青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『最後の注文』グレアム・スウィフト

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ロンドンのバーモンジーにあるパブ、馬車亭のカウンターに男が三人座っている。黒いネクタイをした小男がレイ。赤ら顔の男がレニー。やはり黒いネクタイをしてボール箱を抱えているのがヴィックだ。そこにロイヤル・ブルーのベンツで乗りつけてきたのがヴィンス。四人はこれからマーゲイトに行くことになっている。箱の中に入っているのは男たちの仲間で肉屋のジャックの遺灰だ。ジャックは死んだら遺灰をマーゲイトの桟橋から撒いてくれとラスト・オーダーを残していた。

でも、なんで最後の注文がマーゲイトなんだ?それに、ジャックにはエイミーというかみさんがいるのに、どうしていっしょじゃないんだ。それにレニーは何かとヴィンスにからむし、雲行きが怪しいのは天気だけじゃなさそうだ。馬車亭で一杯ひっかけた男たちはドライブに繰り出す。途中ロチェスターによって雄牛亭でまた一杯、チャタムで海軍戦没者慰霊碑に立ち寄り、「ウィックズ・ファーム」に寄り道し、カンタベリーで大聖堂を見学してからマーゲイトに向かう。その間にそれぞれの男や女の込み入った関係が本人の口を通して語られるという趣向だ。

この小説は七十五の短い章で成り立っている。上に地名がついている章の語り手は保険会社に勤め、みんなにレイちゃんと呼ばれているレイで、それ以外の章には語り手の名前がついている。ひらがなが多いのは、語り手がロンドンのバーモンジーに住む労働者階級で、当然その話し言葉コックニー(下町なまり)だからだ。さかんに登場する洒落や地口の翻訳に訳者の苦労がしのばれる。この語り口調がよくてページを繰る手が止まらない。

第二次世界大戦前から現在に至るまで英国がたどってきた「大きな歴史」と、ロンドンの下町に暮らす人々の「小さな歴史」がからみあって様々な人生模様を織りあげる。とはいっても、ワーキング・クラスの暮らしに大した出来事は起きない。どちらかといえば人生思った通りに事は運ばず、あてがいぶちでがまんして、といった冴えないエピソードばかり。その合間合間に男たちが道中繰り広げるビールとウィスキーの梯子酒、立小便、いさかいや仲直りがペーソスを湛えてたっぷり提供される。

たとえばレニーだ。言わなくていいことばかり言う男だが、そこそこいけるボクサーだったところを徴兵にとられ、ブランクがたたった。タイトル戦でノックアウトされて望みが断たれた。ジャックは本当を言うと医者になりたかったが父親が許さず肉屋を継いだ。小柄なレイは騎手に憧れたが、くず鉄商の父親は会社員にしたがった。保険屋になった今では競馬は競馬でももっぱら賭けるほうだ。レイが好きだったのは姉のデイジーだったが、妹のキャロルと一緒になった。そのキャロルは男を作って逃げた。

ジャックとエイミーは惚れあって結婚したが、生まれた娘は脳に重い障碍を負っていた。しかもエイミーは二度と子の産めない体になった。ヴィンスはジャックの実の子ではない。ドイツのV型爆弾の爆撃で両親が死に、一人だけ助かったのをエイミーが引き取ったのだ。それなのにヴィンスは肉屋の後を継ぐ気がない。思い通りに事が運んだことのない男たちには、自分のしたいことをして着々と商売の規模を広げていくヴィンスは気に障る存在なのだ。

老人たちの世代は親の家業を継ぐか、親のいう職業に就くかしか選択肢はなかった。その妻にしても、働くことしか知らない男と暮らしていて、町を離れたこともない。それなのに、子どもの世代は好き勝手なことをして、親から離れていく。同世代であっても互いの暮らしぶりに目を留めれば、いろいろと考えることはある。屋台の八百屋のレニーにはジャックのような車がない。娘を海に行かせるのに肉屋のヴァンに乗せてもらうしかない。それでも、ジャック夫婦にはいない娘が、自分にはいると思えば留飲は下がる。

一事が万事この調子だ。レイ以外の語り手の視点はほぼ内言だから、全部本音だ。仲間には言えないこともぶちまけている。長年の友達付き合いだが、本音はちがう。隠しごともあれば、嫉みもある。それでも、なんとか表沙汰にせず、ここまでやって来たし、これからもやっていかなければならない。なぜなら、彼らにはそれしかないからだ。今でも夢見てはいるが、今さら新しい人生が始まるわけもない。今までやって来たように続けていくのがいちばんだ、と心の底では思っている。

泣きたくなるような暮らしぶりはお互い様。東洋の島国に住むこちとらだってさほど変わりはない。やってられないような毎日を、何とか家族や友達と顔突き合わせてやっていくしかない。夢見たことはかなわない。好きな相手とは結ばれない。大事に育てた子どもたちは勝手な暮らしをはじめている。過去のモラルは見捨てられ、新しい時代は自分を無視してはじまっている。どうしようもないが、そこで何とか生きるしかない。うだつの上がらない老人の悪戦苦闘を見守るような小説世界がなぜかとっても身近に感じられる。老人だって、死ぬまでは生きていかねばならない。

映画にしたらいいロード・ムービーになるな、と思っていたら、ジャックをバーモンジー出身のマイケル・ケイン、エイミーをヘレン・ミレンというキャスティングで2001年に映画化されているという(<Last Orders>フレッド・スケピシ監督)。日本未公開らしいが、TVかどこかで見られないものだろうか?「レイちゃん」と訳されているところ、本当は何と呼んでいるのか知りたくてたまらない。