青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『贋作』ドミニク・スミス

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一枚の絵がある。十七世紀初頭のオランダ絵画だが、フェルメールでもレンブラントでもない。画家の名前はサラ・デ・フォス。当時としてはめずらしい女性の画家である。個人蔵で持ち主はマーティ・デ・グルート。アッパー・イーストに建つ十四階建てのビルの最上階を占有する資産家の弁護士だ。絵はニューヨークがまだニュー・アムステルダムと呼ばれていた頃オランダから渡った先祖が蒐集したコレクションの一つで夫婦の寝室に飾られていた。

それが、パーティーの最中に盗難にあう。しばらく盗まれたことに気づかなかったのは、本物そっくりの贋作と入れ替わっていたからだ。マーティは私立探偵を雇い、犯人を見つけようとする。変人ながら腕のいい探偵は、どうやら贋作者を見つけ出す。しかし、本物はどこにあるかが分からないのでうかつに手は出せない。マーティは偽名を名乗り、贋作者と会う手はずを整える。

贋作者はシドニー生まれの若い女性でコロンビア大学の院生。芸術史を学びながら、アルバイトで古い絵画の修復を手がけている。初めは贋作を描いている気はなかった。模写だと言われたからだ。しかし、話の様子から依頼者が絵のすり替えを企んでいることを知っても手を引くことはしなかった。エリーは女であることで、修復家としても教授職を得ることも難しくなることに腹を立てていた。精巧な模写の完成は、そんな世間を見返すことになる。

その絵を描いたサラは夫とともにオランダの聖ルカ組合というギルドに所属していたが、夫のしでかした不始末のためギルドを追われ、貧しい暮らしを強いられていた。おまけに娘はペストに侵されて死んでしまう。『森のはずれにて』という、その絵の中の白樺に手を添えスケートをする人々を見ている少女の横顔には早くに逝った娘の印象が重ねられている。

ドミニク・スミスは、十七世紀初頭のオランダの女性画家の苦闘の物語と、二十世紀半ばのニュー・ヨークの絵画盗難事件の所有者と贋作者の出会い、そして、二〇〇〇年、大学と美術館に籍を置く美術史研究者となったエリーとマーティのシドニーでの再会を、章が代わるたびに時代と場所と人物を交替させながら描くことで、一枚の絵に操られるように生きることになる三者三様の人生を三つ編みに編んだ髪のように纏め上げる。

マーティは莫大な遺産を相続していることが仇となって事務所での出世は遅かった。四十代になり、子どもができないこともあり、妻は鬱気味でいつも酒の匂いをさせている。妻を愛してはいたが、自分の人生が思ったようなものになっていないことをどこかで不満に感じていた。そんな時、エリーと出会う。はじめは罰を与えるつもりだったが、何度か食事をしたり飲んだりするうちにエリーの絵に向ける情熱に惹かれている自分に気づく。それはトランペットに夢中だったかつての自分を思い出させるのだ。

エリーは自分を認めない男性社会に腹を立てていて、男との付き合いはあまりなかった。資産家で如才がなく、金払いのいい美術愛好家の誘いを何度も受けるうち、エリーもまた悪い気はしなくなっていた。ジェイクと名乗る男との一泊旅行を承諾するくらいに。オルバニーのホテルで二人は初めて結ばれるが、その夜ジェイクは荷物も持たずに車で帰ってしまう。荷物の中身にある署名から、エリーはジェイクの本名を知る。

半世紀後、シドニーの大学で教鞭をとるエリーは美術館から『十七世紀オランダ女性絵画展』のキュレーターを依頼される。驚いたことに、ライデンの美術館は『森のはずれにて』のほかにもう一点サラの作品を持っているという。そこへ館長のマックスから電話がかかる。なんとアメリカのマーティがもう一枚の『森のはずれにて』を自ら持参してシドニーを訪れるというのだ。

真贋二作が同時に同じところに揃えば、徹底的に調べられ、贋作を描いたエリーの罪が暴かれる。さらに、一六三六年以来絵を描いた形跡のないサラに一六三七年のサインが入った作品が何故描けたのか。エリーとマーティの再開はエリーの研究者としての経歴にとどめを刺すのか。大学と美術館に宛てた二通の辞表をバッグに入れ、エリーは会場に向かう。

旅先のホテルに女を残して一人ニューヨークに帰ってしまったマーティの真意がどこにあったのか、読者は最後にそれを知ることになる。そして、もう一作が描かれることになったその後のサラの人生も。二十世紀後半の新大陸の話に十七世紀初頭のオランダの物語を挿むことで、軽いミステリ・タッチの話に小説としての厚みが加わり、音楽その他による三つの時代の書き分けが興を添える。マーティは大のジャズファンなのだ。

オランダ絵画の蘊蓄、絵画修復の技術や贋作のテクニックと読みどころが満載されている。サラがギルドに飾られているレンブラントの『テュルプ博士の解剖学講義』を批評するところがある。解剖のために開かれた左腕と左手が他の部位に比べ大きすぎるというのだ。二〇〇三年の『大レンブラント展』の図録で確かめるとたしかに大きく見える。十七世紀の女性は長時間外に出て風景画など描くことはできなかったという。妻の描いた絵が夫の名前で売られてもいたようだ。自分たちの進出を阻む有名な男の画家に、憎まれ口の一つもたたきたくなるのは当然かもしれない。