青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

横輪桜

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「お昼は田園で食べて横輪桜を見に行きましょう。今日あたり満開のはずよ。」散り初めた桜を見ながら妻が言った。
横輪桜というのは、市の南西部に位置する横輪の里にだけ咲く桜の品種で、ふつうは一重なのだが、稀におしべが変化して花弁状になった、土地の人が「一重八重」と呼ぶ花がまじる。大きな花弁が球状になってかたまりをつくり、枝先に手鞠のように咲く。ソメイヨシノより数日遅れて満開になるといわれている。坂道に降り積もるソメイヨシノの花びらを見て思い出したのだろう。「田園」というのは喫茶店と食堂を兼ねる店でランチが安くて美味い。横輪に行く道の途中にある。
田園には先客がいた。同い年で、かつて同じ職場で働いたことがある。「横輪桜か。もう満開だった?」「いや、これから行くところさ。」わざわざここまで来るのだから桜見物と勝手に決めている。そういえば、彼の家はこの近くだった。同じテーブルに座っているのは父親だろうか。
ランチはA,B,C,Dの四種類で日によってメニューが変わる。この日はAが穴子と海老のフライ、Bが豚の一口カツと鶏の焼き肉、Cが鰹のたたきと筍、刺身蒟蒻、Dが刺身の盛り合わせだった。実は、ここの海鮮丼がお目当てだったが今日はやってないらしい。妻は迷わずC。鰹が大好きなのだ。しかし、二、三日前に鰹茶漬けを食べたばかり。迷った挙げ句Bにしたら、「へえ、Bなの?」と不思議がるので、「だって海鮮丼がないから」というと、「Dにして、自分で御飯の上に盛ったらいいのに。」と言う。なるほど、そういう手があったか。とにかく頭が固いのだ。その代わり意志は固くない。
メインの料理に小鉢二椀と御飯、味噌汁、香の物がついて600円。御飯の量も多目で、客に男性会社員が多いのもうなずける。鰹のたたきが先に来た。一口味見をさせてもらうとこれが旨い。Bの豚は地元産、鶏の焼き肉も味噌風味というところがミソだが、まあ普通の味だった。直観力というのがあるのか、いつだってメニュー選択では妻にかなわない。
蛍狩りの夜に車を停めた駐車場は満車で五百メートル先に行けという。道端で弁当を開くグループや河原でバーベキューをするグループもあり、小さな村落は花見客で賑わっていた。町民のボランティアが無線で連絡を取り合い、交通整理をしてくれている。「無料シャトルバス」と書かれた紙をテープで貼り付けたライトバンが二つの駐車場を往き来していた。客もそうだが、ボランティアの町民もほとんどが高齢者で日本社会の縮図を見ているようだ。たまに若い人を見るとこんなところで何をしているのか、と思ってしまう自分がいる。自分はいてもいいと思っているのだから立派に高齢者の仲間入りをしている訳だ。
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横輪桜は少しつぼみも残っているもののほぼ満開。ソメイヨシノに比べると大きめの花は色も少し濃い目の薄紅色。横輪の里は平家ゆかりの地で、家々は高い石垣に囲われている。その石積みと屋根瓦のモノトーンに桜の淡い色合いがよく映えて、一帯を得も言われぬ春景色に染め上げている。桜ならぬ桃源郷といった塩梅。
それにしても、達者な老人たちだ。「ああ、おかげで今日はよく寝られそうよ。」「足が痛くて寝られんのとちがう?」などと、話しているのが耳に入る。隣国のミサイル発射などは、マスコミが騒いでいるだけのことで、庶民は何の心配もしていないことがよく分かる。他人の庭であろうが、桜と見れば入りこみ、カメラを構えて平気だ。観光地ではないのだから町民としたら迷惑だろうが、花の説明をしてくれるなど非常に協力的だ。吉野では1500円もしたというのに、ここは駐車料も無料なのだ。
山に登っている人もたくさんいたが、にわか高齢者にその元気はない。集落を一回りして桜の花は堪能した。いかにも花見気分を盛り上げようと地元出身の歌手が歌う歌謡曲も流されていたが、駐車場の辺りにだけ聞こえるばかりで川を跨ぐとそこは鶯の鳴く隠れ里そのもの。谷川の縁に咲く桜よりずっと小ぶりの白い花をながめていたら、「梨の花ですよ」と、通りがかった町の人が教えてくれた。日本手拭いの姉さん被りが古い日本映画から抜け出してきた人のようだった。