青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『パリはわが町』 ロジェ・グルニエ

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フランス文学界現役最長老ロジェ・グルニエによるパリ文学散歩。大き目の活字に余白をたっぷりとった組版、短い断章風のスケッチでさらりと語られる長いパリ暮らしで出会った人々の思い出。記憶に残る出会いの中には、ジョージ・オーウェルヤ、マルカム・ラウリーのように知り合ったのかどうか記憶がはっきりしないのもある。実に淡々としたものだ。1919年生まれの97歳のことでは仕方がなかろう。わたしなど、つい最近のことでも忘れてしまう。

核となっているのは、大きな歴史、1944年のパリ解放時の思い出。連合軍の進撃を待ちながら、抵抗を続けるドイツ軍との戦いに、レジスタンスとして参加していたのだ。実際に銃をとるようなことはなかったが、非合法組織における情報伝達役、いわゆるレポをやっていた。情報伝達といっても、銃を持った兵が監視する街の中を、時には銃撃されながら駆け抜けるわけだから危険極まりない。二十代の青年らしく無鉄砲な行動で、時にはあわや銃殺というところまでいく。この辺りは、さすがにジャーナリストらしい文体で、ドキュメントの迫力に満ちている。

もう一つは個人史。生まれ故郷であるノルマンディ地方での祖父母や父母の思い出からはじまり、新聞記者や雑誌編集者という経歴の中で知り合った文学者や芸術家、有名人との出会いを、パリの街区の所番地を小見出しにしながらつづっている。こちらのほうは戦争中の緊張感とは無縁で、リラックスした雰囲気のなか、年老いた著名人が過去の記憶をたどり、懐かしい人とのめぐり合いを回想するといった趣きが深い。

パリ解放直後のこと。占拠した市庁舎を出てシャンゼリゼ大通り六三番地に≪ヴォロンテ≫誌の事務所を構えたグルニエは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『舞踏会の手帖』に出演し、後に『陽気なドン・カミロ』で主役の田舎司祭を演じて人気を得ることになる馬面の喜劇役者に出会う。

われわれの新しいオフィスでは、しばしば、奇妙な光景が見られた。多少とも、対独協力に手を染めた形になったアーティストたちがやって来ては、われわれのために特別公演を開いて、名誉を回復したいと持ちかけるのだ。こうして、わたしは、あのフェルナンデルが椅子に座ったままじっと何時間も順番を待つ姿を目撃することとなった。

そこには、あのジョルジュ・バタイユも訪れ、自分はインテリのあいだでこそ評価されているものの、一般には知られていない作家だと説明し、一般読者に訴えるためになにか書かせてほしいと言いに来たりもしたという。ヘミングウェイの小説も掲載したが、どれだったかは忘れたそうだ。

その後≪リベルテ≫誌に移ったグルニエは、カミュに階段ですれちがいざまに礼を言われる。当時、実存主義哲学の信奉者であると思われていたカミュサルトルら「無と絶望の哲学者たち」はナチス・シンパであったハイデッガーの弟子として、キリスト民主主義系新聞が糾弾中であった。グルニエは≪リベルテ≫誌にそれに対する反論を掲載していたのだ。この後、二人は≪コンバ≫誌で共に働くことになる。

アンドレ・ジッドやサミュエル・ベケットといった名の知れた作家たちとの出会いは数限りなくあるのだが、個人的にはアイザック・ディネーセンについて触れたさわりを紹介したい気持ちが強い。晩年のことだろうか。

ホテル<サン=ジェームズ&アルバニー>には、その名前からして、なんだか神秘的で、高級な香りがただよう。こんなことをいったのも、じつはこの場所で、わたしは尊敬している二人の作家と出会っているのだ。(略)もう一人が、『アフリカの農場』の作者カレン・ブリクセンだ。ブリクセンはやせこけていて、年齢もよくわからず、なんだかラムセス二世のミイラに似ていた。

ジャズ・コンサートにも出かけている。『死刑台のエレベーター』の音楽を担当していた頃のことか。

トランペットでは、フィリップ・ブランとかマイルス、デイヴィスを聴くことができたが、マイルスは、ある晩、非常にご機嫌が悪くて、観客に背を向けてプレイしていた。また、とりわけルイ・アームストロングが素晴らしかった。

ヘミングウェイとのすれちがいの話もおかしい。ある日、アメリカの有名な出版人であるクノップ氏の夫人ブランシュとホテル<リッツ>で話をしていると、友だちのモニクがヘミングウェイと入ってきた。

わたしの姿に気づいたモニクは、ヘミングウェイと会えれば私も喜ぶだろうと思って、ヘミングウェイをわれわれの方に引っぱってきた。ところが、二、三歩歩いたところでヘミングウェイは、ブランシュがいるのに気づくと、厄介な婆さんだと思っているにちがいなく、さっと引き返してしまったのである。

 マイルスといい、ヘミングウェイといい、いかにもその人らしい様子をまちがいなくすくいとってみせるポルトレの手わざが鮮やかで、すぐれたジャーナリストとしての片鱗を見る思いだ。

カミュとの出会いは先に述べたが、16年後同じ≪コンバ≫誌のあった建物の階段でカミュの死を知らされる。グルニエは逃げ込むかのように15年前に二人で組み版をした印刷機のある階に行くと、植字工や印刷工といっしょに部屋の片隅に座り込んだ。そのうち一人が口を開く。

「君がカミュの死亡記事を書くなら、ぼくたちが彼の仲間だったことをちゃんと入れてくれよ。」

やがて、印刷工や校正者たちは、『アルベール・カミュへ。彼の本の仲間たち』というタイトルの本を書くことになる。彼らはわたしに序文を依頼することで、仲間に入れるという栄誉を与えてくれた。

 いかにも、カミュらしい、いい話だ。サルトルでは、こういう話にはならない気がする。サルトルといえば、『聖ジュネ』だが。そのジュネについての逸話はまるでギャグだ。グルニエの友人で、写真家のブラッサイのアパルトマンを有名になったばかりのジャン・ジュネが撮影で訪れた時の話。

「無意識のうちに、ジュネは窓の外に目をやった。彼はもう、そこから目を離すことができなかった」とブラッサイは語っている。つまり、ブラッサイのアパルトマンからは、サンテ刑務所が見渡せたのである。ジャン・ジュネは男友だちといっしょにもどってくると、窓から外を見て見ろよといった。だが、その若者はなんの反応も示さなかったという。

「なんてこった!おまえはわからないのか?サンテ刑務所じゃないか!」
「だって、ぼくは刑務所を内側からしか知らないから。」

 日当りのいいところに出した椅子に腰かけて、近所のご隠居の昔話を聞いているような心地よいひと時を過ごすことのできる小冊子である。ロジェ・グルニエにはタイトルに、この本にもたびたび登場する愛犬ユリシーズの名を冠した『ユリシーズの涙』という作品がある。英雄ユリシーズとその愛犬の逸話を話の端緒に、文学内外の犬とその飼い主の話を集めた、こちらも心に残る本である。