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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『黄金時代』 ミハル・アイヴァス

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世界をその中に収めた「一冊の本」という概念は、マラルメに限らず、すべての読書人にとって見果てぬ夢なのだろう。ここにもその夢にとり憑かれた一人の作家がいた。その本を見つけたのは、ある島を訪れた折のこと。その島とは文化人類学者らしい語り手が三年間にわたって逗留し続けた名もない島で、北回帰線上の大西洋にあるカーボベルデカナリア諸島の間に位置している、という。

もちろん架空の島であることは言うまでもない。だが、本書の半分は、その島についての片肘張らない報告書といった体裁をとっている。その奇妙な本が存在するに相応しい島の存在が、本の約半分の分量を占めているのだ。島の地形から語りだされる島民の奇異とも思える暮らしぶりは、『ガリヴァー旅行記』や、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を想起させる。つまり、単に珍奇な習俗としてではなく、ヨーロッパ的な論理や思考を相対視させる力を持って描き出されている。

ヨーロッパから来た征服者たちがデルタ地帯に開いたローマを思わせる碁盤上の「下の町」を見下ろしながら、垂直のヴェネツィアとも呼ぶに相応しい、崖を流れ落ちる水を壁代わりにした岩棚に造られた「上の町」に住み、固有名を持たず、家族や夫婦といった固定的な関係を持とうとしない島民の在り方は、ヨーロッパが代表する現代人に対する、アンチテーゼとして読める。流れる水の壁に映る光や、その音を日がな一日愉しんで倦むことを知らない島民は、西欧の対極に当たるものとして、日本人に喩えられもするが、そこに美的なものを求めない点で異なるとされる。

沁みに名前をつけ、そのアモルファスな形状に意味を見出すところや、腐敗に近いところまで熟成させた食物を愛する点など、モノとモノとの間に境界線を引き、分離し、整理する西欧的な論理と相容れないある意味オリエンタルなユートピアを想像させるが、語り手はそこにユートピアめいたものを見出してはいないし、オリエンタリズム的な歪んだ飾り立ても廃している。あくまでも、非西欧的な習俗を持つ島としての意味しか持たせてはいない。ただ、島民の誰でもなることができる「王」の仕事が一日中海を見ているだけで侮蔑的な存在とされているところなどに、やや風刺や皮肉が感じられる。

その島民が読む本だが、レポレロと呼ばれる蛇腹式の本は、挿入や削除が自由で、付箋が貼られたり、ポケットが設けられたり、という存在様式は、今なら容易に想像できるようにリンクにリンクが張り重ねられたハイパーテクストのようなものだ。もっとも、語り手は、パソコンに向かってキイボードを叩いているらしいが、島の本はアナログそのもので、水に晒されれば文字は消えてしまう。しかもそれは一向に構わない。また新しい文が書かれ、別の本が成立するだけのことなのだ。

さて、残りの半分は、その本に書かれていた物語の紹介になる。帯の惹句に「千夜一夜物語は完璧にアップデートされた。ボルヘスが冥土で悔しがっている」とあるように、まさに入れ子状になった物語が、今はプラハで暮らす語り手の記憶に残るバージョンで披露されるというしかけ。前半の思索的な体裁はどっかへ打っ棄ってしまったかのようなはしゃぎぶり。プラハ生まれの詩人、哲学者もやはり人の子。こういう想像力の増殖する物語の誘惑には耐えられなかったのだろうな、と苦笑してしまった。

仲のよかった二人の王が一人の女を同時に愛したために起きる惨酷な悲劇が、幾重にも折りたたまれた物語の層をつくり、フラクタルな図像やエッシャーの絵を思わせる無限回廊にも似たタピスリーを織り上げてゆく。水でできた彫刻を作れという、王の無理な命令を承諾した彫刻家が創りあげたのは、ジェル状の水の中に人食い魚が生息する彫刻。題材はダイオウイカに襲われる王の姿。語り手は、物語の続きを語ることを何度も中断し、別の物語を挿入して脱線を繰り返すのは『千夜一夜物語』に準じる。最後には、冒頭だけを提示し、後は読者が自分で続けるように勧めさえする。誰の中にも物語りは秘められている。それを語りださなければ自分について知ることはできない、というのが語り手の持つ強迫観念なのだ。

前半の文化人類学者の紀行文的考察、後半の目くるめく異郷の物語群。どちらを好むかは読者の資質に寄るだろう。後半の物語、面白さは保証するが、鏡や迷宮のモチーフは重用されるものの、ボルヘスを引き合いに出すほどのものではない。既存の物語の意匠やモチーフを換骨奪胎し、アレンジして見せたまで、というよりも、作り話とは常にそういうものだったではないか。評者などは前半のかつて滞在した島の奇特な風習を懐かしがるわけでも、厭わしく思い出すわけでもない淡々と語るその口調にむしろ好感を抱くものである。