青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『特捜部Q-檻の中の女ー』 ユッシ・エーズラ・オールスン

f:id:abraxasm:20170215112113j:plain

テレビをつけたら流れていた映像がちょっと気になるので、しばらく見ていた。知った顔の俳優もいないのに妙に引き込まれ、最後まで見入ってしまった。タイトルが『特捜部Qー檻の中の女ー』。その後、これがデンマーク発の警察小説シリーズ第一作だと知った。映画化によって原作が改変されていない限り、自分の中ではネタバレしているわけで、どうかな、と思ったけれど杞憂に終わった。純然たる謎解きミステリではないこともあるが、本筋の事件解決以外の部分に味があって、小説ではその部分が読ませどころになっているからだ。

警部補カール・マークは、皮肉屋で横紙破りなところが災いして同僚間で不興を買っている。事件の捜査中に撃たれ、腹心の部下の一人が死に、もう一人が全身麻痺で病院のベッドに寝たきりになったことから立ち直れないでいるのだ。殺人捜査副課長は、一計を案じる。警察改革を利用してカールを昇格させ、厄介払いをしようというのだ。過去の未解決事件専門に操作する「特捜部Q」の設置がそれだ。

何のことはない。態のいい窓際族。やる気をなくしていたカールは、人目のないのをいいことに、ネットサーフィンを続けていたが、課長に進捗状況を訊かれ、一人では手が回らないから助手をつけてくれと言ったばっかりに、アサドが現れた。妙な男で、捜査権限もないのに事件に口をはさみたがる。また、それが結構いい線をいっているのだ。部下の目があっては昼寝もできない。ついに、カールも重い腰を上げ、捜査を開始する。

積み重なったファイルの中からアサドが見つけてきたのが、ミレーデ・ルンゴー事件。五年前、民主党副党首だったミレーデがフェリーから消えてしまった事件だ。事件当時姉と一緒だった弟は重い障害を持っていることもあって事件について証言することができず、死体は上がらなかったが、水死ということで処理され、事件は迷宮入りとなった。

プロローグに、暗い部屋に監禁されている女性の話が出てくるので、読者はすぐにこの女性がミレーデだと分かる。つまり、2007年(現時点)と、事件が起きた2002年が、並行して語られる構成になっている。五年というハンデを負って、カールとアサドは事件を解決しなければならない。一方、その間ミレーデは脱出不可能な檻の中で、生き延びるために闘い続けなければならない。或いは、悲惨な死に方を避け、自死するかのどちらかだ。

サイコパスによる女性の監禁事件を描くミステリは掃いて捨てるほどあるが、これは一味ちがう。何しろ被害者は、三十半ばで有力政党の副党首。しかも美人で論戦にもたけている。そう簡単にはへこたれない。しかし、トイレ用と食事用のポリバケツが一日一回交換されるだけで、外部と完全に接触を断たれた状態で正常な精神状態でいるのは難しい。しかも、彼女が監禁されている場所は与圧室といって、気圧を上げる装置なのだ。時間をかけて高い気圧に慣れた体は、通常の気圧にさらされると爆発してしまう。

カールたちは、アサドの信じられないような機転や記憶力の助けもあって、過去の捜査で見落とされていた事実を明らかにしていく。押しの強いカールのハードボイルド調の捜査もいけるが、シリア人助手アサドの天才的なひらめきと、脅威的な集中力が凄い。捜査の主導権を握っているのは、カールなのだが、役割的には奇矯な振舞いをするアサドがホームズで、カールのほうがワトスン役をつとめている。この組み合わせが新鮮だ。

正体不明のシリア人で、その名も現職大統領と同じ、というからまずは偽名だろう。同じ成分のインクで上から塗り潰された部分を剥がし、下に書かれた文字だけ残すという神業をやってのける知人を持つ、この人物只者ではない。独訳からの重訳のせいか、砂糖をたっぷり入れたハッカ茶と訳されているが、メンテ(ミント・ティー)のことだろう。イスラムの国では何かというと口にする飲み物だ。香をたいたり、お祈り用のマットを敷いたり、デンマークでは滅多にお目にかかれないものを署内に持ち込む天然ぶりが痛快だ。部下のことが気がかりで心の晴れないカールが、この陽気なシリア人助手によって、どれだけ助けられていることか。

日本の警察小説がつまらないのは、主人公の刑事たちが権力に対して服従するのが当然視されているところだ。警察は国家権力の手足に過ぎない。手足は頭に文句は言わない。カールはちがう。平気で政権担当者の批判もするし、冷笑もする。予算を勝手に横取りして特捜部に回さない殺人捜査課長には、強請りまがいなこともして、プジョー607や新品のコピー機を手に入れる。昇任のための研修を迫る課長の度重なる要請にも頑として首を縦にはふらない。権力者には強いのだ。

シリーズ物を面白くさせるには、脇を固める登場人物が多彩であることが必要だ。カールには別れた妻がいるが、いまだに何かと電話をかけてきては金を引き出そうとする。妻の息子が、母親との同居を嫌って何故かカールの家に転がり込んでいる。フィギュアオタクで料理上手な下宿人もいる。カールは、カウンセリングを担当する心理学者に一目ぼれ状態だが、相手はどうやら既婚者らしい。二人のこれからの関係が気になるところだ。

ミレーデが『パピヨン』や『モンテ・クリスト伯』を思い出して自分を励ましたり、『クマのプーさん』を諳んじて、精神状態を正常に保とうとするところなど、「文学など何のためになるのか」と言ってはばからない連中に読んで聞かせてやりたいところだ。人は、理不尽な状況にあるとき、強靭な肉体があるだけでは生き抜くことはできない。生き抜くためには、そことは異なる好ましい世界を自分の中に持っていることが必要になる。文学はそれを可能にする。ミステリを読んで感動することはあまりないが、この小説には人を鼓舞する力がある。サイコパスの登場するミステリには珍しく後味のいい終わり方にも好感が持てた。