青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『巨大なラジオ/泳ぐ人』ジョン・チーヴァー

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ジョン・チーヴァーの作品は読んだことがなかったが『泳ぐ人』というタイトルには見覚えがあった。バート・ランカスター主演の映画ポスターを見た記憶があるのだ。1968年の映画だ。たしか、次々と他人のプールを泳いでいく話だった。奇妙な話だという印象を持った記憶がある。水着一つを身につけた男が、そのままの格好で他人の家にある私用プールを泳ぎ渡る映画を見たいと思うほど、当時の私は成長していなかった。

だから、ネディー・メリルに会うのは初めてだった。なるほど、こんな日なら家まで八マイルの距離をジグザグにつながれた水路を泳いで渡りたくもなろうか、という美しい夏の日のプールサイドの情景から話は始まっていた。チーヴァーが作品の舞台によく使う郊外の住宅地には、プールとメイドがついている。日曜日で多くの家ではパーティーが開かれていて、ネディーはどこでも歓迎され酒に誘われる。ところが途中から雲行きが怪しくなる。

嵐に遭い、体力は急に消耗し、パーティーで冷たくあしらわれ、ネディーは心身とも疲れ果て、ようやく自宅に帰り着く。そこで彼を待ち受けていたものとは…。意表を突いた幕切れに、それまでの情景描写とネディーの心身の変化がシンクロしていたことに改めて気づかされる。見事なテクニックである。しかし、これを映画化しようなどとよく考えたものだ。機会があったら映画の方も見てみたいと思った。

もう一つの表題作「巨大なラジオ」はニューヨークの高級アパートメント・ハウスに住む中年夫婦の話。クラシック音楽が好きな二人はよくラジオで音楽を聴くのだが、そのラジオが壊れ、新しいラジオを買うことに。雑音がするので修理してもらうとラジオから人の話し声が聞こえるようになる。聞き覚えのある声から、それが同じアパートの人々の声であることに妻は気づく。

よくパーティーやエレベーターで顔をあわせる素敵な人々が、みな部屋では罵りあったり、金のことばかり気にしていたりすることがだんだん分かってくる。しかし、悪いこととは知りながら妻は盗み聞きをやめられない。それを知った夫は妻をなじる。夫の話から、二人の暮らしも周りにいる人々と変わらないことを読者は知らされる。高級アパートに住む「中の上」に属する人々も一皮むけばこんな程度、という話を上から目線を廃し、内側から描いているところがこの人の持ち味か。

長篇もあるが、ジョン・チーヴァーの本質は短篇作家だ。六百篇もあるその中から村上春樹が小説を十八篇、エッセイを二篇厳選してくれている。どれも、読みごたえのある作品である。「ニューヨーカー」のような雑誌が発表の舞台である、チーヴァーのような短篇作家はアメリカでは量産しなければ食べていけない。そのため軽い読み物といった扱いを受けたようだが、日本のような短篇を好んで読む国でなら受け入れられるのではないだろうか。

郊外の住宅地に住むWASP(ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント)の生活を描くことが多いが、表面的には何不自由のない人々の中にある、階層を維持するための焦燥や、落ちていくことへの不安を、あくまでもリアリズムの手法で、時にはユーモラスに、時にはアイロニカルに、優れた人間観察力を十二分に発揮して短い枚数にきっちりまとめてみせるその力量は大したものだ。何より、同じ土地を舞台にし同じ階層の人々を描きながら、マンネリズムに陥らないところが素晴らしい。

ほぼ時代順に並んでいる小説の最後に置かれた「ぼくの弟」という作品だけは時代順にはなっていない。というのも、その次に置かれたエッセイ「何が起こったか?」に、この小説の成立過程が明らかにされているからだ。エッセイを読むことで、作家がどのようにして小説を書きあげるかが手にとるように分かる。少なくとも、チーヴァーという作家が、どこからその材料を集めてきて、どのように組み合わせるかはよく分かる。

「ぼくの弟」は、夏休み、海辺に建つ母の暮らす家に家族が集まる話である。仲のいい兄弟姉妹の中で、末弟のローレンスだけが、どちらかといえば享楽的な家族と打ち解けない。彼の目には家族のすることなすことが文句の種になる。酒を飲んだり、博打をしたり、仮装パーティーに打ち興じたりする家族を弟がどう見ているかを兄である「ぼく」は、あれこれ想像する。そして「ぼく」と弟はついに衝突してしまう。

こう紹介すると、作家は「ぼく」の側に立っているように思えるが、事実はそう簡単なものではない。詳しいことは「何が起こったか?」を読んでもらうとして、読めばなるほどと思うにちがいない。ところで、日本におけるチーヴァー紹介として、既に川本三郎氏に『橋の上の天使』という短篇集があり、村上氏は今度の短篇集を出すにあたって、重複を避けることを心がけたが、この作品だけは川本氏の本に「さよなら、弟」として載っているらしい。川本三郎ファンとしては、是非探し出して読み比べてみたい。