青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『巨大なラジオ/泳ぐ人』ジョン・チーヴァー

ジョン・チーヴァーの作品は読んだことがなかったが『泳ぐ人』というタイトルには見覚えがあった。バート・ランカスター主演の映画ポスターを見た記憶があるのだ。1968年の映画だ。たしか、次々と他人のプールを泳いでいく話だった。奇妙な話だという印…

『自転車泥棒』呉明益

作家自身を思わせる男が台湾の中華商場界隈に生きる日常を描くリアリズム部分と、訳者が「三丁目のマジック・リアリズム」と呼んだ非日常的で不思議な出来事が起きる物語部分とが違和感なく融けあって一つの小説世界を作っている点が呉明益という作家の特長…

『淡い焔』ウラジーミル・ナボコフ

旧訳の『青白い炎』は筑摩書房世界文学全集で読んだことがある。例の三段組は読み難かったが、詩の部分は二段組で、上段に邦訳、下段に原文という形式は読み比べに都合がよかった。新訳は活字が大きく読みやすいが、英詩は巻末にまとめてあるので、註釈と照…

『カササギ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ

1955年、田舎町に住む家政婦が鍵のかかった家の中で階段から落ちて死んでいるところが庭師によって発見される。不慮の事故のようだったが、その三日前、死者は息子に「死ねばいい」という意味の言葉を浴びせられていた。近くのパブで、その喧嘩を聞いた…

『不意撃ち』辻原登

五篇の短篇というには長い作品で構成された、いわば中篇集。辻原登は間口が広い。今回は時代的には現代に的を絞り、新聞や週刊誌に取り上げられた事件を物語にからませてリアルさを醸し出している。『不意撃ち』という表題作はない。突然、登場人物たちに降…

『帰れない山』パオロ・コニェッティ

体力に自信がないので、本格的な登山はしたことがない。ただ、山に対する憧憬はあり、旅をするときは信州方面に向かうことが多かった。落葉松林や樺の林の向こうに山の稜線が見えだすとなぜかうれしくなったものだ。子どもが生まれてからは八ヶ岳にある貸別…

『数字を一つ思い浮かべろ』ジョン・ヴァードン

デイヴ・ガーニーは四十七歳。いくつもの難事件を解決してきた超有名な刑事だが、今はニューヨーク警察を退職し、デラウェア近郊の牧草地に十九世紀に建てられた農館で暮らしている。事件解決以外に興味を持たない夫と二つ違いの妻マデリンとの間にはすき間…

『ブラック・スクリーム』ジェフリー・ディーヴァー

リンカーン・ライム、シリーズ第十三作。今回の相手はコンポーザー(作曲家)を名乗る犯罪者。特別に繊細な聴覚を持つが、統合失調症を病んでいる。脳内で音が異常に増殖する、ブラック・スクリームという症状が現れると、自分を制御できなくなる。チェロ用…

『洪水の年』マーガレット・アトウッド

<上・下巻併せての評です> ディストピア小説の傑作『侍女の物語』の作者マーガレット・アトウッドによる「マッドアダムの物語」三部作のひとつで、やはりディストピア小説。近未来のアメリカが舞台。疫病が蔓延し、人々は感染してほぼ死に絶えた中で、奇跡…

『両方になる』アリ・スミス

読み終わって気になることがあり、書棚の展覧会の図録や画集の並んでいるスペースの前に立った。ルネサンスに関する本を片端から手にとってみるのだが、記憶に残っている一枚になかなかたどり着けない。最後に手にとったのが中山公男監修の『初期ルネサンス…

『エリザベス・コステロ』J・M・クッツェー

人は、基本的に自分の考えを率直に発言することができる。しかし、当然のことに批判や非難がつきまとう。ところが、作家は小説の中で自分の作り出した人物に好きなことをしゃべらせることができる。しかも、自分の代わりにしゃべらせるばかりでなく、自分の…

『インヴィジブル』ポール・オースター

詩人を目指す大学二年生の「私」はパーティの席上でフランス人男女と知り合う。次に会ったとき、そのボルンというコロンビア大学の客員教授は「私」に雑誌編集の話を持ちかける。新雑誌の内容から運営まですべてを任し、資金は援助するという嘘みたいな話で…

『ジャック・オブ・スペード』ジョイス・キャロル・オーツ

人は自分の見たいものだけを見て、見たくないものは見ないで生きているのかもしれない。ごくごく平凡な人生を生きている自分のことを、たいていの人間は悪人だとは思っていないだろう。でも、それは本当の自分の姿なのだろうか。もしかしたら、知らないうち…

『監禁面接』ピエール・ルメートル

原題は「黒い管理職」という肝心の中身をバラしかねない題だ。邦題の方は、まさにピエール・ルメートルといったタイトル。しかし、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの持つ嗜虐趣味と謎解きの妙味はない。仕事にあぶれた中年男が持てる力を振り絞って、…

『モラルの話』J・M・クッツェー

「犬」「物語」「虚栄」「ひとりの女が歳をとると」「老女と猫たち」「嘘」「ガラス張りの食肉処理場」の八編からなる、モラルについての短篇集。はじめの二篇を除く六篇は、一人の年老いた老作家エリザベス・コステロをめぐる、ある一家の物語。時間の推移…

