青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『股間若衆』 木下直之

f:id:abraxasm:20120618114929j:plain

『世の途中から隠されていること』を読んで以来、この人の書くものには注目してきた。ただ、今回の著作にはいささか唖然とさせられた。『股間若衆』とは。すでにお気づきの方もおられようが、仮名で書けば「こかんわかしゅう」。そう、「古今和歌集」のもじりなのだ。はじめは気づかなかった。なにしろ、表紙写真には、男性の裸像が三体、衆目に股間をさらしているのである。なるほど、股間若衆か、と妙に納得してしまった。

副題にあるとおり、「男の裸は芸術か」という問題意識で編集されたメイルヌード論集である。とっかかりとなったのは、野外に置かれた裸体彫刻、特に男性像の下半身の表現に対する違和感であった。たまたま目にしたそれは、パンツを穿いているのかいないのか判然としない実に「曖昧模っ糊り」とした表現であった。日本には数多くの裸体彫刻が展示されているが、なぜか駅前に多い、それらの股間の表現は微妙な扱いを受けている。

芸術であるなら、ミケランジェロの「ダヴィデ像」のように、リアルな表現が許されているはずである。現にフィレンツェならぬ日本は広尾の街角にも「ダヴィデ像」は、その裸体を誇示している。なのに、日本人彫刻家による男性裸体彫刻は、そのほとんどが著者のいう「曖昧模っ糊り型」か、「面取り型」、もしくは「切断型」になっている。それは何故か。興味を抱いた著者は、カメラ片手に町に飛び出す。歴史を調べる。そうしてリサーチした結果を『藝術新潮』に連載したのが一連の『股間若衆』物となった。

題名から想像がつくように、小難しい理論とは無縁の読みやすい美術エッセイになっている。とはいえ、木下直之のこと、男性彫刻の股間にこだわらず、日本美術界が、男女にかかわらず、裸体画、裸体彫刻の受容に、どのように敏感であったか、今から思えば 笑いごとのようだが、そう単純に笑ってばかりもいられない、悲喜こもごもの歴史を描きだしている。

朝倉文夫が完成した彫刻から男性器を切り取っているところを描いた北沢楽天のポンチ絵には、官憲の命令で自らの作品を毀損する朝倉に対する批判をこめた風刺が色濃い。一方で、生き人形師松本喜三郎が海外向けに製作した生き人形には本物と見まがう男性器が精巧に作られている。その違いはどこからくるのか。

男性裸体彫刻と戦争の問題にも意識は向けられる。戦後、平和や復興を願い、そのシンボルとして各地の駅前や公園に設置された彫刻がなぜ裸体でなければならなかったのか。戦時中、戦意高揚の目的で製作されたそれらは、軍服にゲートルの姿であった。新生日本を象徴する平和を表すためには、その姿から自由にならねばならなかった、と著者は読み解く。

しかし、平和、復興のシンボルであったそれらの彫刻群は、駅前再開発、再々開発の掛け声とともにいつの間にか撤去され、もっとひっそりとした空間に移転されてしまう。その有り様は一抹の哀れを誘う。ただ、そればかりではない。いつの時代も時代の空気に敏感に反応し、その時代時代の意匠をまとって野外に立ち現れ、いつの間にか消えてゆく男性裸体彫刻の存在は、われわれの住む社会の容態をひそかに示す記号ではないのか。なんとなく居心地の悪さを感じつつ、目を伏せたり、見てみぬ振りしたりしながら、その横を通り過ぎる裸体彫刻だが、時には正面からまじまじと見つめ論じてみる価値があるのではないか、あらためてそんなことを感じさせられた。