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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『アーサーとジョージ』 ジュリアン・バーンズ

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シンプルなタイトルが示しているとおり、英国小説ならではの評伝を踏まえたもの。丸谷才一氏に寄れば、何故か英国人という人種は、伝記の類を読むことを好むらしい。アーサーとジョージという二人の人物の少年時代からアーサーの死までを伝記風に追ったものである。交互に登場する二人の人物のうち、アーサーの方は、こう紹介されるのは本意ではないことはあくまでも承知の上で書くのだが、あの『シャーロック・ホームズ』シリーズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイル。ジョージの方は、この事件以外では無名の司祭館育ちの実直な事務弁護士ジョージ・エイダルジ。本来なら出会うこともなかったであろう二人の人生が、ある事件をきっかけに交差する。

その事件とは。一九〇六年ジョージの暮らす司祭館近くで、馬が腹を切られて死ぬという事件が立て続けに起き、その犯人としてジョージが逮捕される。無論、語り手はジョージの行動について、ジョージの側の視点で語っているわけで、ジョージは真犯人ではありえない。しかも、それ以前から司祭館の周りでは、不審者がうろつき、壁の落書きや脅迫の手紙などの嫌がらせが相継いでいた。ジョージの父である司祭は警察に被害を届けるが相手にされず、馬やポニーの腹が切られる事件が起きると警察はジョージを逮捕し拘留する。

無罪の訴えも空しく、裁判の結果七年間の懲役刑が与えられ、ジョージは服役することに。理不尽な裁判に対し、支援者が声を上げたこともあって、ジョージは三年目に放免されるが有罪は変わらず、事務弁護士の資格は奪われたまま。冤罪の汚名をそそぎ、三年間の懲役に対し補償を求め、ジョージは雑誌に記事を載せる。当時、私立探偵シャーロック・ホームズの活躍を知る多くの読者が、難事件の解決に作者コナン・ドイルの登場を願う手紙を書いた。アーサーは、そのほとんどに秘書を通じて断りの手紙を書かせていたが、病気の妻を持つ身でありながら、ジーンという恋人が出来たことで悩み、意気消沈していたアーサーは、たまたま目にした事件の内容に憤慨し、自らが乗り出すことを決める。二人の運命が交差する機縁であった。

交通手段が馬車から自動車に変わろうかという時代を背景に、シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイル本人が、秘書で助手を勤めるウッドをワトソン役に、探偵役を務めるという魅力的な設定がある。自身が医者として勉強中、ジョゼフ・ベル医師の患者を見る観察眼の鋭さに驚かされ、眼科医となってからもそれを実地に応用したことが名探偵シャーロック・ホームズの登場シーンに活かされたというエピソードを地でいく鋭い推理による真犯人探しは、凡百のミステリの顔色なからしめる出来映え。

さらには、無実の青年が悪意によるのか無知のせいか、明らかな証拠が無視され、被告側に不利な証言、証拠が列挙され、次第に追い詰められてゆく法廷劇の出来がまた秀逸である。自身が弁護士であり、鉄道に関する法律のガイド本の著者でもあるジョージは官憲や裁判所、つまり法の下の正義を信じている。自分を弁護してくれる弁護士二人は有能で熱心でもある。しかし、裁判自体は思うように展開しない。冷静で落ち着いた被告の答弁は、陪審員にはかえって被告の有罪を裏付けるものとしてとられるなど、すべてが裏目に出る。有能な弁護士が客観的に自身を被告とする裁判の過程を凝視する。事態がどんどんよくない方向に進んでいくのをあくまでも冷静に凝視するジョージという人物の創出が凄い。

アルコール中毒で病院に送られてしまう父を見て育ち、自分が母を守ることを幼い頃から心に決めたアーサーは、騎士道物語を語って聞かせる母を愛する少年として育つ。長じて、学生仲間に自分が作った話を語り聞かせる人気者となり、クリケットやゴルフ、スキー、ボクシングとスポーツ万能の大男となっても、騎士道物語そのままに母や姉妹を守り、妻を大事にする家長となる。思いつきで書いてみた探偵小説が思わぬ人気を呼び、本来書くべきであった歴史小説より評価されるのは面白くないが、屋敷を建て、庭にモノレールまで敷設できるのだから文句はない。行動的でエネルギッシュなアイルランドスコットランドの血を引き、母方の祖先はプランタジネット朝まで遡れる名門出身のアーサーは、自伝をもとにして描かれているのだろう、自分本位なマザコン男だが、どこか憎めない。ワトソン役のウッド、二度目の妻ジーンもいい味を出している。

イングランド国教会の司祭を父に持つジョージは、自分では典型的なイングランド人だと思って育つ。しかし、事件が起きるようになると、父はパールシーの話を持ち出し、ジョージを諭す。パールシーとはペルシャ系のゾロアスター教徒のことであり、ジョージの父はボンベイ出身のパールシーであったが、スコットランド系の母と結婚し、自身もイングランド国教会の司祭となってこの地に赴任した経緯を持つ。肌の色のちがうこともあって、少年時代ジョージはいじめにも会っている。しかし、ジョージ自身はそれが人種による差別だとは微塵も気づかない。杓子定規に法の下の平等を信じている。賢い父と優しい母、しっかりした妹という家族に守られ、道徳的な若者に育ったのだ。

三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、人は大きくなっても子ども時代の人格を保ち続ける。アーサーとジョージもその例に漏れない。アーサーの尽力により、真犯人らしい人物が割り出されるが、ジョージはそのやり方に、自身を犯人扱いした警察と同じ、思い込みにはじまる推論と不法な証拠集めを認めてしまう。直情径行で思ったら行動してしまうアーサーと自身に有利であっても法的に問題があれば認めようとしない、頑ななジョージ。この対照的な二人の人物像がこの小説を面白くさせている。

ジュリアン・バーンズにしては、ずいぶん正攻法の小説に思われるが、時代小説として当時の出来事を絡めたり、アーサーの友人、知人にキプリングオスカー・ワイルド、ウェルズなどの文士連中が顔を出し、楽屋落ちのような打ち明け話を聞かせるあたりにバーンズらしい工夫があり、愉しませてくれる。二段組で約五百ページという分量だが、少年時代を記す淡々とした文が、二人が成長し、アーサーは恋愛に夢中になり、ジョージは事件に翻弄され出すあたりから俄然筆が熱を帯び、二人が出会い、事件の解明が始まると手に汗握る面白さとなる。しかし、最後には静かな余韻を残し、小説は終わる。このリズムがなんとも心地よい。

前作『終りの感覚』で打ちのめされて以来、ジュリアン・バーンズの次回作を楽しみに待ち続けていた。読後の印象は前作と比べようもないが、期待は裏切られなかった。オスカー・ワイルドが披露した小咄で、悪魔がなかなか誘惑に屈しない賢者に、友達が出世した話を耳打ちすると、賢者の顔が嫉妬で醜く歪んだ、というのが身にしみた。不意打ちのように襲い掛かってくる、この種の洞察にあらためてジュリアン・バーンズらしさを感じた。次の邦訳が待ち遠しい作家である。