『ヴェネツィアの出版人』ハビエル・アスペイティア

『ポリフィルス狂恋夢』という絵入り本の話を初めて読んだのは澁澤龍彦の『胡桃の中の世界』だった。サルバドール・ダリの絵の中に登場する、飴細工を引き延ばしたように細長い足を持ち、背中にオベリスクを背負って宙を歩く象のイメージも、この本の中に収…

『英国怪談珠玉集』南條竹則編訳

ただ「怪談」と聞くと川端の枝垂れ柳や、枯れ薄の叢の中の古沼、裏寂れた夜道といった妙に背筋が寒くなる風景を思い描いてしまいそうになる。それが、前に「英国」という二文字が着くと、急に座り心地のいい椅子や、炉端に火が用意された落ち着いた部屋のこ…

抜け毛の始末

前よりは量が少なくなったけど、やはり、カーペットに抜け毛が点々と落ちているのが気になっていた。朝、起きると妻が 「ニコ、やっぱりお医者さんに行かなきゃいけないみたい」 「えっ、どうして」 「首の後ろが地肌が見えてるの」 そう言って長い毛をかき…

『ガルヴェイアスの犬』ジョゼ・ルイス・ペイショット

家の外にある便所でローザがビニール袋に自分の大便を落とす。ローザは袋の口を閉じて廊下の冷凍庫にそれをしまう。スカトロジー? いや違う。これには訳がある。ローザの夫は従弟の妻ジョアナと浮気をしているという噂がある。ローザは溜めておいた自分の大…

抜け毛

ヒマラヤンは長毛種なので、ニコは一月半ごとに動物病院に併設されているグルーミング・ルームにシャンプーとカットをしてもらいに行く。以前は嫌がっていたブラッシングも、させてくれるようになったので、毛がからまることもほぼなくなったのだが、顎の下…

『文字渦』円城塔

中島敦に『文字禍』という短篇がある。よくもまあ同名の小説を出すものだ、とあきれていたが、よく見てみると偏が違っていた。『文字禍』は紀元前七世紀アッシリアのニネヴェで文字の霊の有無を研究する老博士ナブ・アヘ・エリバの話だ。同じ名の博士が本作…

お久しぶりニャ

最近玄関の煉瓦タイルがお気に入りのニコ。 毎日の暑さで体を冷やすのにちょうどいいらしい。いつでも、買い物から帰ってくる車の音を聞きつけてドアの開くのを待つのだが、晩御飯の買い物では、北に向いた玄関には西日が差していて、せっかくのタイルは熱く…

『さらば、シェヘラザード』ドナルド・E・ウェストレイク

帯の惹句に「半自伝的実験小説」だとか「私小説にしてメタメタフィクション!」だとかいう文句が躍っているが、スランプに陥った小説家が何とかしてページ数をかせぐための苦肉の策じゃないか。しかも、ネタは自分の旧作からの引き写しだし。これが新作だっ…

『オールドレンズの神のもとで』堀江敏幸

三部構成で十八篇、第一部は、地方の町に暮らす市井の人の身辺小説めいた地味めな作品が並ぶ。第二部には一篇だけ外国を舞台にした作品がまじっているが、日本を舞台にしたものは一部とそう大きくは変わらない。ただ、少しずつ物語的な要素が強くなっている…

『戦時の音楽』レベッカ・マカーイ

ごくごく短い掌篇から、かなり読み応えのある長さのものまでいろいろ取り揃えた十七篇の短篇集。ニュー・ヨークの高層ビルの一部屋に置かれたピアノから突然バッハ本人が出てくるという突拍子もない奇想から、旱魃の最中に死んでしまったサーカス団の象の死…

『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』J・D・サリンジャー

J・D・サリンジャーが雑誌に発表したままで、単行本化されていない九篇を一冊にまとめた中短篇集である。下に作品名を挙げる。 「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」「ぼくはちょっとおかしい」「最後の休暇の最後の日」「フランスにて」「…

『十三の物語』スティーヴン・ミルハウザー

ミルハウザーらしさに溢れた短篇集。<オープニング漫画><消滅芸><ありえない建築><異端の歴史>の四部構成になっており、<オープニング漫画>は「猫と鼠」一篇だけ。後の三部は各四篇で構成されている。「トムとジェリー」を想像させる猫と鼠の、本…

『贋作』ドミニク・スミス

一枚の絵がある。十七世紀初頭のオランダ絵画だが、フェルメールでもレンブラントでもない。画家の名前はサラ・デ・フォス。当時としてはめずらしい女性の画家である。個人蔵で持ち主はマーティ・デ・グルート。アッパー・イーストに建つ十四階建てのビルの…

『奥のほそ道』リチャード・フラナガン

主人公はドリゴ・エヴァンス。七十七歳、職業医師、オーストラリア人。第二次世界大戦に軍医として出征し、捕虜となるも生還して英雄となり、テレビその他で顔が売れ、今は地元の名士である。既婚、子ども二人。医師仲間の妻と不倫中。他人はどうあれ、ある…

『飛ぶ孔雀』山尾悠子

これまでの幻想小説色の濃い作品とは、少し毛色が変わってきたのではないか。精緻に作りこまれた世界であることは共通しているのだが、いかにも無国籍な場所ではなく、間違いなくこの国のどこかの町を舞台にしている。作者が学生時代を過ごした京都や生地で…