読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『エンジン・サマー』ジョン・クロウリー

f:id:abraxasm:20140513073111j:plain

大洪水の水が引かず、ノアの方舟が何世代にわたって航海を続けたと仮定しよう。ノアも息子たちも死に絶え、何千年も過ぎて陸地が見えたとき、そこに人々がいたとしたら、その人々には、ノアの子孫は地上の者とは思えなかったのではないだろうか。方舟には方舟の物語が、地上にはまた別の物語が伝えられていたはず。もし、言葉が通じるものならば、方舟に招じ入れられた地上の者の語る言葉に、ノアの子孫は耳を傾けたにちがいない。こんなとき、SF作家なら得意のギミックで翻訳を可能にしてみせるだろう。


タイトルの『エンジン・サマー』は、文中では「機械の夏」と訳されている。意味的にはそれにちがいないが、音的には「秋から冬にかけて風が弱く暖かな日のこと」を指す「インディアン・サマー」(小春日和)を思い浮かべてしまう。まるで、本来の意味が失われた後で、誰かがよく似た音を持つ別の言葉で言い換えたように。少し読めばわかるが、舞台となっているのは、文明社会が崩壊した後の未来のアメリカ。かつて繁栄を謳歌していた文明社会は「嵐」と呼ばれる危機の前に完全に崩壊し、地上に残されているのは、「嵐」以前に「都市」での文明生活に見切りをつけ、脱出した者たちの子孫たちだけであることが分かってくる。


主人公はその命名法や、お下げに編んだ髪という記述から、ネイティブ・アメリカンを連想させる<しゃべる灯心草>(ラッシュ・ザッツ・スピークス)。系(コード)と呼ばれる部族によって異なる性向を持つ人々が、生き残るため緩やかな連帯を保ちつつリトルビレアという迷路のように入り組んだ街で構成される共同体を営んでいる。<しゃべる灯心草>が属するてのひら系の者は、その名の通り物語ることを好む。主人公も語り部の女たちによって語り継がれる種族の物語を聞くのを好むが、いつかは故郷を捨てて旅立つ運命にあるようだ。


近未来を舞台にしたSFが好んで描くのが、文明社会が崩壊した後の混乱した世界、つまり「ディストピア」なのだが、本作は崩壊後の世界をそうは見ていないようだ。形式からいえば、若者が旅を通じて様々な人と出会い成長を遂げる、という人格形成小説(ビルドゥングス・ロマン)の系譜につながる。その教養小説の骨組みに、少年と少女の出会いと別れを描く青春小説的な甘酸っぱさを加味し、銀の手袋とボールをはじめ、SF的ガジェットについての謎解き興味をまぶした、著者三作目にして代表作となる長篇小説である


若い頃は結構読んだSFだが、近頃はとんとご無沙汰していた。物語を楽しむために必要と思われる以上に大量の疑似科学的情報をこれでもか、というほど読まされるのに閉口してしまうからなのだが、好きな向きには、そこがいいのだろうというくらいのことは分かるつもりだ。その点、この作品に登場する物の多くは、クロスワードやからくり人形仕掛けの晴雨計といった、現代人には自明だが未来人には未知の物体である。つまり、「読者は知っているが登場人物は知らない」という物語ならではの仕掛けがほどこされていて、とっつきやすい。


というよりむしろ、科学偏重の現代文明に疑問を呈し、エコロジーや、環境重視といった時代潮流に乗ったところが受け容れやすいのかもしれない。ツリー・ハウスに住む<またたき>(ブリンク)をはじめ、登場人物たちは、廃墟と化した家屋でかつての機械類を再利用した今風に言えばリサイクルやリユースといったエコな暮らしを実践している。かつて、ベトナム戦争反対に沸く人々は、「自然に帰れ」というスローガンを掲げたヒッピー・ムーブメントにオルタナティブ生活様式を見出したものだった。発表されたのが79年というから、コミューンやドラッグ・カルチャーといったヒッピー・ムーブメントの影響を受けたと思しき人物たちの行動様式や慣習が、時代がひとめぐりしたせいか、かえって懐かしく感じられる。


SFらしいギミック満載だが、ストーリー的には少年の旅は意外に地味である。樹上で暮らす<またたき>(ブリンク)に出会うのも故郷の家からさして遠くなく、次に移り住む<リスト>の交易商人たちのキャンプも危険からはほど遠い。遍歴する主人公は「勇者」でも「騎士」でもない。小説が、物語るということ、をテーマの一つとしているからには、主人公の修業はまず「聞く」ことからはじまる。賢者や老婆の語る物語のなかに、彼が解かねばならぬ秘密が隠されているからだ。


物語の語り手が、自分の経験してきたことを語る、という設定が、作家が小説を書くという行為のメタレベルの解説になっている。物語を書くことの意味、作家とは何か、語られた物語は誰のものか、といった世界を創る者としての作家の疑問がナイーブなまでに素直に表現されているところに、初期の作品らしい初々しさが出ている、と今だからいえる。


空を飛ぶ都市「ラピュタ」が登場するように、スウィフト作『ガリバー旅行記』に倣い、寓意や風刺の色濃い本作の謎は物語の最後で解かれるが、回想的視点で語られる主人公の旅の意味は再読を要求せずにはおかない。複層的なテーマを持つ作品に張りめぐらされた伏線一つ一つの意味を回収するために、読者は最初からもう一度<しゃべる灯心草>の話を辿りなおすことだろう。円環構造をなす、終わることのない物語。これに優る物語の愉しみがあろうか。