青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『最終目的地』 ピーターー・キャメロン

f:id:abraxasm:20160928084215j:plain

一通の手紙がウルグアイのオチョ・リオスに暮らす、作家ユルス・グントの遺族宛に送られてくる。差出人はカンザス在住の大学院生オマー・ラザギ。オマーは、グントについての博士論文ですでに賞を得ており、副賞として大学から自伝の出版に対して研究奨励金が付与される。出版には遺族の公認が必要であり、早急に承認を求める手紙である。

遺言執行人三人の話し合いの結果、自伝の出版は認めないとの返事にオマーは狼狽した。すでに奨励金は使っていて、公認が得られなければ返却を迫られる。自分で直接現地に行くしかないと恋人のディアドラに背中を押され、オマーは思い切ってウルグアイに飛ぶ。

静かな湖面に投げ込まれた小石が初めは小さな円の波紋をつくり出すが、それは次第に大きく何重にも広がっていく。緊張をはらみながらも、時が止まったかのように静穏な暮らしが続いていたオチョ・リオスは、降ってわいたように飛び込んできた青年の登場で、残された人々がそれまで抑え込んできた過去や欲望が再び目を覚まし、活発に動きはじめる。

グント家の屋敷には、妻のキャロライン、グントの娘ポーシャ、その母であるアーデンの三人が今も住んでいた。キャロラインとアーデンはかつては一人の男を争う競争相手だったが、遺された屋敷で互いに干渉せず棲み分けるようにして暮らしてきた。兄のアダムは、近くの石造りの製粉所を改装し、タイ人のピートと暮らしていた。

実務能力に欠けるが、人のいいオマーはオチョ・リオスの人々の暮らしにすぐ溶け込んだ。当初は自伝に反対するキャロラインに与していたアーデンだったが、オマーの人となりを知るにつれ承認に傾いていく。そんな時、菜園の仕事を手伝っていたオマーが蜂に刺されたショックで昏睡状態に陥る。アーデンから連絡を受けたディアドラは勢い込んでウルグアイにやってくる。

人里離れた土地に建つ広壮な館。バイエルン鉱業を営んでいたグント家はヒトラーのユダヤ人差別に遭い、使い物にならない鉱山を買うことを条件にウルグアイへの移住が認められた。故郷に似せて植林したカラマツやノルウェイトウヒに囲まれた館は昼なお暗い。絵を描く妻のために夫が増設した屋根裏部屋に夫の死後もキャロラインは今も独り住み続ける。

両親に甘やかされて育った挙句、弟が生まれると掌を返したように拒否されたアダムは、人と素直に口を利くことのできない偏屈な老人となった。シュトゥットガルトから連れてきたピートは同性愛のパートナーだが、今では足の悪くなったアダムの介護者になっている。アダムはピートを解放してやりたいが、ピートは愛するアダムを一人にしておけない。

オマーもまたイラン革命の余波でカナダに移住した両親とともに国を出ている。親は後を継いで医学部に進めというが、本人は文学の道を選んだ。親の援助に頼れないため奨励金はぜひ欲しい。グントは、『ゴンドラ』という小説一作しか残しておらず、研究対象として有利だったのも事実だが、その境遇が自分に似ていることも選択に影響していた。

小説は人物間の会話を中心に進んでいく。内輪の食事にも蝶ネクタイを締め、プルーストを読むアダム。プライドが高く、自分に創造的な才能がないのを自覚し、模写しかしようとしないキャロライン。若く美しいアーデンは、新しい出会いに胸を躍らせながらも足を踏み出せない。人物の輪郭がくっきりしているのは、焦らしたり、からかったり、上げ足をとったり、と興趣に富む会話によるが、岩本正恵による訳は各人の性格を描き分けていて秀逸。

過去が現在を支配し、麻痺したように動き出せないでいる人々。しかし、何かをきっかけに人は過去を見つめなおし、今を生きたいと願うようになる。人と人との出会いが、澱んでいた水に動きを与え、それは勢いよく流れはじめると、あとは堰を切ったように迸る。何かに流されるように生きてきたオマーが、自分は本当は何がしたいのか真剣に悩みだすことで事態は思いもかけない展開に。

印象的なシーンには事欠かないが、死んだ妹のアパートの整理のため、グリニッジ・ヴィレッジを訪れたキャロラインと妹の愛犬パグとの出会いが個人的には好み。犬など飼ったことのないキャロラインの困惑をよそに、散歩に連れ出し、眠る際にドアを開けるようねだり、ちゃっかりベッドに飛び乗っては足元に丸くなるヒューゴが、なんともかわいい。頑なだったキャロラインの心がほぐされていくのが手に取るように分かる。

実に古典的、正統的なロマンスで、気恥ずかしいほど衒いがない。冒頭、まるでモネの絵から抜け出て来たかのような装いで、蝶が雲のように群れ、ワイルドフラワーが咲く野原をキャロラインとアーデンが歩いてゆく場面など、一昔前のフランス映画を見ているようだ。そこから、あっと息をのむようなラストまで一気に読まされてしまう。巻を置く能わず、というのはこういうことかと実感した。

読み終わった後、いい映画を見た後のような余韻が心の中に揺曳している気がしたが、それもそのはず。訳者あとがきに、ジェイムズ・アイヴォリー監督で映画化、という話が紹介されていた。ジェイムズ・アイヴォリーといえば、『眺めのいい部屋』や『ハワーズ・エンド』など、異なる価値観に出遭い、その壁を乗り越えようと試みる人々の姿を描く、E・M・フォースターの小説を好んで取り上げている。なるほど、これはジェイムズ・アイヴォリーが手掛けるにぴったりの小説かもしれない。