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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『はい、チーズ』カート・ヴォネガット

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2007年に84歳で亡くなったカート・ヴォネガットの未発表短篇集である。SFや、ショート・ショートでよく使われるような、ちょっとしたアイデアを、丹念に育てあげ、ユーモアをまぶし、思いっきり捻りをきかせて、ストンと落とす。サプライズ効果満載のエンタテインメント小説が十四篇。手ごろな長さのものが多いので、手元に置いておいて、手の空いたときなどに一篇ずつ賞味するのに向いている。これがどうして未発表なのか、と不審になるほど完成度の高い作品が目白押しで、机の抽斗から出てきたなどという宣伝文句が信じられなくなる。

「夏は眠りの中で安らかに息をひきとり、秋がソフトな語り口の遺言執行人としてその命を安全に保管し、やがて来る春にそれをひきわたすことになる。ある秋の朝まだき、小さな家のキッチンの窓の外に広がる、このさびしくも美しいアレゴリーを頭に浮かべながら、エレン・バウアーズは、夫のヘンリーのために、火曜日の朝食を用意していた。」

巻頭を飾る「耳の中の親友」の冒頭部分。見てのとおり美文調で始まるが、この後に続くのは、隣の部屋で冷たいシャワーを浴びながらダンスを踊り、自分の体をぴしゃぴしゃたたくヘンリーの姿である。このギャップがたまらない。こつこつと真面目に働いてきた技師のヘンリーが自分の発明に有頂天になっているのだ。それは補聴器ほどの大きさで使い方も同じ。ただし、聞こえてくるのは自分の心の奥底にある、ふだんは圧し殺して聞かないふりをしている声である。夫は、その機械コンファイドーが、万人の心の友となると信じ、今から成功を夢見ているが、妻の耳に聞こえてくるそれは…。

GEに勤めていた経歴を持つヴォネガットは特にSFを意識しなくても、科学やそれを利用した機械が人間にとって果たす役割の大きさをよく知っていたのだろう。フレドリック・ブラウンあたりが扱えば、世界中が大騒動になるスラップスティック劇にもなるだろう設定が、ヴォネガットの手にかかると、こんな結末になる、という見本のような話。ヒューマニストを自認するヴォネガットだが、一筋縄では括れない人間心理の観察家でもあったようだ。

母の介護で人生を棒に振ったと自己憐憫にふける会社員の前に降ってわいたように現われた美人の秘書が。表題「FUBAR」とは軍隊のスラングで、” fouled up beyond all recognition ” の略で「見る影もないほどひどい状態」の謂。地方の高校教師を夫に持つ妻が地元民をモデルに小説を書いたことから起きる家庭内悲劇を突然の訪問者の視点から描いた「ヒポクリッツ・ジャンクション」。禁酒法時代のとある地方都市を舞台に、無実の市民が町中の実力者の口裏合わせにより追い詰められてゆく、この短篇集では異色のサスペンス劇「エド・ルービーの会員制クラブ」と、手を変え品を変え、読者を楽しませようとする作品の数々は、数え上げればきりがない。

なかでも、最も心に残ったのが、「ハロー、レッド」。船乗りを辞め、生まれ故郷に帰ってきた男が会いたかったのは、一人の赤毛の少女だった。かつての恋人は別の男と結婚し、娘ができていた。今では、はね橋の昇降機操作係となった男は、娘の父親に会いたいと伝言を頼む。垂直に対置された近代的な跳ね橋を操作する鋼鉄の箱と、その眼下にある河口に打ち込まれた杭の上に建つおんぼろな牡蠣小屋。少女は、毎日正午になると、父と自分用の昼食を対岸の食堂にとりに行くために渡り板を渡る。箱の上から望遠鏡でのぞき見る男は、事態を支配しているつもりだ。かつての仲間が注視する中、話し合いが始まる。やがて二人の男の対話が果て、最後に残った手札の一枚が、事態を逆転させる劇的な効果を見せる。「短篇小説の鑑」のような一篇。

ヒューマニストを標榜するヴォネガットの真骨頂のような作品である。ヒューマニズムというやつは、それを支持するだけで、錦の御旗をいただいた気にさせ、当人を自己批判を忘れた俗人にしてしまう。そのせいか、ややもするとその作品も、上っ面ばかりきれいなものになりがちだが、しっかりした構成と文章力があれば、人の心をうつような作品にもなる。

少し前の時代に書かれた作品だが、大森望の訳のせいか、洋書を思わせる洒落た装丁のせいか、古びた感じを受けず楽しく読めた。もう一冊未訳の未発表作品集があるという。刊行を楽しみに待ちたい。