読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『虚実妖怪百物語 急』 京極夏彦

f:id:abraxasm:20161205144554j:plain

水木しげるが亡くなったのは、2015年11月30日。ちょうどこの間一周忌を迎えたばかりだ。一周忌といえば、親戚や知人、友人が集まって、法要を行う。しめやかに法要が終わった後は、お斎がふるまわれる。故人をしのんで、思い出話に花が咲くのもこのあたりだ。いくら法事だといっても、一年もたてば、そうそうみんな悲しみに耽ってばかりはいない。お酒も入れば、にぎやかに騒ぐ連中も出てくる。ましてや、水木しげるである。

みなに慕われた大先生のことだ。家族、親せきはもとより友人、知人の数も半端ではない。ファンだってもし許されるものなら駆けつけたいと思うだろう。実際の法事がどう行われたかは知らない。しかし、大先生を慕っていた人が全部集えるようなそんな法事の実現は難しい。でも、できるんじゃあないか、紙の上なら。出版社に編集者、妖怪関係の作家仲間、いっそのこと水木大先生のお世話になった妖怪連中にも声をかけて、ここは盛大に一周忌の法要を紙上で開催しよう、というのが京極の考えたことではなかったか。

それが、この『虚実妖怪百物語』序・破・急の三巻本出版の目的だった。11月に発行されているのは、一周忌に合わせてのことにちがいない。と、まあそんなことに遅まきながら気づいたわけだ。京極夏彦の小説というところにばかり目が行っていたが、初めから水木大先生の一言ではじまったのが、この京極版『妖怪大戦争』ではなかったか。これは京極夏彦による水木しげるに捧げる鎮魂曲(レクイエム)なのだ。

傷痍軍人として生還した水木しげるは、折に触れ、二度と戦争などというバカなことをしてはいけない、というメッセージを日本国民に発してきた。それは作品を通じてのこともあれば、直接に語りかける形をとることもあった。しかし、近頃の日本の様子はどうだろう。書店に足を運べば嫌韓・反中の本が棚にあふれ、テレビは日本礼賛の番組ばかり。そうしたマスコミの援護射撃を受け、政府は自衛隊の海外派遣を容易にする法を通すばかりか、ついには憲法にまで手を伸ばしてきた。

これでは泉下の水木しげるが安らかにねむれるわけがない。残された者としては、なんとか大先生の魂を安んじるために何かできないものか。とはいえ、直接反戦のメッセージなどを出したところで、今の世の中に届こうはずもない。しかも、そういう大上段に振りかぶったやり方ほど水木しげるの精神から遠いものはない。そこは、搦め手から行こう、というのが京極夏彦の考えだ。同じく親しくしていた荒俣宏の協力も得ながら、『帝都物語』、『妖怪大戦争』という映画にもなった人気アイテムを使うことで、メッセージの直接性をカムフラージュしつつ、物語の中に取り込んだ読者の胸には響くように繰り返し訴え続けた。最終巻の「急」なら、次のような言葉。

大体、ルールがあっても都合が悪けりゃ変えちゃうというのなら、ないのと同じだろうに。そこに武力なんか持ち込んだなら、もうどうもこうもないじゃないか。もう誰得(だれとく)なんだか判りゃしない。オールリスク・ノーリターンじゃん。

この世相ですからね。いつの間にか戦争に反対している人なんか我々くらいになっちゃったのよ。右翼も左翼もないのね。でも、護るったって何の術(すべ)もないですよ。軍備があったって、もう護るべき国がガタガタで、ないに等しい訳ですよ。軍備なんてものはどんだけ増強したって何の役にも立ちゃせんのですよ。

国を護るために戦争をするっていうのは、そもそもおかしい訳ですよ。国が護れなくなったからこそ戦争になるんじゃないですか。外交だって経済だって、文化だって技術だってそのための手段ですよ。戦わないためのカードをどれだけ持っているか、どれだけ作れるかつうのが政治でしょうに。それが真の国防ですよ。

水木先生の口ぶりをまねて語られる言葉の熱いこと。世の中がおかしくなっているといっても、その大本が何か、誰によるのかはよく分からない。しかし、事実世の中はゆとりをなくし、ギスギスしている。互いが互いを監視し、告げ口し、糾弾するそんな空気が今の世の中を支配している。それは見えないけれど、確かにある。見えない<虚>が<実>に戦いをしかけ、<実>は余裕をなくし、互いを傷つけ自滅しはじめているのだ。

嘘も百回言えば真になる。フィクションを生業にしている者なら、その力を熟知しているはず。フィクションによって追いつめられた日本という国を救い出すために、今回はなんと夢枕獏まで、陰陽師の軍団を連れて登場する。昔話や伝承で事態を打開するときに用いられるものに「呪宝」がある。今回、それにあたるのが平太郎が持ち帰った石であり、山田老所蔵の絵巻物だ。石からは呼んだものが具現化し、絵巻からは妖怪が抜け出している。加藤保憲操るダイモンが、日本人から心の余裕を吸い取ろうとする行為とどう関係しているというのか。

富士の裾野で繰り広げられる「妖怪大戦争」は、ガメラから3D版の貞子まで現れるハチャメチャな展開になるが、クライマックスはあっけない幕切れ。まさに膝カックンの脱力ぶり。あれほど荒ぶるクトゥルー神が、なんと、言わんこっちゃない『平成狸合戦ぽんぽこ』かい、と突っ込みたくなるが、広げた風呂敷が大きければ大きいほど、ほどいてみれば幽霊の正体見たり枯れ尾花。夢オチではないが、まさかそんなという解決法。文句の一つも言いたくなるところだが、そこはそれ、最初にも言った鎮魂曲である。まあるく収めたいではないか。雲の上から、「京極君、ありがとう。おもしろかったよ」と語りかける大先生の笑顔が見えるようだ。