青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『つかこうへい正伝(1968-1982)』 長谷川康夫

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演劇界において、今も「つか以前」、「つか以後」という言葉が残るほど、不世出の演劇人つかこうへいの「正伝」である。つかこうへい率いる劇団の役者、スタッフの一人として、そのあまりにも伝説的な芝居がどうやって作られていったのかを間近に体験した者でなければ到底書き得なかったであろう。どちらの意味でも「あつい」本だ。

なぜ、この本が書かれねばならなかったかは、前書きに詳しい。ひとつは、つかに関する論議の中心が、90年代以降に偏っていることに対する不満である。つかこうへいについて語ろうとするなら、演劇に関わるようになってから劇団解散までの時期をこそ問題にしなければならない、というのだ。事実、評者が、つかこうへいについて思い出すのは、沖雅也が銀ちゃんを演じた『蒲田行進曲』からである。テレビで二枚目役を演じる俳優の思わぬ熱演振りに、この役者をこうまで変えた、つかこうへいという人間に興味が湧いたのだ。その後も牧瀬里穂阿部寛といったルックスで認められたタレントが演技派に開眼していくのを不思議な思いで見ていた。

いまひとつは、在日韓国人という出自から、その名前「つかこうへい」が、「いつか公平」から来ている、だとか、『熱海殺人事件』のなかで犯人役の役者が胸につける「金」の字には意味があるといった、諸々のとってつけたような後づけの解釈に対する異議申し立てがある。よく知られるように、つかの稽古は「口立て」で行なわれる。台本にあるセリフを役者がしゃべるのに対し、つかが駄目だしをするのだが、そのすべてをつか自身が口に出し、役者はそれを復唱する。その際に役者とつかの間で何かの反応が起き、セリフはどんどん変化し増殖してゆく。その結果、元の台本など跡形もなくなってゆくのだ。

つかこうへいの芝居にあっては、一般の劇で考えられるような、戯曲が先にあって、それをもとに演出家が役者に演技指導をするというプロセスをとらない。だから、同じ演目であっても、役者が替われば、まったく別の芝居になってゆくことも多い。つかが同じ演目を何度も舞台にのせるのはそこに面白さを感じているからであって、それが特徴的なのは、つかこうへい劇団を解散した後、活動を再開した90年代ではなく、第一期(1968―1982)である。ところが、それをリアルタイムで見聞している関係者は限られている。つかの死後、誰かが、それを語るべきだと考えてきた仲間の要請で、この本は書かれた。もともとはムックのような体裁を考えていたものが、このように厚い評伝となったのには、書き手の側の熱い思いがあったからだ。

それにしても、つかこうへいという人物には尋常でないところがある。稽古で役者を徹底的にいたぶり、侮蔑し、立ち直れないほどのダメージを与えておきながら、翌日にはすっかり忘れたような扱いをしたり、役者が稽古で上手に演じ、少しそれが鼻につき始めたとたん、それが主演であってもを交代させるなど、人の気持ちなどまったく無視した冷酷な仕打ちをして見せたりする。かと思えば、ずっと自分のしたことを覚えていて、何年もたってから、それに見合う何かをプレゼントしてみせる。傲慢なようでいて繊細な気遣いを併せ持つ。そばにいたら迷惑しそうなキャラクターである。

著者は、早稲田に入学する以前から、つかと面識があった。当時つかは慶応に籍を置きながら、早稲田小劇場の鈴木忠志に台本を見てもらったりしていた。その頃から、商売上手なところがあり、少しずつ名が売れてゆく。人の褌で相撲をとることが上手い、つかのやり方は、傍目から見れば傍若無人だが、人たらしの名人で、周りの学生仲間はいつのまにやら好いように手玉に取られ、つかのやることに巻き込まれてゆく。それに対して不満を持つ者は、三浦洋一のように初期からの中心メンバーで、主演級の役者であってもいつか離れてゆく。最後まで離れずにいた者でなくては、これだけの評伝は書けなかっただろう。

つかの芝居には幾つもの捩れ、屈折がある。感情をむき出しにした長台詞が特徴的だが、一つのセリフの中でも、自分を哀れんで見せたかと思うと、すぐにそれを自ら笑いものにしたりする。人間としての感情の振幅が激しく、その振れ幅が異常に大きいのだ。それだけに傍にいる者は、近づきすぎれば火傷をし、何日もその傷みは引かない。が、しばらく会わないでいると無性に恋しくなるような、そんな人だったらしい。

著者は舞台の照明もやれば、小説を書く作業の協力者として、現場取材をこなし、時には執筆にも携わった。しかし、何よりも俳優として、「長谷川やってみろ」と、声がかかり、『蒲田行進曲』の銀ちゃん役を稽古で演じながら、最後の最後で風間杜夫に代えられてしまう。しかし、それを憾むのでなく、風間の演技をちゃんと認める。芝居が好きなのだ。もちろんのことながら、これはつかこうへいの一時期を克明に描いた評伝である。しかし、それだけにはとどまらない。これはある時代の日本の演劇界に生きたひとりの人物の目を通して描かれた若い役者たちの群像劇でもある。

蒲田行進曲』初演の舞台で小夏役を演じた根岸季衣が映画に呼ばれなかったのを気にして、つかはネックレスを贈ったという。つか一流の気遣いだが、四万七千円のそれが、つかにかかると四十万にも五十万にも話がふくらんだことを、根岸は笑いながら明かしている。いかにもありそうなエピソードだ。他にも石丸謙二郎がサーカス巡業のアルバイトが楽しすぎて、つかの呼び出しに答えようとしなかったとか、信じられないような逸話が、これでもかというくらい満載されている。つかこうへいをよく知らなくても、存分に楽しめる一冊になっている。