青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『名誉と恍惚』松浦寿輝

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権力の中枢にいる者が民間の一事業主に便宜を図る引き換えに何かをさせようと思えば、誰か連絡を取る者が必要となる。下っ端の公務員なら、いざとなれば切り捨てることができるので好都合だ。しかも、真の意図は隠し、国のためを思ってやることだと言い含めて疑念をそらす。ことが露見すれば、上に立つ者は白を切り、実際に動いた者が、蜥蜴の尻尾のようにあっさりと切り捨てられ、名誉どころかその命さえ奪われかねない。

こう書くとまるで今の日本の現実のようだが、これは小説の中の話。時代は事変から戦争へと拡大し続けている日中戦争のさなか。外灘(バンド)に西洋風建築が競い合うように建ち、多くの国から人々が流れ込む国際都市、魔都と呼ばれる上海の共同租界を舞台に、一人の日朝混血の工部局警官が国家的謀略の渦に巻き込まれ、その人生を大きく変えられてゆく姿を描いた千三百枚の大長編。これだけ力の入った小説を読むのは久しぶりだ。

芹沢一郎は朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれた。十七歳という娘の年齢を慮って、祖父は自分の末子として届を出した。早くに実の両親を亡くした一郎は父親代わりの叔父の世話になり、外国語学校を出た後、警官の道を選ぶ。係累も後ろ盾もない一郎にとって警察機構は、身を守る鎧となるはずだった。四年前東京警視庁から派遣されて上海工部局警察部に赴任し、主に翻訳や検閲、情報収集という机仕事をしている。

そんな芹沢に軍から呼び出しがかかる。相手は陸軍参謀本部第二部第十一班の嘉山少佐。通称「謀略課」と呼ばれる第十一班はの少佐が何の用かと思えば、青幇(チンパン)の頭目蕭炎彬(ショー・イーピン)に紹介の労を取れという。一介の警官にギャングの首領との仲介がつとまる訳もないと断ると、芹沢と旧知の間柄である憑篤生(フォン・ドスァン)が蕭の伯父であることを告げ、警察には隠している日朝混血という芹沢の出自をちらつかせ隠微に脅しをかけてくる。

憑は芹沢に蕭と嘉田の会談をまとめる代わりに警察の内部情報を漏らす覚悟はあるのかと聞く。会談は無事行われるが、芹沢の同席を望む蕭とそれを拒む嘉田との間に緊張が走る。結局、芹沢が蕭の代りに第三婦人美雨(メィウ)のお供をすることで決着する。女優だった美雨は阿片のやりすぎと子どもができないことから蕭との仲も冷め切っている。凄艶な美女と三十前の精悍な警官の出会いである。この夜から芹沢の転落が始まる。

何故か芹沢の情報漏洩や秘事が上司の知るところとなる。秘事とは何か。骨董商憑篤生にはハンス・ベルメールに先駆けて関節を自在に動かせる人形を完成させたアーティストとしての顔があった。ただ、ベルメールと違い、性器まで精緻に作り上げた黒髪裸体の美少女は、上肢と下肢を入れ替えたり、二人の少女が胴体を共有したり、と奇形ともとれる造形がなされていた。芹沢はそれを撮影した写真を秘匿していた。さらにもう一つ悪いことに、白系ロシア人の少年アナトリーと唇を合わせている写真まで盗撮されていた。

変態と罵られ、朝鮮人との「雑種」を警察内部に置いておくことなどできない、懲戒免職になりたくなければ今すぐ辞表を書けと迫られる。昨日まで法の番人として、いっぱしの正義漢ぶっていた男のみじめな転落である。始末したはずの写真を盗み出すことができたのはアナトリー以外にいないことに気づいた芹沢は少年を追う。そして、その背後にいた意外な人物の存在に驚き、自分をハメた理由を問い詰めた挙句殺してしまう。ここまでが第一部。

激昂のあまり相手の頭を地面に打ち付け、ぐにゃりとした手触りで殺してしまったことに気づく、その描写がぞくぞくするほど。下手なミステリなど及びもつかない迫真性だ。鉄条網に顔面を押し付けて引きずる場面にしてもそうで、身体性を徹底してリアルに追求している。それは官能的な場面でも通用する。アナトリーとの肉体的な触れ合いが、どれほどの恍惚感をもたらすものだったかを指や爪、といった先端部分でのふれあいによって想起させる技術はさすがだ。

