青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『独りでいるより優しくて』 イーユン・リー

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物語は小艾(シャオアイ)の葬儀のシーンからはじまる。この章の視点人物は三十七歳の泊陽(ボーヤン)で、彼は小艾の母の代わりに火葬場に来ている。小艾は伯陽より六歳上だったが、誤って或は故意に毒物を飲んだせいで、二十一年間というもの病いの床にあった。その毒物は、泊陽の母が勤務する大学の薬品室から盗み出されたものだった。その日、彼と共に大学を訪問していた同級生の黙然(モーラン)と如玉(ルーユイ)の関与が疑われたが、はっきりした証拠といえるものがなく、解毒剤の投与で命はとりとめたこともあり、事件は有耶無耶のままに終わった。

年齢の近い四人の若者とその家族は、中庭を囲んで四棟が方形を描く北京の昔ながらの住宅、四合院に住む隣人同士だった。小艾が、掲示板に天安門広場の事件についての政府批判を書いたことで大学を追われかけていたそんな折、如玉が大学進学のため北京に出ることになり、育ての親である大叔母の遠縁に当たる小艾の母親の家を下宿先に決めたのだ。一つの寝床を共有することになった二人だが、根は優しいが自負心の強い小艾と、養い親から厳格な宗教教育を受け、容易に他者に心を開かない如玉とは相容れなかった。

泊陽と黙然は大人になったら結婚するものと周りは勝手に決めていた。大学教授の母を持ち富裕層に属す泊陽は何故か祖父母の家から通学していた。根っからの善人だが特にこれといって目立つところのない黙然は、ひそかに泊陽に恋していた。そこへ突然舞い込んできたのが、怜悧で頑ななまでに自分の世界を守ろうとする如玉だった。何をするにも一緒の三人組だったが、泊陽は次第に如玉に惹かれていき、三人の関係は微妙なものとなる。この関係が崩壊するきっかけが小艾の薬物中毒事件だった。

章が変わるたびに、時間も場所も視点人物も交替する。事件の後、それぞれがたどった人生が三者三様に描き出される。如玉は米兵と結婚してアメリカに渡り、離婚。今は知人の紹介でいくつかの仕事を掛け持ちする毎日だ。黙然は中国の大学を出た後、やはり渡米し、中西部で出会った年の離れたジョゼフと結婚したが、離婚。化学薬品の研究所に勤めながら独り暮らしの日々。泊陽も結婚したが妻の不倫で離婚。気軽な独身暮らしを謳歌しながら若い女の子を誘惑することに楽しみを見出している。三人はその後一度も会っていない。

泊陽も黙然も誰から見ても明るく快活な若者だった。如玉もエキセントリックではあったが賢く有能で前途は明るかった。事件後、北京を去った二人に代わり、泊陽は小艾を看取ることを自分に強いた。黙然は、他者から自分を隔離するように孤独な生活を送り続けた。如玉もまた能力に見合わぬ賃仕事で自分を放擲していた。小艾の死を契機に、三人のその後の人生が動き始める。二十一年の長きにわたって人生から彼らを疎外していたものは何だったのか。小艾の中毒事件の真相が今明らかにされる。

主題は贖罪、或は自罰。黙然が薬品を持ち出したのは如玉であると証言したのを、嫉妬のためだろうと決めつけた泊陽は、小艾の緩慢な死に関しても、黙然の心を傷つけたことについても自分を許せなかっただろう。小艾が毒を飲んだ真相を知ることなしに、その罪の意識から免れることはまずあるまい。

如玉が薬品を持ち出したことを誰にも教えなかった黙然もまた、如玉がとめるのも聞かず薬品のことを当局に知らせることで、解毒剤を与える結果になり、即時の死ではなく生殺しという残酷な生を小艾に与えた、という負い目から逃れられなかった。せっかくジョゼフという伴侶を得ながら、五年でそのもとを去らねばならなかったのは、自分にはその資格がないと思ったからだろう。

幼い頃から、大叔母に神の存在を教えられ、自分を選ばれた一人と思い込み、他者との関係を顧みることのなかった如玉はそれを認めることはないだろうが、神などいないことを知った後でも、他者との関わりを持つことを自分に禁じていた如玉もまた自身を罰していた。如玉のアメリカ生活は流謫の生そのものである。

ウィリアム・トレヴァーに「ふたりの秘密」という短篇がある。少年の日に犯した秘密の罪が大人になっても自分を縛って放さない、自らを裁くのは自分しかいないという主題がよく似ている。訳者あとがきを読んで、この作家がウィリアム・トレヴァーの物語に語りかけることがよくある、と語っていることを知り、なるほどと思った。この作品自体は、エリザベス・ボウエンの未邦訳の一篇を念頭に置いたというが、どこかでトレヴァーの短篇が影を落としているのかもしれない。

強大な国家権力を相手に息を殺して生きる年長者に対し、正面から批判し弾圧された天安門事件の世代である小艾。それより六歳下の世代は、アメリカ人と結婚することで永住権を手に入れたり、不動産やIT関係の仕事で能力を発揮したり、と一見したたかな生き方をしているように見えるが、泊陽たちの生き方にも中国という国家の歴史は陰に陽に影響を与えている。中国現代史を背景に、運命に操られるようにして生きざるを得なかった三人の人生とその心理を鋭い視線で抉ってみせるイーユン・リーの人間観察力に舌を巻いた。

最後に、英語で書いているはずの小説の人名に何故、小艾、泊陽、黙然、如玉、という「名は体を現す」という言葉そのままの漢字名がついているのかと疑問に思ったが、訳者によれば作者の指定によるものという。表意文字である漢字を人名に使う民族の持つ強みといえるのではないか。キラキラネームで育った子どもたちが主人公になる時代、日本の作家は頭をかかえることにならねばよいが。