青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『そして、人生はつづく』川本三郎

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川本三郎には、荷風林芙美子、白秋など近代文学史上に名を残す作家の評伝を書くという文芸評論家の仕事とは別に、映画、鉄道旅行、居酒屋、商店街といったお気に入りの主題を材に採ったエッセイ作家の顔がある。数年前に永年連れ添った伴侶をなくしてからは、それに独り居の日記という体裁の気どらない日誌風の文章が加わった。

イランの映画監督アッバス・キアロスタミの作品からタイトル名を借りた今度の本にも、その弧愁の色が影を落としている。さらには地震の被災地をめぐる記録映画の形をとった映画同様、3.11後の東北を訪れた際の文章も数多く含まれている。どんな辛い出来事に出会おうとも、残された者はその後の人生を生きていかなければならない。淡々とつづられた文章の向こうに日々の暮らしをつづけていく、たしかな力が透けて見える。気負いのない、むしろ軽みすら感じさせる筆致からは、ようやく老境に入りかけたかつての青年の姿を想い見ることができる。

自らの「愚行」の記録でもある『マイ・バック・ページ』の映画を見ながら、手ばなしで泣いてしまう川本には、いい意味での人の良さを感じる。「朝日との切れ目が縁の切れ目」と、事件後「朝日」を辞めた自分の周囲から去ってゆく人々を恨むでもなく、独り引きこもった彼だったが、復帰を喜んでくれる人々も少なくはなかった。井上ひさし種村季弘丸谷才一といった錚々たる顔ぶれが物書きとしての川本を認めていた。丸谷の死を悼む一文には、刊行当時、また袋叩きに会うのではないかと恐れた『マイ・バック・ページ』を一番に書評で評価してくれたことに礼を言う川本に、「僕は『笹まくら』の著者だよ」と応じた丸谷の言葉が紹介されている。情理を尽くした一言に読んでいるこちらまでうれしくなった。

一人になったこともあって、以前にもまして気軽に旅に出るようになっている。旅といっても各駅列車に乗って近くに出かける日帰り程度の旅が多いのだが、この近郊への旅で見つけた、観光地でない日本の小さな町歩きが、エッセイの恰好の材料になっている。人の暮らしぶりがそのまま町の風景となっているような、まだ日本に残っている名も知らない町、食堂があり、居酒屋があり、時には温泉があったりする。

かつては「中年房総族」と名乗って房総半島を経巡っていたが、近頃は八高線沿線がテリトリーになっているようだ。ファミレスや牛丼屋で朝飯を済ませ、鉄道に乗り、遠くは小淵沢まで足をのばす、その間車内を書斎代わりに読書し、好きなところで降りて、駅弁で昼食、小一時間ほど湯に浸かった後は近所の町をぶらぶら歩き、そしてまた鉄道に乗って帰ってくる。

夜は、DVDで古い映画を観ながら燗酒を独酌。映画を一本見終わったら床に就くという、淋しいような、気楽なような暮らしのところどころに観劇や、音楽会、講演会で出会った人との交友をちりばめながら、この本はつづられている。肩の力の抜け具合がほどよく、読んでいて心地よい。「朝ジャ」で中津川のフォーク・ジャンボリーを取材した話を読んで、国鉄の汽車に乗って出かけた当時を思い出した。もしかしたら糀の湖畔ですれちがっていたかもしれないな、と懐かしくなった。