青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

近江八幡

近江八幡

猛暑続きの今年の夏はどこに出かける気もしなくて、休みの日でもほとんど家から出なかった。この数日来暑さも峠を越したようでやっと外出する気になった。とはいえ、天候は不順で一日一度は雷つきの大雨に見舞われる。この日も天気予報はすぐれなかったが、窓から見える青空に誘われるように家を出たのであった。

行き先は近江八幡。水郷の景色で涼もうというただそれだけのこと。妻の運転で高速に乗ったが、松阪あたりで早くも雷雨につかまった。前方に白い稲光が何度も閃く。「帰ろうか」とつぶやくのを「ここを抜けたら大丈夫」とめずらしく強気のナビゲーター。というのも、夏休みにどこにも出かけなかったという実績だけは作りたくないのが本音。妻というのは、こういうことをいつまでも覚えていて、事あるごとに持ち出すものだ。

予想通り、しばらく走ると青空が戻った。土山で食事をとり、昼過ぎには近江八幡市に着いた。前に一度行ったからと高を括っていたら、なかなかお目当ての場所に行き着けない。大きな神社があったが名前を覚えていない。町中を走りながら、やっと八幡社の看板を見つけた。近江八幡と言いながら神社が八幡さまだったことに気づかない。老化のあらわれだろうか。

八幡宮の前に運河が流れている。時代劇のロケにもよく使われるという石畳の遊歩道が続く絶好の散歩道。水辺に下りて少し歩いた後は、河畔の喫茶店で一服した。妻が観光パンフレットを見つけてきた。近くに本で読んだばかりの朝鮮通信使の宿になったお寺があるそうだ。これは行かねば、と地図を片手に町歩きに出た。

前に来たときは水郷の景色に満足して安土に向かって出発してしまったので、ゆっくり町を歩くのは初めてだ。犬矢来や格子戸の残る風情のある町並みである。ところどころ、建て直して新しくなった家も景観を考えているのがよく分かった。地蔵尊のお祭りか、献灯が吊され、テントの下では子どもたちにかき氷がふるまわれていた。

お土産に朝鮮通信使もその味に驚いたという鮒鮨を買って帰ることにした。お買い得という鮒鮨があまりに安いので妻が店の人に訳を訊ねた。返ってきた答えは「オスだから」。子持ちのメスの方が値が張るのだという。味は変わらないというのでお買い得のオスの方を買った。オスの方の値段が安いことが我が事のように思われ、何だか身につまされた。

曇り空なので竜王のアウトレットまでフルオープンで走る。買い物をすませて高速に乗った。帰りは運転を任されたのに、新名神を知らないナビの言うままに従い、またしても逆方向に。これで何度目か、我ながら情けない。おまけに疲れが出たのか眠気が襲い、土山で妻に運転を代わってもらった。「燃料が切れかけているというのに、よく眠れること」と、皮肉を言われた。コペンは燃料切れのサインが出ないということを忘れ、残り少ない燃料計を見てひやひやしている妻をしり目にあくびを繰り返していたわけだ。注意力の散漫なのも老化のせいにして後は口を噤んだ。その後も家に着くまでうつらうつらしていた。