第二部は殺人犯としての正体が暴露されるのを恐れながら、苦力として働く芹沢の逃亡生活を描く。第一部が紅灯揺らめく魅惑の街上海の表の顔だとすれば、第二部は南京虫や虱の湧く小屋をねぐらに肉体労働で日銭を稼ぐ者らが蠢く上海の裏の顔だ。このキアロスクーロが効いている。ただ、不思議なことに何も考えず単純な肉体労働に励む毎日の方が芹沢にとっては楽なようなのだ。表題にある「恍惚」感に襲われるのもこの場所だ。金を掏られた上、病んだ芹沢は、夢か幻視か、鷗が舞う光景を見る。世界が粒だって見えた、この全能感は一度きりだったが、芹沢の無為な生き方をゆすぶった。

徴兵忌避者と殺人犯を一緒にはできないが、官憲に追われる孤独な逃亡者の心理を克明に追うところで、丸谷才一の『笹まくら』を思い出した。人目をはばかる逃亡生活の中でも、人は人らしく生きたいという願いを持ち、向日性に憧れる。警察官であった頃の芹沢の日々は、年端もいかない少年との快楽に耽りながら、日々の仕事に何の疑問も抱かない鈍感な男のように見える。芹沢に主人公としての魅力が宿るのは、苦力に身を落としてからだ。

二進も三進も行かなくなったところを憑によって救出された芹沢は、憑が経営する映画館で住み込みの映写技師として働き始める。美雨との再会があり、洪(オン)という友人もできる。憑ファミリーの一員となり、中国人沈(スン)として生きてゆく覚悟もでき、香港行きが決まったその日、前々から探らせていた嘉田の居所が判明する。何故自分がこんな目に遭わねばならなかったのか。あの会合は本当に国家のためのものだったのか、芹沢にとって、それは自分の「名誉」に係わることだった。美雨を先に港に行かせ、芹沢は独り嘉田のいるホテルに向かう。

大団円の嘉田との長いダイアローグ。ドストエフスキーの『悪霊』や埴谷雄高の『死霊』を思い出した。国家論であり、戦争論でもある。国家の意思を体現した嘉田が語る確信犯的な議論は、今世情を騒がす国家主義者たちの表には出せない、裏に隠し持った思惑とも合致するだろう。国家、国家といいながら、嘉田が本当に大事にしているのは、自己の欲望の成就だ。馬鹿な大衆も無能な軍人たちも端から見下している。手配中の芹沢が、危険な場に我が身をさらしてまでも問わねばならなかったのは、他でもない自分の行動の倫理的な正当性である。すべてを失ってしまっても、誇りをなくしては男は生きていけない。

このハードボイルド小説的な対決の決着をつけるのが玉突きというのがシャレている。ナインボールで先に三勝した方が勝ち。芹沢が勝てば無事にホテルを出ていける。実力は嘉田の方が少し上だが、芹沢は、玉のつき方から嘉田の慎重な性格は臆病さの裏返しであることを見抜いていく。このあたりの心理戦の描き方が面白い。ここにきて、急に芹沢がヒーローらしさを発揮する。凡庸な男が苦難の経験を通じて成長を遂げる。ビルドゥングスロマンはこうでなくてはいけない。

スケールの大きい小説で、上海という蠱惑的な都市を効果的に配し、漢語に英語風の読みのルビ振りをする表記とも相まって、視覚効果は抜群だ。さらには日中戦争が軍部の意図を越えて暴走し始め、抑制が効かなくなった日本軍の南京での虐殺事件にも目を配るなど、歴史的な配慮も行き届いている。何も知らなかった青年が煮え湯を飲まされ、落ちるところまで落ちる。自分を見失い無為な日々を過ごすが、最後に覚醒し、自身の人生を掴み取る賭けに出る、という山あり谷ありのドラマを、終始主人公に寄り添った視点で語る。一人の男の目を通して、勝ち目のない戦争に突っ走っていった時代の狂乱の世相を描いた傑作。この時代だからこそ読みたい。半端ではない厚さだが、一気読みは保証する。