青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『世界収集家』 イリヤ・トロヤノフ

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リチャード・バートンと聞いて、リズ・テーラーの夫だったこともある英国のハムレット役者を思い出す人も今は少なくなったかもしれない。僕等の頃は、まずそちらだった。もう一人のリチャード・バートンが何で知られていたかといえば、子ども向けの『アラビアン・ナイト』ではなく。大人向けに書かれたきわどい話の満載された『千夜一夜物語』の英語版の翻訳者としてである。バートン版による大宅壮一訳の日本語版が当時出版され話題になっていた(後に全巻読破した)。ほかに『カーマ・スートラ』も訳している、と聞けば興味津々ともなろう。

リチャード・フランシス・バートン(1821-1890)が、ナイル川の源流を探してアフリカ奥地を探検した探険家としても知られていたことは、映画『愛と野望のナイル』によって知った。博学であるだけでなく果敢な探険家でもあった人物に俄然興味が湧いた。そのリチャード・バートンの三度にわたる冒険旅行を小説にしたのがこの書である。第一部英国領インド、第二部アラビア、第三部東アフリカの三部構成。史実や資料は参考にしているが、小説である。といっても、別段ドラマティックな展開になっているわけでもない。著者が虚構と断っているのは、記述の工夫を指してのことであろう。

というのも、主人公はバートンだが、語りの中心になるのはバートンではない。第一部では、ヒンドスタニー語と英語がしゃべれることで雇われた従者ナウカラム。東アフリカ篇では、シディ・ムバラクボンベイという名のガイドがバートンについての見聞を第三者に話して聞かせるという体裁をとっている。バートン自身の手記が主となるアラビア篇においても、バートンをスパイと疑う総督と、彼を擁護するシャリフ、カーディーという現地の統治者たちの鼎談がバートンの語りと交互に配されていて、本人以外の視点導入による物語の多視点化という目論見は一貫している。

多視点で語る目的は、英国人仲間に交わろうとせず、現地のいかがわしい者たちと交流していたことから、本国ではスパイとも山師とも評され、いわくつきの人物として有名なバートンの行動の意図がどこにあったのかを明らかにするということになるのだろうが、映画『羅生門』の原作である芥川の『藪の中』では、三者三様の視点から事件を読み解くことで、真実というものが如何に相対的なものであるか、ということが焦点化されていたように、複数の人物の口を借りて語られるバートン像がひとつの人物像に重なることはない。

当時の大英帝国は世界各地に探険家を送り込んでは測量し、地図を作成し、せっせと領土拡大にいそしんでいた。バートンとてその一員であった。ただ、他の英国人のように未開の地を版図に納めることが目的ではなく、その地を訪れ、見知らぬものを目にし、現地の習俗に触れ、実地に体験することが彼の目的だった。そのためには、自分の故国や信仰などはなんの躊躇いもなしに棄てることができた。彼は、イスラム教を知るために割礼までし、識者とコーランについて論じ、命がけでメッカに巡礼しさえしている。

かといって、イスラム教に宗旨替えしたというのではない。その地の人々を知るには、同じ言葉を話し、同じものを食べ、同じ神に祈ることが必要だったからだ。これは、今なら文化人類学者の領域だろう。ヴィクトリア朝の英国にあって、バートンの真意は周囲に理解されるものではなかった。その語学力や民衆に好かれる魅力、死を恐れない行動力等を買われて、統治する国の人々の真意を探る任務についたことはスパイであったともいえるが、バートンはむしろ現地人になりきることを望んでいた。彼は現地の人々を理解しようともせず、利益だけを得、ヴィクトリア朝の偽善的な道徳や法で人々を律する英国のやり方をつねに批判し続けた。

未知の世界について知ろうとするとき、ともすれば既知の世界からの類推をもとにして、それらを収まりのいいところに整理し、秩序づけようとしがちである。そうすることで世界は今のままで安定し、揺るぎのないものとしていつづけることができる。これは未知を嫌い、既知を頼りとする生き方である。それに対して、つねに未知の領域に魅力を感じ、それを発見し、そこに生きることに喜びを感じる生き方を尊ぶ人々がいる。冒険家や探検家といわれる人々がそれである。バートンという人は、「見聞きする人」であり、「書く人」であった。どんな辺境の地にあっても、大衆の中に混じり、人の話や歌声に耳を澄ませ、紙片にメモを書き、孤独な時間を確保しては一日の出来事についての考えをまとめることを日課にしていた。

バートンがただの探検家でなかったことは、その書く行為に対する執着の深さが物語っている。しかも、自分が書いていることを見られるのを異常に厭う。現地人にとって、目の前の自然は当たり前の存在であってわざわざ書くに価することなどない。探検家にとって旅の目的は未知なる土地の発見である。その過程で目にするものにさしたる価値などない。バートンは、自分が一緒にいることを選び取った人々の中にいても孤独であった。いや、むしろ孤独でありたかった、といえる。だから、時間を奪うようにして書いたのだ。書くという行為は、世界を意味づける行為である。バートンのペンによって、世界はその姿を現すからだ。なんという興奮。

この小説は、バートンの近くにいて、彼を愛しながらも、心の底を知ることのできなかった従者たちの語りによって紡がれている。彼らにとって世界は何の謎もなくそこに存在している。それはインド人やアラビア人、アフリカ人といった人々だけのことではない。バートン以外の自分が英国人であることを疑わない在外英国人にとっても同じことだ。英国人でありながら、英国人でなく、インド人やアラビア人になりたがったバートンという人物は奇矯な人だったのだろうか。そうは思えない。西洋人らしい合理性や人権意識を保持しつつ、ヒンドゥー教の奥義やイスラム教の神への法悦境を感得できたなら、それはとても素晴らしいことだ。

二十一世紀を迎えても、キリスト教世界とイスラムの人々が住む世界とは相も変らぬ角逐をくり返すばかりだ。独善的で偏狭な世界観は他者を理解するゆるやかで広がりのある視点を持ち得ない。視点を覇権国家の側に置く限り、その位相に変化が起きることはまずあるまい。この小説を読んで共感できるのは当然ながら視点人物であるインド人従者やアフリカ人ガイドたちのほうだ。彼らが繰り出す古くから伝わる逸話や挿話が、深い知恵を帯びて人間理解を促すことに思わず愉しさを覚えた。彼らはその人格についてとまどいながらもバートンについて語り続けずにはいられない。それは彼らがバートンを大事に思っているからだ。理解は出来なくても人は他人を愛することができる。それはとても素敵なことだと思う。著者の語りの工夫は充分に功を奏しているといわねばなるまい。