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青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『アウトサイダー 陰謀の中の人生』 フレデリック・フォーサイス

書評

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手垢のついた表現になるが、「事実は小説よりも奇なり」というのがぴったりくる。『ジャッカルの日』という映画は、かなり好きで何度も見たが、原作を読んだらそれほど感心しなかったのを覚えている。その原作になった小説を書いたのが、フレデリック・フォーサイスで、これも有名な映画『オデッサ・ファイル』の原作もこの人だ。

作家を映画の原作者のようにいうのは失礼なようだが、実はフレデリック・フォーサイス、『ジャッカルの日』が処女小説で、それまで小説なんか書いたことがなかったというから驚くではないか。執筆理由も金のため、というから冷めている。この本は、これまでの人生を振り返るもので、簡単にいえば「自伝」である。もっとも作家の自伝と思って読むとがっかりする。文学の話は全く出てこない。

じゃあ、何かといえば、俗にいう武勇伝。自慢話に聞こえる話がたっぷり用意されている。帯の惹句を引くと「わずか15歳で大学進学資格試験に合格し、17歳でイギリス空軍に入隊、19歳で幼い頃の夢を叶えパイロット記章を手にしたフォーサイスは、世界を股にかけて活躍するジャーナリストに」。幸運にも恵まれ、次々と願いをかなえてゆくその姿は、まさに向かうところ敵なし。失敗や挫折の経験が全くない。

嘘だろうと思うくらい、彼の前で道が開けてゆくのだ。イギリスの中産階級に生まれ、理解のある父親に恵まれ、休暇を海外で過ごすことができ、単身現地の家族の中で過ごし、フランス語やドイツ語を覚えていく。英語を話せない環境に小さい頃に身を置くことで、発音やスラング、ボディ・ランゲージといったネイティブならではの言語表現を身に着けることに成功する。それが次の扉を開くための鍵になるのだ。

機会を無駄にしないことでも徹底している。パブリック・スクール在学中に飛行訓練を受けるのだが、それまでやったことのない長距離のクロス・カントリーを言い訳に使い、校門を出ると近くに停めておいたベスパに乗り換えて飛行場に向かう、という奇策をとる。卒業後兵役までの期間をスペインへの語学留学に使い、そこでも一般家庭に寝起きして、酒場その他で実地経験を積み、昼間は闘牛士の訓練を受ける。講義は最初と最後だけ出たが、ちゃんと免状はもらっている。

優秀な成績でオックスフォードやケンブリッジの奨学生になる機会を得るが、面接でその意志のないことを明らかにする。パブリック・スクールの教師たちは、たいていがオックスブリッジの卒業生で、それを誇りにしているが、フォーサイスは、いじめの横行するパブリック・スクールも、商店の店主でしかない父を見下す教師たちも嫌っていた。『アウトサイダー』という表題は、彼の支配階級(エスタブリッシュメント)嫌いを表している。

それは、ビアフラにおけるイギリスの政策に対する批判で、最も激しく語られる。当時イギリスはナイジェリア連邦側に肩入れしていた。現地の本当の様子を報告しない高等弁務官のためにイギリスは政策を見誤る。食料禁輸で多くの子どもたちが餓死したことは、当時新聞に出た写真でよく記憶している。ジャーナリストはエスタブリッシュメントの側に立ってはいけない、とフォーサイスは言う。自分の目で確かめた事実にこそ従うべきだと。

せっかく入ったBBCだったが、ナイジェリア連邦側の発表しか流さないことに腹を立ててフリーランスに。文無しになったフォーサイスが金を得る手段にしたのが、無謀にも小説の執筆だった。ネタはあった。ロイター時代、ドゴールに張り付いていて暗殺事件に出くわしたのだ。失敗を繰り返すOASが暗殺を成功させるには、情報機関に知られていない外部の暗殺者に頼るしかないことを、フォーサイスは知っていた。「ジャッカル」の登場である。

これが、映画になることなんか誰も予想できなかった。たまたま別の映画撮影のためにロンドン入りしていたフレッド・ジンネマンが、ままならぬ事情で撮影できなくなった時、目に留まったのが『ジャッカルの日』の原稿だった。中身を読んで気に入ったジンネマンは、「次の映画はこれだ」と即決。この映画が当たったせいで小説も売れたという。

映画『オデッサ・ファイル』には、また別の驚くべき話がある。元ナチ党員に偽の身分証明書を作り、ドイツ国内で働くための手配を行う秘密組織オデッサを描くものだが、マクシミリアン・シェル演じるところの元ナチSS大尉ロシュマンは、映画の中では殺されてしまう。ところが、ブエノスアイレスの映画館でその映画を見た観客がその名に聞き覚えがあった。もう大丈夫と思ったのか、本名を名のっていたのだ。告発を受けロシュマンは逮捕される。事実は小説より奇だということが分かってもらえただろうか。

ところで、秘密情報員だったのでは、という噂のあるフォーサイスの東ベルリンでの実体験は、それこそル・カレの小説を地で行くようなスリルにあふれている。フォーサイスのどの小説よりもリアルなのではなかろうか。どこまでいっても、この人は作家ではなく、本質はジャーナリストなのだ。その意味で、自分についての他の誰も知らない事実でいっぱいのこの本は、ひょっとしたら彼の代表作になるかもしれない。