青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『帰れない山』パオロ・コニェッティ

f:id:abraxasm:20181215121117j:plain

体力に自信がないので、本格的な登山はしたことがない。ただ、山に対する憧憬はあり、旅をするときは信州方面に向かうことが多かった。落葉松林や樺の林の向こうに山の稜線が見えだすとなぜかうれしくなったものだ。子どもが生まれてからは八ヶ岳にある貸別荘をベースに、夏は近くの高原に出かけ、冬はスキーを楽しんだ。この本を読んでいるあいだ、ずっとあの森閑とした夜を思い出していた。

北イタリア、モンテ・ローザ山麓の村を舞台に、ひとりの男の父との確執と和解、友との出会いと別れを清冽に描いた山岳小説。ピエトロは小さい頃から夏は両親に連れられ、あっちの山こっちの山と連れ回された。麓の宿に着くと、父は一人で山を目指し、母と子は近くを散策しながら父の帰りを待った。母は二週間も泊まる宿が毎年変わることを嫌がり、やがて一家は母が見つけてきた一軒の家を借りることになった。

ミラノもネパールも出てきはするが、小説の主たる舞台はグレノン山を仰ぐグラーナ村だ。母が見つけてきたのは鋳鉄製のストーブ以外何もない家。集落の上方に位置するその家でピエトロは少年時代の夏を過ごす。僕の沢と名づけた沢で遊んだり、大家の甥であるブルーノという少年と廃屋を探検したり、ミラノ育ちの都会っ子は次第にたくましくなってゆく。

「僕」が六つか七つのとき、初めて父と山に登る。父の登山はとにかく誰よりも早く頂上を攻めるスタイルだ。休むことなく一定のリズムで歩き続ける。迂回路を拒み、たとえ道がなくても最短距離のルートを選ぶ。そして、頂上に登りつめると興味をなくしたかのように、後は急いで家に帰りはじめる。「僕」は父の言うままに登山をはじめ、やがてモンテ・ローザ連峰の四千メートル級の山々に挑むことになる。

ある年、父はブルーノと「僕」を連れ氷河を目指す。しかし、高山病にかかった「僕」は、クレバスを前にして吐いてしまう。一心に登頂を目指す父とはちがい、「僕」は山歩きの途中で目に留める風景や人々の様子に魅かれていた。思春期になり「僕」は両親と距離を置きはじめる。そして、ある日ついに「僕」はいっしょにキャンプしようという父に「いやだ」と言う。初めて父に対して自分の意志を表明した訳だが、父はそれを受けとめられなかった。その日以来二度と二人はいっしょに山を歩くことはなかった。

父の死後「僕」は、父が自分にグラーナ村の土地を遺したことを知らされる。久しぶりに村を訪れた「僕」は、親子が夏を過ごした家の壁に張られた地図に記されたフェルトペンの跡に感慨を覚える。網目状に広がる線の黒いのは父、赤いのは「僕」、そして緑がブルーノの踏破した軌跡だった。「僕」が同行しなくなってから父はブルーノと登っていたのだ。そして、「僕」は久しぶりに大きくなったブルーノと再会を果たす。

父が「僕」に遺したのは湖を臨む土地に「奇岩」(パルマ・ドローラ)と呼ばれる岩壁を背負った石壁造りの家だった。雪の重みに耐えられず梁が折れて屋根は崩れていた。父はブルーノにこの家の再建を頼んでいた。金がない、と躊躇する「僕」に、手伝いがあれば安く上がる、とブルーノは言う。父の思いは疎遠になった二人をもう一度近づけることだと気づいた「僕」は喜んで従う。吹っ切れたように家づくりに励むことで「僕」は、再び山に、そしてブルーノと過ごす日々に夢中になる。

ネパールで出会った老人が地面に円を八分割した図を描く挿話が出てくる。八辺の上に八つの山を描き、その間に波状の線を描いて海だという。そして中心にあるのが世界の中心である須弥山(スメール)だ。老人は度々ヒマラヤを訪れる「僕」のことを「八つの山をめぐっている」のだといい、須弥山の頂上を極める者と、「どちらがより多くを学ぶのだろうかと問うのさ」という話をする。「僕」は、山から離れないブルーノのことを思う。

ピエトロの母はどこにいても誰かと関係を結び、年をとっても孤独でいる気遣いはない。山に魅せられた男三人との対比が鮮やかだ。家族もいるというのに、牧場の経営が破綻しそうになっても山を下りる生活が考えられないブルーノ。いくつになっても独り身でドキュメンタリー・フィルムを撮る資金を集めてはネパールやチベットに通い詰めるピエトロ。放浪と定住という差はあるにせよ、山に縛りつけられている三人の男の桎梏がせつない。

まるでその場にいるようなグラーナ村とそのまだ上にあるパルマ近辺の森や湖、湧きあがる雲、降り積もる雪の描写が素晴らしく美しい。初読時は一気に読み、次の日にはじっくり再読した。頑なな父の気質がどこから来たのか、それに悩まされながらも突き放すことなく粘り強く接し続けた母。その母は決して氷河の上を歩こうとしなかった。そこには深い訳があったのだ。

原題は「八つの山」(Le otto montagne)。中央に聳え立つ山ではなく、その周囲にある山をさまよい続ける人々を意味するのだろう。邦題は逆に、中央の山を『帰れない山』と名づけている。その意味は最後の段落にある「人生にはときに帰れない山がある」という一文を読んで初めてわかる。深い喪失の悲しみに胸蓋がれる結末が読者を待ち受けている。それでも、何度でも頁を繰りたくなる。近頃めったと出会えない心に沁みる長篇小説である。