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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『豊国祭礼図を読む』黒田日出男

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「豊国祭礼図屏風」とは、慶長九(一六〇四)年八月、秀吉の七回忌に執り行われた豊国神社臨時祭礼の模様を描いた六曲一双の屏風である。現存する作品が二点あり、ひとつは京都の豊国神社所蔵の狩野内膳作、もう一点は名古屋の徳川美術館蔵の岩佐又兵衛作とされるもので、いずれも近世風俗画を代表する作品である。

著者の黒田日出男は、これまでも数々の絵画の「謎解き」に挑んできた日本中世史、絵画史料論の専門家である。以前、黒田の『謎解き 伴大納言絵巻』を読んで、その面白さに驚いた記憶が鮮明であったので、本作も迷わず手にとった。読後の感想を述べるなら、今回もその謎解きの面白さは抜群で、巻を措く能わずの言葉通り一気に読み終えた。

本書は、二点の豊国祭礼図屏風に、京都の妙法寺に残る豊国祭礼図屏風の写本を加え、三双を読み比べることで、誰が何の意図を持ってこれらの屏風絵製作を命じたのかを明らかにし、もって慶長から元和にかけての歴史を詳らかにせんとするもので、文献史料を重視する歴史学会のあり方に対し、絵画史料の重要性を訴える黒田の主張を裏付ける問題提起の書でもある。

黒田の本は、直截に「謎解き」と銘打たれていなくとも、基本的に「謎解き」が主体となっている。それゆえに、絵画を論じたものであるのに、ミステリを紹介するときのように謎の正体をばらすことのないように気をつけなくてはならず、隔靴掻痒の憾みが残る評になることを寛恕されたい。

本書は八章で構成され、前半は文献史料、なかでもイエズス会宣教師の日本報告報告という史料群を多用し、屏風が描かれた時代、つまり秀吉の死から家康が名実ともに天下人になるまでの歴史について述べ、併せて慶長九年の臨時祭礼の実像を明らかにしている。三双の祭礼図屏風の謎解きは後半からはじまる。専ら美術的な観点から興味を持つ読者には、少々まわりくどく感じられるかもしれないが、前半の歴史的事実があってこそ後半の謎解きが俄然面白くなるので、我慢して付き合ってもらうしかない。

まず第一に、豊国神社本で黒田が着目するのは画中にたびたび登場する「老尼」たちの姿である。知ってのとおり、秀吉没後、正妻のおねは剃髪し高台院と呼ばれる尼となる。その歴史的事実を考慮すれば、右隻に描かれた豊国神社の石段その他に、緋毛氈を敷き、傘に覆われた「老尼」こそ、高台院その人と読み解くことができる。問題はその描かれ方にある。他の老女に比べ、お付を侍らせた「老尼」は、皺の目立つ醜い「男顔」になっている。夫秀吉が神として祭られる祭礼に招かれた高台院は謂わば主賓。完成時は大名たちの見物に供された屏風である。現実には、五十代後半の高台院を皺くちゃの醜い老女に描かせたのは誰か、そしてその理由は、というのが解かれる謎である。

その二、豊国神社本を元にした妙法院模本にも「老尼」は登場するのだが、その姿は特別なものではない。妙法院模本の成立年代は史料から慶長十七年と考えられるが、新調された屏風が豊国神社に立てられた翌日高台院が神社に参詣していることが資料に記されている。これは偶然か。

最後に論じられるのが、あの岩佐又兵衛が描いたとされる徳川美術館本である。黒田が着目するのは、右隻に描かれた「かぶき者」の喧嘩。もろ肌脱いだ侍が、もう一人の侍と斬り合いになろうとするところを僧や他の侍が止めているところだ。もろ肌脱ぎの侍が手にする太刀の朱鞘に金で書かれた文字がある。「いきすぎたりや、廿三、八まん、ひけはとるまい」。この文句はかぶき者の合言葉として知られるが、もともとは「生き過ぎたりや二十五」であった。この数字の改変が何を意味しているのか、というのが謎中の謎である。齢二十三で死んだ若者の正体と、留め男たちの装束や駕籠に付された家紋から、かぶき者の喧嘩が岩佐又兵衛による、戦(いくさ)の「見立て」と論破するあたりの説得力はさすがに黒田と膝を打った。

一枚の絵から歴史が見えてくる。それと同時に歴史に飲み込まれ、振り回された人物たちの存念があざやかに浮かび上がってくるではないか。なお、あとがきによれば本書は「近世初期風俗画に歴史を読む」シリーズの第一作にあたり、毎年一冊ずつ書き下ろしていく予定。因みに第二作は「江戸名所図屏風」第三作は「舟木本洛中洛外図屏風」を読むらしい。愉しみがふえた。残念なことは、図版がモノクロで小さく、数も少ないこと。「選書」という形で制約があるのだろうが、出版社にはカラー口絵を採用するなどの工夫が望まれる。