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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『異国の出来事』 ウィリアム・トレヴァー

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トレヴァーといえばアイルランドという固定観念の裏を行く、異国を旅する話ばかりを扱った異色の短篇集。これには意表をつかれた。「アイルランドの片田舎で過ごした少年時代に最も影響を受けたのが映画や探偵小説だった」と告白しているトレヴァー。誰もが顔見知りの閉鎖的な世界を抜け出し、いかにも異国情緒に溢れた都市や遺跡を舞台に据えることで、いつになく華やかで流麗な小説世界を繰り広げてみせる。ストーリー・テラーとして定評のあるトレヴァーのこと、旅先のかりそめの恋や、運命の人との出会いを扱いながら、独特のひねりを効かせた展開で読者を翻弄する。

アイルランドの作家で、短篇の名手として知られるウィリアム・トレヴァーには故国を舞台にした作品が多い。登場人物もアイルランドの町や村で目にする、どこにいでもいそうな人々であることが今まで当然のように思っていた。自分の身のまわりにいるありふれた人々の日常のひとコマを、その尋常でない手際によって掘り下げ、えぐり出し、平凡に見える人々の裡にある思いもかけぬ真実を白日の下にさらしてみせる。料理に喩えれば、出来合いの素材を卓越した技術によってご馳走に変えてみせる名人のように思っていた。とんでもないまちがいだった。豪華な食材を使って絶品料理を作ることもあるのだ。

訳者によるトレヴァーのアンソロジーとしては、『聖母の贈り物』、『アイルランド・ストーリーズ』という短篇集が既にある。『アイルランド・ストーリーズ』がアイルランドの土地と歴史に根を張った作品を集めたものだったので、今回は移動する人々を描いた作品を集めてみようと思った、と「訳者あとがきにかえて」にある。一部アイルランドの田舎町も出てくるが、旅の主な舞台となるのは、スイスの湖畔、イタリアやフランスの避暑地、ヴェネツィアシエナフィレンツェ、パリ、イランの古都イスファファン、と華麗な都市の名前が並ぶ。

こんな街を旅しようと思ったら、いつもの庶民階級の人々ではつとまりそうもない。そこで、それなりの財産を持った人々が登場人物をつとめることになる。旅の種類も、転地療養をする少年と母、妻を亡くした父とその娘が思い出の地を訪れる旅、男と女の旅先での出会い、同じく旅先での旧友との再会、家出や帰省、と様々である。舞台もホテルの部屋、観光地の広場、鉄道の食堂車、レストラン、バー、と変化に富んでいる。旅の舞台に相応しく人々の愛憎劇もいつもに比べ、その意匠が華やかだ。

とはいえ、そこはウィリアム・トレヴァー。舞台が華やかであればあるほど、視点が楽屋裏にまわったときにはその落差がひときわ激しく感じられる。旅というハレの場では、人は知らず知らず自分を偽っている。自分が気づかないのだから当然相手も分からない。普通の小説だったら、その正体も暴かれることなく、それなりに無事結末にもっていけそうな話を、この作者は無慈悲とも思われる手つきでその上っ面を引き剥がし、人の心というものの実体をこれでもかというほど露わにして見せずにはおかない。短編小説の名手と呼ばれるのは伊達ではないのだ。

旅先で出会った女に自分から声をかけておきながら、女がなびきそうになると逃げ出す男を描いた「エスファファーンにて」は、ジョイスの『ダブリン市民』にある「痛ましい事件」に想を得たのではないか。失ったものの価値に気づくのにかかる時間が、ジョイスは四年、トレヴァーは数日というちがいはあるが、自分に正直な女と、相手に対して自分を開こうとしない男の出会いと別れを描いている点、男の視点で描かれ、最後も悔やみきれない自責の念で終わっている点など、共通するところが多い。こういう自己に拘泥して他者とのかかわりを拒否する男を描かせるとトレヴァーの右に出る者はいない。哀切な余情を湛えた一篇である。

誰もがなるほどと納得するような人物描写を一度はしておきながら、最後でくるりと裏返し、真実の顔を垣間見せるというのも、トレヴァーが得意とする手法だ。このアンソロジーにも何篇か収められている。南仏の高級別荘地で夫を召し使いのように扱う奔放な妻。友人たちはあまりの扱いに憤慨し、勢い夫に同情が集まる。浮気相手と思われる若いウェイターに妻が手渡す高額の金の本当の意味は…。「ミセス・ヴァンシッタートの好色なまなざし」は永年連れ添った夫婦にしか分からない愛というものの底知れない闇を描いて秀逸。

母の死で独りになった父を心配し、気儘なフラットの独り居を棄てて父と暮らし始めた娘が、思い出の地ヴェネツィアで、若い旅行者に声をかけ、バーに誘う父に幻滅する姿を描く。実は娘には既婚者の愛人がいて週末のセックス、プレゼント、旅行という生活に厭きがきていた。それを解消するためもあっての父との新しい生活なのだ。思い余った娘は溜まった思いを父にぶつける。父と娘のすれちがう思いがヴェネツィアの海霧に滲む「ザッテレ河岸で」。

周りの大人にははかり知れない思春期の少年の心をさらりと描き出すのもトレヴァーの得意とするところ。自分の出自に悩みながらも、それを隠してせいぜい悪ぶってみせる少年の汽車旅を描いた「帰省」も読ませる。たまたま行先方向が同じなため相席する羽目となった寄宿学校の副寮母が傍若無人な少年の言動についにキレてしまう。ふたりのやりとりの面白さは集中の白眉。

しかし、最も心に残る一篇はときかれたら、「ふたりの秘密」と答えるだろう。相続した財産を売却した金で悠々自適の暮らしを続けるウィルビーは、切手収集の目的で訪れた旅先のパリで、思いもかけない人影を見つける。子どもの頃、アイルランドの海岸でふたりして遊んだアンソニーだ。しかし、アンソニーは故郷から姿を消し、死んだと思われていた。小さい頃共謀してやった秘密の行為が、アンソニーのその後の人生を変えてしまっていたのだ。

他者は知らない秘密の出来事だが、自分ともう一人だけはしたことの意味が分かっている。自分のしたことに対して自分はどう責任をとるか。再会したアンソニーは自らに課した罰としての人生を生きていた。自らも閉じられた世界に生きることで安心立命の道を選んだウィルビーだった。「だがこの日の朝、ウィルビーの胸の内では、アンソニーの生き方を好ましいと思う気持ちが、自分自身を愛する気持ちよりもほんの少しだけ勝っている」。自分を律することができるのは自分しかいない。その厳しさにどう立ち向かうか、が問われている。ウィリアム・トレヴァーにしか描けない世界がここにある。