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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『歩道橋の魔術師』 呉明益

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表題作の題名どおり、歩道橋の上に店を出す魔術師を各篇のつなぎに使った連作短篇集。時は1980年代初頭。今はなき台北の一大商業施設「中華商場」を舞台として、そこに暮らしていた少年たちの出会いや別れ、初恋、死といった、いずれも少し胸の奥がいたくなるような挿話が、いかにもアジア的な喧騒と混沌に溢れた稠密な建築構造物をバックに、静謐でノスタルジックな光景として束の間よみがえり、やがて消えてゆく。あえかな過去をふりかえる回想譚、全十篇。

カメレオンのように二つの目が別の方向を見ているような目をした「魔術師」は、大人が見れば奇術の道具とその解説書を実演販売する隻眼義眼の大道芸人なのだろうが、商場から一歩も出たことのない少年たちにとっては、見も知らぬ世界の奇蹟を披瀝する、まさに字義通り魔術師であった。小さい頃、家業の靴屋を手伝い、歩道橋の上で靴の中敷や靴紐を売っていた少年の向かいで店を出していたのがその男だった。歳をとり、今は物書きとなったかつての少年は、歩道橋の魔術師について語ろうと思いつく。記憶をたどり、昔なじみにも話を聞いて書き綴ったのがこの連作短編集、という体裁を採っている。

巻頭に置かれた表題作を除けば、魔術師その人について触れた文章はわずかである。今は成人し、それぞれの世界へ巣立っていった幼友達との共通の思い出が、歩道橋の上にチョークで描かれた円の中で、黒い紙から鋏で切り抜いて作った小人を踊らせる魔術師だった。各篇の主人公は、同じ時代、同じ故郷を共有する作家に、昔の思い出を語るのだが、そのどこかに歩道橋の魔術師がほんのワンカットだけ顔をのぞかせる。それが趣向。屋上のネオン塔の下に寝泊りする魔術師は、寝袋とわずかな荷物の中に本を忍ばせており、少年にとっては謎のような言葉を呟いてみせる。魔術師は少年時代と以後の人生を板一枚で隔てる扉のようなものだったのかもしれない。

少年たちの人生は魔術師と出会い、話をしたり、魔術を目のあたりにしたりすることでほんの一時、それは瞬時であったり、長い場合は三ヶ月であったりするのだが、ここではない別の世界を垣間見ることになる。DVに我慢できなくなった少年が神隠しにあったように消えてしまった後、姿を現したとき、自分はずっとそこにいたが周りからは見えていなかったようだ、と語ったり、姉がいなくなって寂しがる少女がノートに鉛筆書きした金魚をビニル袋に入れてもらったり、束の間、辛い現実を忘れさせるような経験をするが、やがて魔術は消え、彼らは現実の世界にもどることになる。

訳者は本書を「三丁目のマジック・リアリズム」というコードネームで呼んでいたというが、魔術師の見せるマジックは南米の作家が見せる玄妙不可思議で永遠にも思えるほど長時間浸っていられるような魔法でなく、紙製の人形や金魚といった、ささやかで、ちまちました魔術しか使わない。大勢の人間が暮らしながらそれぞれが小部屋暮らしで便所は共同という日本なら昭和を感じさせる舞台には、壮大なマジックは似合わないということか。この身の丈にあった魔術がなんとも心に沁みる。

連作短編の一篇一篇はどれも甲乙つけがたい水準以上の出来。言い換えれば、これが最も素晴らしいというような飛びぬけた出来のものはない。連作を意識したことでそうなったのかもしれない。昔顔見知りだった人の数奇な人生を人づてに聞くというスタイルをとる以上、放火や自殺といった悲劇的色彩の強い話も、思い出話という枠組みで濾過され、時間の望遠鏡越しに覗き見る地獄図絵からは熱も臭いも阿鼻叫喚もすっかり拭い去られ、悲しさや憎さといった感情は、今は上澄みのような透明な思いとなって静かに語られる。

後に恋人を殺して自死する男が店の前で弾き語りで歌うのが、ジェイムズ・テイラーが自殺した友人のことを歌った Fire and Rain であったり、その男にもらったレコードがジョニー・リヴァースによる「秘密諜報員ジョン・ドレイク」のテーマだったり、少し前の昔話という立ち位置をとっているところに、ある世代の読者は懐かしさを覚えるだろう。呉明益は1971年台湾台北生まれ。台湾の新世代を代表する作家として評価が高い。邦訳としてこれが本邦初訳となる。ふとしたはずみで、人生に躓いてしまう人々のそれぞれの身の処し方をさらりとなぞる手つきが重すぎず、軽すぎず、しみじみと心に残る。個人的には長毛種の白猫と暮らす「唐さんの仕立屋」が身につまされた。