青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『プードル・スプリングス物語』レイモンド・チャンドラー+ロバート・B・パーカー

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愉しむために本を読んでいるはずなのに、いろいろな本を読んでいると、心がささくれ立って感じられることがある。そんなときは、お気に入りの作家の本を読んで、気晴らしをするに限る。それで、何冊か新しい作家の本を読むごとに、馴染みの作家の書いた本を探すことになる。ル・カレのように、まだ新作を書いてくれる作家はいいが、死んでしまった作家の新作は読めない。村上春樹のように、定期的にチャンドラーの新訳を発表してくれる奇特な訳者がいて、大いに助けられているが、次回作を待つ間が長すぎる。

それで、『黒い瞳のブロンド』のような別の作家によるマーロウ物に手を出すことになる。『プードル・スプリングス物語』は、チャンドラーが第四章まで書いたところで他界し、遺作となっていたのを、ロバート・B・パーカーが後を書き継いで完成させたもの。厳密にはチャンドラーの作品ではないが、前々から気にはなっていた。パスティーシュとしての『黒い瞳のブロンド』には、あまり満足できなかったので、今回も心配しながら読みはじめた。

『プードル・スプリングス物語』は、『長いお別れ』の続篇ではないが、そこで知り合ったリンダ・ローリングとの関係が重要な主題となっている。二人は結婚し、高級住宅地であるプードル・スプリングスに新居を構える。富豪の娘と結婚しても、マーロウは私立探偵を続けている。近くのガソリン・スタンドの二階にオフィスを借りると早速依頼が舞い込んでくる。クラブ経営者のリピイが借金の借りを返さず姿を消したままのレス・ヴァレンタインという写真家の居所を探してほしい、というのだ。

レスの妻というのが、リンダの友人でやはり大金持ちのブラックストゥンの娘ミュリエル。夫は仕事で出かけていると言うので、出先をあたるがどこにもいない。手がかりらしきものを探すうちにマーロウはとんでもない秘密を見つけ出す。それと、いつものように彼の行く先々に死体が転がっているという始末。大金持ちの妻と、プールと気の利いた使用人つきの豪邸に住み、毎日自宅からオールズで砂漠を挟むロス・アンジェルスまで長距離通勤する私立探偵、というパロディめいた設定に、正直最初は面食らったが、いざ仕事にかかると、いつものテンポで話は流れ出し、ちょっと安心した。

解説代わりに附された「ハードボイルド雑感」という文章の中で、作家の原尞がハードボイルド私立探偵小説には二つの型がある、一つは「探偵の調査活動そのものが物語の骨子をなしている型」で、もう一つは、そこに「読者にとってはどうしても読みすすんで答えを見出したくなる要素を付け加える型」だ、という説を述べている。チャンドラーの主要な長篇では、『長いお別れ』を除く六作が前者で、テリー・レノックスとマーロウの友情の発端から終末までの物語を描いた『長いお別れ』が後者である。そして、本作もまた、後者に属するものとしてパーカーは書いている。いわずと知れたリンダとマーロウの新婚生活がどうなるのか、という主筋とは異なる別の物語が待っているからだ。

本筋の方だが、いまや岳父となったハーラン・ポッターの同類の大富豪や、その凄腕の用心棒、女を誑かせる強請り屋まがいのポルノ写真家、ごろつき同然の刑事、といったお馴染みの連中に、バーニー・オウルズまで顔を揃え、チャンドラーらしさ溢れた仕上がりとなっている。そのチャンドラーらしさをどこに持ってゆくかで、作品の風情というものが違ってくるのだが、パーカー描くマーロウは、へらず口はリンダを相手にするとき以外は封印して、強面相手にフルネルソンをきめるなど結構タフガイらしきところを見せている。雨の波止場で、トレンチ・コートに身を包んだ早撃ちの用心棒と同じくトレンチ姿のマーロウが対峙するところなど、様になりすぎて恥ずかしいくらいだ。

その一方で、感傷的で「俺はロマンティックな探偵だ」と嘯きながら、どうしようもない屑みたいな男に惚れぬいた女の子エインジェルの泣き顔を見たくないために、警察にも依頼主にも真実を隠しとおすマーロウ。パーカーが胸に抱くマーロウ像は、案外センチメンタルなヒーローのようだ。リンダに対して、金も力もない自分にあるのは自分であり続けることだけだ、というマーロウは、われらがマーロウ、と喝采を送りたいところだが、一晩留置所に入れられただけなのに、ハーラン・ポッターお抱えの弁護士が迎えに来ると、唯々諾々と釈放を受け入れるのはリンダのためとは思っても、少々焼きが回ったのではないかと考えてしまう。

事件の解決に至る思考過程も、いつもほど明解ではなく、マーロウは最後まで真犯人を決めかねている。チャンドラーが、どう考えていたのかは分からない以上、本筋の事件解決は後を書き継いだ作家の責任になるわけで、いろいろと逡巡があったにちがいない。随所に見られる、ある種の女性に対する辛辣な表現も含め、結果的にはチャンドラーらしさを感じさせることに成功しているのではないか。

もう一つの物語、リンダとマーロウの新婚生活の方だが、こちらはどうだろう。人によって意見は違うだろうから、個人的な見解として言わせてもらうのだが、チャンドラーだったらこうは書かなかったのでは。いかにもアメリカ人が好みそうな楽天的な展開に、もう少し屈折した、余韻の残る終り方はなかったのだろうかと溜息が出たのだが、四章までの書きぶりを考えると、こういうラストもありなのか、とも思った次第。いずれにせよ、すべての読者をして満足させることは不可能な試みではある。上々の出来としたい。