青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ポータブル文学小史』 エンリーケ・ビラ = マタス

ポータブル文学小史
2000年に出版された『バートルビーと仲間たち』で、わが国でも知られるようになったエンリーケ・ビラ=マタス。彼がヨーロッパで人気を得るきっかけを作ったのが、『ポータブル文学小史』である。

1924年、マルセル・デュシャンを中心にヴァルター・ベンヤミンやヴァレリー・ラルボースコット・フィッツジェラルドジョージア・オキーフといった錚々たる顔ぶれが、ローレンス・スターンの小説『トリストラム・シャンディ』に由来する秘密結社「シャンディ」を発足させる。その誕生から解散までの経緯を語るというのが、この奇妙な小説の概要である。『トリストラム・シャンディ』由来というだけで、結社の性格も分かろうというもの。

結社への入会条件は三つ。その一つは高度な狂気の持ち主であること、二つ目は作品が軽くてトランクに楽に収まること、最後に独身者の機械として機能すること、この三つである。ミニチュア化した自分の全作品のレプリカを詰めた『トランクの中の箱』という作品がデュシャンにある。彼は「人生をあまり重いものにしてはいけない。しなければならない仕事をたくさん抱え込んだり、妻や子供、別荘、車などといったお荷物で人生を重いものにしてはいけない」と考えていた。ベンヤミンもそうだが、好むと好まざるにかかわらず、常に放浪を運命づけられていた彼らにとって、権威を振りかざすものや守らねばならぬ家庭は自分を縛りつけるもののように思われたのだろう。

さらに、典型的なシャンディとなるのに備えているのが望ましい条件として、革命の精神、極端なセクシュアリティ、壮大な意図の欠如、疲れを知らない遊牧生活、分身のイメージとの緊張に満ちた共存、黒人の世界に対する親近感、傲慢な態度をとる技術の錬磨などがあるとされている。一般人に顰蹙を買うものならだいたいそろっている。

ストーリーらしいストーリーなどはない。舞台はポールタティフ(ポータブル)から連想された最初の会合の地、アフリカのニジェール川河口の町ポルタクティフに続いて、ウィーン、プラハトリエステ、セビーリャと文学的香気の纏わりついた都市を結社の会合は転々とする。ダダイズムの始祖トリスタン・ツァラや画家サルバドール・ダリ、魔術師アレイスター・クロウリーといったいわくつきの人物が巻き起こす事件、シャンディたちの奇行、常軌を逸した乱痴気騒ぎといったエピソードで小説は埋めつくされている。

プラハではカフカのオドラデクやらゴーレムが登場し、ウィーンではスコット・フィッツジェラルドが「僕は本当に招待されたんだ」と、どこかで聞いたことのある科白を呟く。分かる人には分かる作家たちのエピソードがいかにもそれらしく用意されているので、一見文学好きの読者に向けた上質の知的エンターテインメントに見える。ところが、よくできたつくり話に見えるこの作品、まったくの法螺話ではない。デュシャン本人から結社の話を聞いた作家が、資料蒐集と聞き取りを通じて、それぞれの逸話をパッチワーク・キルトよろしく纏め上げたもので、表面はいかにも各人各様の様々な意匠にあふれていても、その裏側は綿密な考証に裏打ちされている。「文学小史」の題名に嘘はないのだ。

2000年に発表した『バートルビーと仲間たち』では、有名無名を問わず、文学的意識が強すぎるあまり書けなくなった作家や、私生活を隠し通す作家、あるいは全く作品を残さなかった作家といった、ビラ=マタスのいう「否定の文学」に属する作家を集中的に採りあげている。二つの作品に共通するのは、一見すると奇矯と感じられるような作家の生き方の中に、既存の文学的世界に安住している作家にはない、自己の創作に対する真摯な態度を見ていることだろう。

もう一つは、作品の中に数多の作家たちを登場させることだ。オリジナルなものなどなく、すべてはすでに書かれてしまっているというオブセッションの現れのようにも見えるが、ボルヘスがそうであったようにこの作家もまた典型的なビブリオマニアなのだろう。博覧強記にも思える忘れ去られた作家や知られざる作家への言及がそのことを証明している。

いまひとつは、おそらくビラ=マタス本人の性向でもある作品の蔭に自分を隠してしまいたいという欲望が仄見えることである。ヴァルザーやフェルナンド・ペソアへの度重なる言及は、自己の文学のあるべき姿をそこに鈎かけているからにちがいない。作品の掉尾を飾るのは次のような文章である。

「歴史はひとつの世界であり、だからこそ人は本の中に入っていけるのだ。最後のシャンディは、自分の本は散歩できるもうひとつの空間だと考えている。そんな彼が人から見つめられたときにとる衝動的な行為とは、うつむき、片隅を見つめ、顔を伏せてメモ帳をのぞき込む、あるいはもっといいのは自分の本でポータブルな壁を作り、その後ろに隠れることなのだ。」

作品さえあれば、作家などは消滅してもいい。もし、存在が許されるとしたら、できるだけ軽量でかさばらず、持ち運びがきくような存在でありたい。人間として生きる重さや煩わしさから遠く離れて、ひたすら文学の迷路をさまよい歩く、それが望み。そんな人にうってつけの作家がエンリーケ・ビラ=マタスだ。『ポータブル文学小史』がお気に召したら、ぜひ『バートルビーと仲間たち』も、手にとってみられることをお薦めする。