青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『邪眼』 ジョイス・キャロル・オーツ

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表題作のタイトルにもなっている「邪眼」というのは、<evil eye>(邪視)のこと。悪意を持って睨みつけることで、相手に呪いをかける行為を指し、世界各地に民間伝承が残る。邪視から身を守る護符のことをトルコでは、ナザールと呼ぶ。同心円状に色の違う円が描かれた、一見すると瞼のない眼のように見えるガラス細工である。

立て続けに両親を亡くした不幸から立ち直れずにいたマリアナは、勤め先の所長オースティンに慰められて生きる力を取り戻す。やがて四番目の妻となったマリアナは、ある日家具を動かしたという理由で夫の怒りの猛襲に見舞われる。職場では有能な上司ぶりを見せるオースティンは、家では自分の感情を抑制することができず、すべて思い通りにいかないと声を荒げる小児だった。

いつ機嫌が激変するかわからない夫の顔色をうかがいながら息をつめて暮らすマリアナ。別れて家を出ようにも、すでに帰る家もない。そんな時、夫の最初の妻イネスが泊まりがけでやって来る。奇妙なナザールを買ったのはイネスだった。マリアナは精一杯もてなそうとするのだが。気後れしてうまく話せない。『レベッカ』に先例が見られる、先妻に対して若い後妻が抱く恐怖感という主題。

先妻が集めたものか、美しいようでどこか醜い仮面や護符、といった不気味なモチーフを小出しにし、緊迫感をじわじわ高めていく。ジョイス・キャロル・オーツはその恐怖にさらにひねりを加え、ナザールとイネスの右眼にミステリアスな象徴性を付加する。オープン・エンドの結末、追いつめられた女の顔に浮かぶ「かすかな、消え入りそうな笑顔」は剥き出しの暴力より余程怖ろしい。

「すぐそばに いつでも いつまでも」は、ストーカーに出会った娘の恐怖を扱っている。はじめは、いかにも感じがよく、気を許したとたん、自分のすぐ近くにまで距離を詰めてくる。そのあまりの遠慮のなさに拒絶の意志を示すと、今度は執拗な嫌がらせを始めるのがストーカーだ。まさにタイトル通り。結果的にストーカー本人はいなくなるが、それでハッピーエンドという訳にはいかない。タイトルの真の意味が分かるのは、すべてが終わったと思ったずっと後のことだ。

「処刑」は、大学生が起こした殺人事件の顛末を加害者側の視点で追ったもの。クレジット・カードを止められたことに腹を立てた息子は他人の犯行を偽装し両親を殺害。ところが母親は死んでいなかった。その証言で、警察は息子を捕えるが、母親は裁判で前言を撤回する。自分勝手な男の言いたい放題を読んでいると怒りさえ覚えるが、どこか今の世の中に蔓延する犯罪者の類型のようにも思えてきて肌が粟立つ。ダブル・ミーニングが効いたタイトルがいい。

「平床トレーラー」が描くのは、心の奥底に閉じ込めていた幼少時の記憶を正視したことで、治癒した女性。いざ行為に及ぼうとすると体が拒否反応を起こすためセシリアの交際は長続きしなかった。Nはそれまでの男とは違って、時間をかけて話を聞く。そこには大家族の名門一家に生まれ、可愛がられて育ったセシリアが子ども心に誰にも打ち明けることのできなかった秘密があった。エロスとタナトスが背中合わせになったラストが衝撃的。

「うまくいかない愛をめぐる4つの中篇」と副題にある。「うまくいかない」と訳されているところは原文では<gone wrong>。「故障した」とか「間違えた」とかいう意味でよく使われる慣用句のようなものだ。たしかに、四篇のどれを読んでも、どこかで間違えてしまったのか、あるいはもともと壊れていたのか、みょうにすわりの悪い、いびつな「愛」の形が描かれている。

作家自らが「グロテスク」と呼ぶ、生々しいまでの暴力描写を絶妙な語りの裡に象嵌し、「私たちの魂の持つ原初的で本質的ななにかを呼び覚ます」、短篇小説の名手ジョイス・キャロル・オーツ。その真骨頂がここにある。