青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『籠の鸚鵡』 辻原登

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帯に「著者の新たな到達点を示す、迫真のクライム・ノヴェル」とあった。これは読まねば、と思って読みはじめ、しばらくたってから「ふうむ」と、首をひねった。たしかに、いつもの辻原登ではない。だが、これが新たな到達点だというのは、ちょっと待ってほしい。新たな高みを目指して登っていたら、目標としていた山とはちがう別の山頂に着いていた、というのが本当のところではないのか。

辻原登といえば、豊かな文学性、歴史的資料を駆使した物語性の面白さに、清新な気風を兼ね備えた稀代の小説巧者というのが評者の作家像だ。たしかに、近作は、悪や死、犯罪への傾斜を思わせる暗い情念が潜む小説を手掛けていた。だが、それらには巷にあふれる通俗的な読物とは一線を画し、どこかに辻原登らしい気韻のようなものがあった。

本作にも、辻原登らしい部分はある。小説中盤、峯尾が湯の峰温泉の湯治場に身を隠す場面がそれだ。逃亡中の身であることを忘れたかのように、父が炭を焼いていた大台山系に連日分け入るあたリには、奥山の大気を呼吸することで、やくざ稼業で身に着いた垢が落ち、心身ともに浄化されていく心境が感じられる。冒頭の太鼓腹に角刈り頭の峯尾とは別人の、まるで中上健次描くところの秋幸を思わせるものがある

冒頭、下津町役場出納室長の梶のところに先日行ったスナックのママ、増本カヨ子から手紙が届く。一通目は小出楢重の絵葉書に吉野英雄の短歌という文学趣味を感じさせるものだったが、その後数を重ねるごとに露悪的で卑猥なものに変わっていく。まるで官能小説から抜き出した文体をわざと歪めてみせたような偽悪的な代物で、個人的には、これがどうにも口に合わない。

カヨ子は、情夫である峯尾から色仕掛けで梶を落とすように指示を受けている。最初の絵葉書は名刺をもらった相手なら誰にでも出す挨拶状。それ以降は、慎重で用心深い梶を振り向かせるためのカヨ子なりの色仕掛けだ。それにしても、下卑た内容の手紙の末尾に伊藤静雄の「わがひとに与ふる哀歌」を持ってくるという神経が気に障る。大方、カヨ子の出身が長崎であることから諫早出身の伊藤静雄を思いついたのだろう。スナックを訪れた梶が吉本隆明の死を諳んじるところといい、妙な文学趣味がクライム・ノヴェルのテンポを崩している。

一人の女と金をめぐる三人の男の犯罪の顛末を描いたクライム・ノヴェルである。カヨ子は横顔が女優のイングリッド・バーグマン似の大柄な女。不動産業を営む紙谷という夫がある身で春駒組の峯尾と情を通じている。その紙谷は岸井という男と組んで痴呆症の老人が所有する農地を、書類を偽造して相続し、一億円手に入れた過去がある。岸井から話を聞いた峯尾は、ばらされたくなかったら女房と別れろと紙谷を脅迫。紙谷はやむなくカヨ子と別れたが、関係は続いている。

時代は八十年代。山口組と一和会の抗争が激しかった時で、舞台となる和歌山にもそれは波及していた。組長から資金調達を命じられた峯尾は、大金を扱える出納室長という立場にある梶がカヨ子に気があるとみて美人局を思いつく。二人の情事を盗撮し、それをネタに公金横領を迫る計画だ。ここまでを読む限り、どこがクライム・ノヴェル?と訊きたくなる、せこい犯罪ばかり。

それらしくなるのは、角逐する金指組に梃入れとして神戸から送り込まれてきた若頭白神が登場してからだ。それまではうまく棲み分けていた二つの組に衝突が相次いで起こる。その張本人である白神を殺すため武闘派の峯尾に白羽の矢が立つ。沖縄への武器調達の帰途、復路の船上で白神をどうやって仕留め、無事逃げ切るかというこの部分はサスペンスに溢れ、上質のクライム・ノヴェルといっていい。

峯尾の高飛び用の資金をめぐってカヨ子と梶、紙谷がそれぞれの思惑で動く後半部分が締まっていれば、クライム・ノヴェルの格好はついたのだろうが、ファム・ファタルとは到底いえない中途半端なカヨ子という女をヒロインに持ってきたことと、横領はしても荒っぽい犯罪は似合わない男二人のせいでノワール色が薄れ、緊迫感のない終幕となったのが惜しい。題名は、スナックでかかる歌謡曲高峰三枝子が歌う『南の花嫁さん』の歌詞から。地方にも映画館が何軒もあり、日活ロマンポルノがかかるなど、程よい時代色が往時を知る読者にとっては懐かしい一篇。