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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『八月の日曜日』 パトリック・モディアノ

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表紙を飾るリトグラフがプロムナード・デ・ザングレなのだろうか。棕櫚の並木が海岸通に沿って消失点に向かって遠ざかっていく。地中海から差す光を受けて立つ男が曳く長い影から見て朝早くだろう。人通りのまばらな避暑地のものさびれた風景がパトリック・モディアノの作品世界を暗示する。趣味の良い装丁である。訳が堀江敏幸というのもうれしい。

舞台は南仏コート・ダジュールのニース。安ホテルに独り暮らし、一階のガレージを預かる「私」はガンベッタ大通りでヴィルクールと再会し、うらぶれ果てた相手の姿に戸惑う。七年前、写真家だった「私」はマルヌ河岸の水浴場を撮影中、シルヴィアと出会った。親しくなり、招かれたヴィラにいたのが夫のヴィルクール。当時の彼は「南十字星」という宝石を転売し、マルヌ河に浮かぶ中之島にプールつきのナイトクラブを造ろうという野心家の青年だった。その「南十字星」の首飾りをしたシルヴィアと、駆け落ちしてきたのがニース。宝石を売った金で暮らしていけるはずだったのだが。

モノクロームで撮影されたモンテ・カルロ湾の写真集に触発された「私」は、パリ近郊マルヌ河岸に今も残る水浴場の写真を撮り、写真集を作ることを考える。華やかなモンテ・カルロに比べ、マルヌ河岸はかつて娼婦や女衒たちが稼いだ金で建てた家が立ち並ぶ地区である。岸辺に建つヴィラの主、ヴィルクール夫人も隣接する撮影所の秘話を語る口ぶりから、過去を持つ様子がうかがえる。そのすべての登場人物が素性の知れないあやしい人々ばかりという、モディアノならではの人物設定は健在である。

観光客で溢れる避暑地で気ままに独り暮らしを送りながら、その実過去に囚われたままの今の「私」。人目を避け、二人で息を詰め、カフェやレストランに出向いては宝石を買ってくれる人を探していた駆け落ち当時。行方知れずとなった恋人を探して探偵のように手がかりを嗅ぎまわる「私」。断片的に回想される何層にもなった過去の記憶が、ねじれた時間軸の周りを回り出す。ほぐれるように浮かび上がってくる、男と女の逃避行の果てに起きたある事件とは。

ニースは、『暗いブティック通り』の探偵事務所長が隠棲先に選んだ土地。住み慣れたパリを離れても、時間を忘れたような古い建築や見捨てられたような安下宿を訪ね歩く手法は変わらない。相も変らぬ唐突な「置き去り」を主題に、愛する女を失った男の喪失感と、その謎を追う追跡劇を描くモディアノの筆は期待を裏切らない。一枚の写真の中からファム・ファタルをめぐる男たちの思いもかけぬつながりが浮かび上がる謎解きなど、巷に溢れるつまらぬミステリを超えているとさえ思うのに、時系列を追って書き進めば純然たるミステリにもなろうかというモチーフを、あえて時系列を歪め、近い過去と遠い過去を現在時のなかに挿入するという語りの手法を用い、単なるミステリにしない。

マルヌ河岸とニースのどちらにもあるプロムナード・デ・ザングレという地名をはじめ、ルフランのように繰り返し使われる同語反復。河岸と海岸を照らす光と影、亜鉛の屋根をたたく侘びしい雨音と紺碧海岸の上にかかる青空、安定した職業というものに無縁の正体の知れない、かといって危険というのでもない、妙に人擦れのした、地続きでどの国でも生きていける大陸に暮らす、根無し草のような人々。そんなモディアノ世界の住人たちが、ふと曲がった曲り角の陰から顔を出してはまた消えてゆく。何ひとつ確かなものなどなく、すべては仮象でしかない、人と人とのつながりさえも。一度この世界の空気を呼吸すると、他の濃密な空気が耐え切れなくなる、そんなパトリック・モディアノの世界がここにある。