青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『黒い犬』イアン・マキューアン

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互いに愛し合っているのに結婚してすぐに別居してしまった妻の両親。小さい頃に両親を亡くし、親というものに飢餓感を覚えていたジェレミーは、両親の不仲に苦しんできた妻の不興を買いながらも、フランスとイギリスに別れて暮らす二人を事あるごとに訪ね、話を聞かずにはいられなかった。特に新婚旅行の締めくくりにと決行したフランスでの徒歩旅行の最中、義母のジューンが出遭った二匹の黒い犬のことを。そもそも二人がちがった道を行くようになったのはそれが原因だったからだ。

イアン・マキューアンの長編第五作目である。小さな教科書会社を経営するジェレミーは、愛する妻と子どもに囲まれ、幸せな毎日を送っている。彼はウィルトシャーにある養護施設で暮らす妻の母の所に通っては、話を記録している。回想録を書くつもりだ。フランスの農家に独居し、瞑想や観想に時を過ごしてきたジューンは今までに三冊本を書いている。あの黒い犬に出遭った日、突然の回心が起き、それまで夫婦で入党していた共産党を出て、神秘的な体験を追求する道に入ったのだ。

夫のバーナードはケンブリッジを出て外務省関係の仕事をしていた。二人はその職場で出会ってすぐに結婚した。第二次世界大戦が終わったばかりの頃で、イタリアで赤十字のボランティア活動をしたりしながらの新婚旅行だった。戦後の新しい社会を作るため、意欲に燃えていたのだ。合理論者の夫には、妻が突然隠遁生活に入り、神秘体験に固執するようになったことが理解できない。BBCの討論番組の常連で、労働党の議員でもあったバーナードは、妻と共にフランスで暮らすことはできなかった。

ジェレミーが妻の両親の間を行き来し、互いの消息を伝える役を受け持つには訳があった。子どもの頃に両親に死なれた彼は、オックスフォード時代、休暇の間も寄宿舎にいるしかなかった。そんな時、同級生の留守にその家を訪ねては、友達の両親の話し相手をして時間をつぶした。自分の両親にはない社会的な地位、アッパー・ミドルの有する文学や芸術、学問に対する文化資本といったものに、仮令一時的であるにせよ浸れるのが心地よかったのだ。義理のとはいえ、ジューンとバーナードは、ジェレミーにとって初めてできた両親だった。

養護施設で話を聞いた後、ジューンは亡くなる。何年かして、バーナードから電話がかかる。ベルリンの壁が壊れた日だ。チケットが取れたから一緒に見に行かないかというのだ。壁の崩壊に熱狂する民衆に混じって歩いていた二人は赤旗を振る若者がネオナチ風の集団に襲われそうになる場面に出くわす。間に入ったバーナードを独りが蹴る。囲まれた二人を助けたのは若い女性の二人組だった。直接的な「悪」に対し、話し合いの無力さを表すエピソードである。

四部構成で、第一部「ウィルトシャー」がジューン、第二部「ベルリン」がバーナードに充てられている。第三部「一九八九年」は妻との出会い、そして両親の思い出の地であるサン・モーリス・ド・ナヴァスルで自らが遭遇した事件について。最後の第四部「一九四六年」が、ジューンが黒い犬に出遭い、二人の道が完全に分かれてしまう結果に至る経緯を物語仕立てで綴る解決篇になっている。

ベルリンの壁強制収容所ゲシュタポなどが重要な役を担っている。特に、第四部「一九四六年サン・モーリス・ド・ナヴァスル」に登場する黒い犬は、戦争終了目前、ゲシュタポが村に現れたとき連れていた犬が、敗戦時に置き去りにされたのではないか、と考えられている。この犬とジューンとの格闘がこの小説のクライマックスになっている。黒い犬に「悪」を、それと闘う自分を守って、自分の背後にオーラのように出現した物の自覚が、ジューンに覚醒をもたらす。

一方、その場に居合わせなかったバーナードには、それはジューンがそう思いたがっただけで、ゲシュタポの話も彼にとっては噂に過ぎない。バーナードにとって世界をよくするのは、科学であり、議論であり、政治である。ジューンにとっては、自分の中に正しい心を持ち続けることや美しいものを愛でる時間を持つことが、もしかしたら世界をより良いものに変えていく方法なのだ。

二元論的な対立は解決できるようなものではない。ジューンの暮らしていた農家に一人こもって執筆活動を続けるジェレミーには、ジューンとバーナードの幽霊が交互に現れては持説を披露する。死んだ後も互いに譲らない二人のやりとりは物語の終わりに愉快な気分を投げる。ジェレミーは、黒い犬のことを考える。黒い犬と直接対峙したジューンは、悪の存在とそれ対立するものの存在をはっきり知ってしまった。現実に存在する悪と闘うにはどうすればいいのか?

それは、一人一人が自分の中に「善いもの」「正しいもの」を見出し、引き出し、自分の力で闘うしかない。しかし、そのためにはジューンのようにすべてをなげうってかかる必要がある。簡単なものではないのだ。小説はこう結ばれている。「いつかまた犬たちは戻ってきて、私たちに付きまとうだろう。ヨーロッパのどこかの場所で、いつとも知れぬ時代に」。そうだろうか。黒い犬は世界中のどこにでも現れるにちがいない。私には、その色がだんだん黒さを増し、我が身に迫っているように思える。