青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『鐘は歌う』アンナ・スメイル

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旅の土産にその街のランドマークになる建築をかたどった小さなモニュメントを買って帰ることにしている。ロンドンで買ったそれはロンドン塔をかたどったもので、ビーフイーターや砲門に混じって、ちゃんと大鴉(レイヴン)もいた。言い伝えには「レイヴンがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」とある。それで、今でも塔内には一定数のレイヴンが飼育されている。飛んでいかないように羽先が切られているという。

この物語は、その言い伝えをもとに書かれている。舞台は言うまでもなくロンドンとその近郊。時代は定かではないが、荷馬車が交通手段になってはいても地下には鉄道の跡もあるし、電話線も敷かれているところから見て、そう昔のことではない。しかるに主人公のサイモンを馬車に乗せてくれた御者台の男は「徒弟奉公をするのかい」と尋ねている。まあ、ファンタジーで時代をどうこう言うのも間が抜けている。何かがあって、時代が逆行してしまっているらしい。

後で分かることだが、ここで描かれているロンドンは、大崩壊後のロンドンであって、それ以前のロンドンではない。大洪水に遭って、ロンドンの街は崩壊した。塔から最後に逃げ出した二羽のレイヴンは記憶と言葉を司っていたため、人々は記憶を保持し続けることができず、その日その日を唯いたずらに生きていた。人々は話すことはできても文字というものを覚えていないので書き留めることはできない。文字は昔の記号としか理解できていない。

しかし、人々には慰めがあった、朝課や晩課として鳴らされる教会の鐘の音(カリヨン)には「一体化のストーリー」が巧妙に織り込まれていて、人々はそれを毎日定時に聴くことで、大きなストーリーに身をゆだね、自分個人に関わる記憶や、それにまつわる心配事とは無縁の、安逸な日々を貪ることができるのだった。

ところが、そんな人々の中にあって記憶を保持し続ける人々がいた。「記憶物品」という記憶を呼び戻す縁となる物を手にとると、その人の記憶を読むことができるのだ。そういう人々を「記録保持者」という。サイモンの母はそのメモリー・キーパーだった。日々記憶を失う人々は「記録保持者」に「記憶物品」を預けることで、欲しいときに記憶を読んでもらえる。母の手には多くの人から預かった「記憶物品」が集まってきていた。死の近づいた時、母は同じ力を持つサイモンに後を託す。しかし、サイモンはその使命について何も知らされていない。

読みはじめると最初から戸惑う。ソルフェージュのハンドサインだの、カリヨンだの、やたらと音や音楽に関する記述ばかりが続くからだ。しかも、主人公はどうやら徒弟奉公に出られそうになったばかりの田舎育ちの若者に設定されている。視点は一人称限定視点で貫かれているから、サイモンは一日だけの記憶と文字代わりに使う旋律だけを頼りに、母から聞いたネッティという人を探してロンドンを彷徨う。

何も知らない主人公が、故郷を後にして、新しい土地に向かい、そこで仲間を見つけ、敵対者に追われながら、次第に自分の秘めた力に気づいてゆく。そして、隠された使命を理解し、葛藤の果てに協力者と力を合わせて、使命を果たし、やがて帰還する、というファンタジー御用達の、ウラジーミル・プロップのいう昔話の基本的な構成要素がここでも踏襲されている。

気になるのは、オーウェルの『1984』に代表されるディストピア小説をなぞっている点だ。主人公とその協力者であるリューシャンは、カリヨンを用いた「一体化ストーリー」による人民支配を続ける「オーダー」という組織に敵対する。その「オーダー」に敵対する組織が「レイヴンズギルド」と呼ばれる対向組織。彼らの目指すのは、個々の記憶の回復と同時にもっと大きな、例えば都市や国家というものの歴史の記録を残すことである。

「オーダー」は、人々から文字を奪うため「焚書」を行うし、人々の統治を完遂するため「一体化ストーリー」の定着に余念がない。こうまであからさまだと、近年かまびすしい、フェイク・ニュースという言葉の蔓延や権力によるマス・メディアの支配に、誰であれ思いが及ぶ。寓意の底が見えすぎるのだ。

主人公のサイモンは抵抗組織に属する母を持つ特殊能力保持者で、その協力者であるリューシャンはもとは「オーダー」側の人間で、ゆくゆくは修楽師から、カリヨンの旋律を作曲する大楽師を目指していた、いわばエリート中のエリートだ。ストーリーが単線的で紆余曲折に乏しく、人物の出入りも少ない。必然的に、真実に目を向けることなく惰眠を貪り、安逸な日々にのうのうとするもの言わぬ人々に対する覚醒者の焦慮がそこここに透けて見える。

いずれにせよ、ただの人々に活躍の余地はなく、世界は一部の人々の手に握られているのではないか、という疑念が胸から離れない。それともう一つ、音楽に堪能な読者には頻繁に記される音楽用語は自明であるのかもしれないが、一般の読者にとっては、近づき難い壁となってそこにある。作品世界に入りきれないもどかしさが残る。さらには、文字を知らないサイモンの独り語りにしては、描写も説明も流暢すぎる。世界が回復してから後に記された文章であることをどこかで書いておかないと不親切ではないか。そんな疑問が残った。