。それに、今回から仲間に加わるローセという女性警官の三人。リーマ…

『夢遊病者たち』1・2 クリストファー・クラーク

一・二巻を通してノンブルを打つやり方があることを初めて知った。全八百ページ強。読み応えのある本だ。第一次世界大戦がどのようにして起きたかを詳細に語るハウダニットの歴史書。一口に何が原因で起きたとか。どこの国の誰のせいで起きたなどと言い切れ…

『襲撃』 レイナルド・アレナス

なぜか突然流行のきざしを見せはじめている、これもディストピア小説の一つ。それも生なかのディストピアではない。人間(だろうと思われる)の手は鉤爪に変化しているし、一部の者は足さえ蹄に変わっているようだ。何かの寓話だろうか。とてもリアリズム小…

『ビリー・リンの永遠の一日』 ベン・ファウンテン

これって、早い話が人格形成小説(ビルドゥングスロマン)だよね?年若い青年が周囲の人々の影響を受けて、自己を作り上げてゆくことを主題とする。ヘッセやマンとちがうのは、これがたった一日の出来事を中心に書かれているってこと。雪混じりの感謝祭の日…

『わたしはこうして執事になった』 ロジーナ・ハリソン

執事というのは奇妙な仕事だ。本人は決して高い身分ではない。ほとんどが労働者階級の出身である。それなのに、上流階級の人々にくっついていることで、時の首相や、時には女王ご本人に拝謁を賜ったりすることもある。直々に声をかけていただいたり、お褒め…

『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド

トランプ大統領就任以来、アメリカではジョージ・オーウェルの『1984年』が、突如として爆発的に読まれ出したという話を聞いた。今さら、オーウェルやハクスリーでもないだろうと、『1984年』の姉妹版と言われているマーガレット・アトウッドの『侍…

『特捜部Q-檻の中の女ー』 ユッシ・エーズラ・オールスン

テレビをつけたら流れていた映像がちょっと気になるので、しばらく見ていた。知った顔の俳優もいないのに妙に引き込まれ、最後まで見入ってしまった。タイトルが『特捜部Qー檻の中の女ー』。その後、これがデンマーク発の警察小説シリーズ第一作だと知った。…

『タイガーズ・ワイフ』テア・オブレヒト

診療所の上層部とぶつかって無期限の停職処分となったナタリアは、ボランティアとして国境の向こうにある孤児院で予防接種をするため、機材を積んでトラックに乗り込む。かつてオスマン帝国に支配され、その後はオーストリア=ハンガリー二重帝国、さらに第二…

『アウトサイダー 陰謀の中の人生』 フレデリック・フォーサイス

手垢のついた表現になるが、「事実は小説よりも奇なり」というのがぴったりくる。『ジャッカルの日』という映画は、かなり好きで何度も見たが、原作を読んだらそれほど感心しなかったのを覚えている。その原作になった小説を書いたのが、フレデリック・フォ…

『楽園の世捨て人』トーマス・リュダール

クールでハード、女を抱くにせよ抱かぬにせよ、本心は見せないというのがハードボイルド探偵の流儀だったはず。それなのに、いくら独身生活が長いにせよ七十歳近くにもなりながら、女が欲しくて妄想をたくましくしてストーカーまがいの行動に走り、挙句は昏…

『質屋探偵ヘイガー・スタンリーの事件簿』 ファーガス・ヒューム

シャーロック・ホームズがベイカー街で名をはせていた頃。いかがわしい外国人がたむろする辺りに一軒の質屋があった。老店主の死後、店を預かるのはまだ二十代の一見してジプシーとわかる娘。この娘、美人であるだけでなく、店に持ち込まれる品物の目利きに…

『本を読むひと』 アリス・フェルネ

パリ郊外のもとは野菜畑だった荒れ地におんぼろのキャンピングカーがずっと停まっている。そこに住んでいるのは、長い髪にロング丈のスカートをはいた女たちと裸足で走り回る子どもたち、そして一日中何もせずに話し込んでいる男たち。彼らは「ジプシー」。…

『プレイバック』 レイモンド・チャンドラー

朝の六時半、男の家に電話がかかってくる。男は私立探偵。弁護士から仕事の依頼だった。八時に到着する列車から女を探し、宿泊先を突き止め、報告せよというのだ。ディオールで身を固めた秘書から小切手と女の写真その他を受け取り、駅に向かう。女は駅で別…

『平家物語』 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09

こういっては何だが、本人の書いた源氏物語を材にとった小説『女たち三百人の裏切りの書』より面白かった。現代語訳とはいっても、本来語り物である『平家物語』を、カギ括弧でくくった会話を使用し、小説のように書き直したそれは、もはや別物だ。加筆した…

『マカロンはマカロン』 近藤史恵

『タルト・タタンの夢』、『ヴァン・ショーをあなたに』に次ぐシリーズ第三弾。商店街の中にある小さなビストロを舞台に、訳あり客の持ち込んだトラブルや悩みをシェフが解決するアームチェア・ディテクティブ・ミステリ連作短篇集である。店の名前はビスト…

『博物館の裏庭で』 ケイト・アトキンソン

イングランド北部に位置する古都ヨーク。時は1951年。今しも、一人の女の子が母親の子宮に着床しようとしている。ユーモアたっぷりに語るのは、なんとその産まれてくる赤ん坊で名前はルビー。母親はバンティという家事に追われる主婦。父親のジョージは…

『日本近現代史入門』 広瀬 隆

2017年、年が改まって早々、坂本龍馬が暗殺される五日前に書いた手紙が発見された。福井藩の重臣に宛てた手紙で、謹慎中の三岡八郎(後の由利公正)を「新国家」の財政担当者として出仕させることをせかす内容である。竜馬が明治政府を「新国家」と評し…

『神よ、あの子を守りたまえ』 ト二・モリスン

少年期に負ったトラウマが、その後の人生を送る上で、人にどれだけの影響を与えるものか。登場人物のそれぞれが皆、過去に傷を負っている。傷を負いながらも、たくましく生きるタフな女性もいる。主人公の親友ブルックリンや、旅先で出会った少女レインのよ…

『ウインドアイ』 ブライアン・エヴンソン

全二十五編の短篇集。いちばん短いものは二ページに満たない掌編。確かに短いが、それだけに恐怖感が煮凝り状に凝縮され、飴色をした琥珀の薄明りの中に蟻ならぬ恐怖の本体が閉じ込められている。エヴンソンの物語は、突然訳も知らされずに絶望的な状態の中…

『素晴らしいアメリカ野球』 フィリップ・ロス

このタイトル、丸谷才一の提案によるらしい。でも、どうなんだろう。確かに、内容は野球の話だけど、原題は<The Great American Novel>。そのまま訳せば、『偉大なるアメリカ小説』となる。こちらのほうもちょっと首をかしげたくなるタイトルだけれど、偉…