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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『いちばんここに似合う人』 ミランダ・ジュライ

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ぬるい塩水を入れたボウルに顔をつけさせ、八十歳をこえた老人三人に水泳を教える話がある。いい歳をした爺さんがキッチンの中をバタフライでターンする、畳の上の水練ならぬ床の上の水練が涙が出るほど面白い「水泳チーム」。話に出てくるばかりで一向に紹介してもらえない妹目当てに出かけた友だちの家で、ドラッグでハイになり、七十近い男同士が体を寄せ合い、ヘンな気持ちに。ちょっと想像したくない関係を描く「妹」。

型破りのセンス・オブ・ヒューモア。読んでるこちらが気恥ずかしくなるほどあけすけなセックスの打ち明け話。それなのに、最後には切ない気持ちにさせられてしまうのはどうしてだろう。突き放したような乾いた視点で見つめながら、語り手には、主人公が抱いている救いようのない孤独が分かっているからにちがいない。そう、この世界にあっては誰もが孤独なのだ。

全部で十六篇。長めのものもあれば、短いものもある。読みはじめたばかりの間は、何かなじめないものを感じていたが、終わりの方に近づくにつれ、これはひょっとしたら傑作かもしれない、と思い始めていた。設定が多彩で、話に変化のあるのがいい。人物の性格づけが的確で感情移入がしやすい。初めに書いたように、かなり突飛な話が多いのに、するすると読まされてしまうのは語りが上手いからだ。

ときどき「どうしてこんなところにいるのよ?」って言いたくなるくらい裁縫が上手な女の人が、ソーイングクラスの初級クラスにいたりすることがある。わたしが思うに、そういう人たちは自己評価がすごく低いのだ。はたから見たら何もかもうまくいってて、わたしたちなんか足元にも及ばないくらい才能に恵まれてるのに、本人は病的なくらいゆがんだ自己イメージをもっている。

こんなふうに裁縫クラスに通う「わたし」の語りから始まるのが「十の本当のこと」。彼女に自分は会計士だと言ってしまったために、仕事は安い下請けに出し、その差額でしのいでいる自称会計士のリック。その秘書を務めている「わたし」は、リックの妻のエレンに興味を抱いていた。裁縫教室に通いだしたのも、エレンがそこに通っていると聞いたからだ。

「わたし」がエレンと関係を築こうとして、自分の部屋を眺め、相手の気持ちになって部屋に手を入れるところが、とてもよく書けていると思う。相手について知り得るいくつかの情報をもとに、自分がどんな人間かを分かってもらえるように部屋をしつらえる。飾ったりするのではない。素の自分が見てもらえるように上等のセーターをベッドに放り投げたり、テレビの埃を拭ったり。でも、机の上はわざと乱雑にしておく、という気の使いようだ。

「人はみんな、人を好きにならないことにあまりに慣れすぎていて、だからちょっとした手助けが必要だ。粘土の表面に筋をつけて、他の粘土がくっつきやすくするみたいに」と、「わたし」は言う。こういう何気ないひとことに、ふっと心が動く。すごく頭が切れるのは初めから分かっている。ただ、この作家にはそれだけじゃない。とても善良な心が備わっている。それがいい方向に出ているとき、ストーリーは、とてもチャーミングなものになる。

ハチャメチャな話も後味は悪くない。ただ、好みからいえば、人の心のひだの細かなところにまで入り込み、静かに寄り添いながら揺さぶりをかけて動かし、願いを一度だけかなえて終わる、ミランダ・ジュライの書く、そんな話が好きだ。岸本佐知子の訳も良い。