青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『悪い娘の悪戯』 マリオ・バルガス=リョサ

悪い娘の悪戯
1950年代初頭、ミラフローレスはペレス・プラード楽団の演奏するマンボが人々を熱狂させていた。そんな時代、「僕」はチリからやってきた少女に恋をしてしまう。蜂蜜色の瞳にくびれた腰、マンボを踊らせたら誰にも負けないリリー。しかし、三度にわたる求愛も見事にはねつけられ、あえなく失恋。その後、チリから来たというのは嘘で裕福なミラフローレスには不似合いな貧民街の生まれであることが発覚し、少女は姿を消してしまう。

60年代初頭、今はパリで暮らす「僕」の目の前に大人になったリリーが現れる。今度は女ゲリラ兵となってキューバに向かうという。再び夢中になる僕をしり目に、この悪い娘(ニーニャ・マラ)は、またもや姿を消す。もうお分かりだと思うが、この後、60年代後半のロンドン、70年代終盤の東京、再びパリ、そして最後のマドリッドと、忘れたかと思うと別の女性になって姿を現し僕を眩惑して虜にしては姿を消す。

「僕」にとってニーニャ・マラは生涯たった一人の恋人である。何度裏切られても、「僕」は彼女を思いきることができない。一方、貧しい家に生まれた女は、いくら愛されようが、ユネスコで働くしがない通訳と一生添い遂げる気などない。金と力のある男を見つけると鞍替えすることを何とも思っていない。裏切り続ける悪女とそれでも愛し続ける人のいい男の一風変わった恋愛を、60年代パリを皮切りに時代の風俗をからませて描くという洒落た趣向の物語である。

リョサといえば、『緑の家』や『世界終末戦争』に代表されるような、いくつもの時間や場所を緻密に組み立てた構成や、複数の話者を配した多視点による語りといった一筋縄ではいかない作風で描かれた重厚でスケールの大きい作品群が知られている。しかし、最近では『フリアとシナリオライター』に見られるようなユーモアを配した作品も発表しており、この『悪い娘の悪戯』も、その流れの作品である。

一人の女に対しては情熱を抱けるのに、同時代の世界に対して傍観者的態度をとり続ける主人公と対称的に、60年代初頭のパリではカストロの革命を奉じて帰国しゲリラとして殺される友人、ヒッピー・ムーブメント真っ最中のロンドンではフリー・セックスでエイズに感染死する友人と、それぞれの時代を反映する男友達の活躍と悲劇的な最期が物語に陰影をつけている。

注目に値するのは、舞台となる諸都市の中で唯一リョサが住んだことのない東京に対する作家の視線である。シャト−・メグル(目黒エンペラーのことか)というラブホテルが象徴する当時の東京は、セックスのためにかくまでも精緻を極め、贅を凝らした場所があろうかという驚異的な都市として描かれている。ヒロインを徹底的にいたぶる愛人フクダのサディストぶりといい、日本人の性意識に対する独特の思い入れが感じられ複雑な気持ちになる。

「ロマンチック小説を書くなんて、老いた証拠かもしれないな」と作家自身が自嘲気味に語るほど、主人公リカルドの一途な愛が謳い上げられる恋愛小説である。その一方で作家リョサが自分の生きてきた20世紀後半に秘かに捧げるオマージュでもあり、あれほど愛しながらも結局は異邦人につれなかったパリという街への嘆き節でもあろう。アポリネールの『ミラボー橋』の引用が泣かせる。

報われぬ愛に悩んだことのある人、それとは逆に、心底人を愛することができない人、どちらの人にも読んでほしい。衒いをかなぐり捨てたマリオ・バルガス=リョサ畢生の純愛小説である。