青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『旅立つ理由』旦 敬介

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パステルカラーにぬり分けられた家並みや、陽盛りの路地にできたわずかばかりの日陰の椅子で飲む生温かいミント茶、親しげにすり寄ってきては、何かとものを売りつけようとする少年たち。ピレネーをこえた異郷の旅がなつかしくよみがえってくる。

町の書店でこの本を探すとすると、どのあたりの棚に並んでいるのだろう。旅行関係の本が並ぶ棚だろうか。それとも、日本の小説が並ぶ棚だろうか。海外が舞台のエッセイとも小説ともつかぬ手触りからは堀江敏幸の初期の作品に似た風合いがある。身綺麗な主人公と同じ匂いを共有する友人たちが出会い、意気投合し、自分たちの手で料理した旨いものを食う、その味わいは、たとえば片岡義男の手になる短篇小説の持つそれである。ちがいは、その舞台が日本のどこにでもありそうな小さな町か、中南米やアフリカのひなびた町かどうかくらいだ。

生きていることを実感するには、適切な食材を正しい方法で調理して食べることにつきる。僕はそれを長田弘の『食卓一期一会』で学んだ。そのためには、少々の時間と金はつかわねばならない。グルメというのではないから、三ツ星のついた有名料理店で高級料理を食するといった話ではない。その土地の人間が大事にしてきた、その土地の人でなければ分からない料理。そこには、大きくいえばひとつの民族の歴史が息づいている。

巻頭を飾る「世界で一番うまい肉を食べた日」で紹介されるビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(骨のついた肉の塊が大きいことで知られる)はともかく、それに続く話に登場するのは、ほとんどの日本人が食べたこともない料理だ。気候、風土がちがえば、食べる物も人々も異なる。料理といっしょに異郷の地に生きる多民族の息づかいが伝わってくる。切りつめた語り口は、座談の名手のようで、吹きすぎる風のように耳に心地よい。

メキシコ湾岸、ベラクルス郊外のマンディンガという集落の食堂では牡蠣を注文すると、男の子が海に飛び込んで牡蠣をとってくる。世界一の牡蠣を食べるならマンディンガ、ということになる。アパートの「封切り」パーティーのために二日前から支度して作る、ブラジルはバイーアフェイジョアーダリオ・デ・ジャネイロの黒インゲン豆とちがって茶色い豆を使う。40人もの客がやってくるいかにもブラジル風の一夜。キューバならアヒアコで決まりのはずだったが、「典型的なキューバ料理」のはずのアヒアコがどこへ行っても食べられない、この不条理さ。エチオピア人のマリオが焼くインジェラ(テフというきわめて粒の細かい雑穀をすりつぶして水で溶き、三、四日醗酵させてから円形の鉄板か陶板に薄く流しこんで蒸し焼きにしたもの)。スペインのサラマンカでは、大学生のマノーロがトルティーヤ・エスパニョーラ(早い話がスペイン式オムレツ)を作ってくれる。オリジナルのレシピつきで。バイーアの料理をもうひとつ。貧民街だったペロリーニョの飲み屋「パンゾ」の女主人が別れに作ってくれたムケカ。レモンとココナッツ・ミルクと椰子油で魚を調理したアフロ・ブラジル料理。極めつきはアミーナというウガンダからの国連認定難民が大量の買出しの果てに作るカチュンバーリだろう。「細かく刻んで激しく塩もみしてから洗ったり絞ったりした玉ねぎやキャベツに、やはり細かく切ったトマトと香菜と緑トウガラシを混ぜてレモン汁でじっくり和えたもの」だが、このカチュンバーリの来歴が凄い。

「彼がアミーナから見よう見まねで学んだカチュンバーリが、こんなふうに、アミーナの人生の全容と切っても切れないものであって、それがヴァスコ・ダ・ガマの時代から続く全地球的規模の暴虐な歴史の展開にダイレクトに結びついていて、流行語として『ポスト・コロニアル』と呼ばれている世界の構成と分かちがたいものであることを思うと、いったい自分はどんな顔色をして何を作ればいいのか、彼にはなおさらわからなくなっていた」

主人公の日本人はウガンダの女性と結婚し、子どもも生まれるが、今は離婚して男の子と暮らしているようだ。仕事は何をしているのかよく分からないが、海外暮らしが長い。それも、中南米やアフリカといったあまり観光では行かないところばかりだ。最後の方の一篇で主人公の日本人の名が「ダン」であることが示される。

作者の名は、バルガス=リョサや、ガルシア=マルケスの訳者としてかねてからなじんでいたが、こうして本人の著作を読むと、また別の顔が見えてくることに驚いた。軽々と国境を越え、世界の果てまで出かけてゆき、そこで伴侶を得、子どもを授かる。その出向いた土地で、新たな友を得て、また別の国へと彷徨い出る。

かつて外国を旅して、紀行や小説を書いた作家には、日本と西洋を比較して、その優劣を競ったり、彼我のちがいに慨嘆したりと、しかたのないこととはいえ肩肘張った物言いがつきまとった。著者の文章には、その大上段に振りかぶったところがない。軽やかな身ごなしと、身の丈にあった感慨が新鮮な感興を与えてくれる。久方ぶりに「旅への誘い」を感じた。夏の旅のお伴に絶好の一冊。