青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『ハバナ零年』カルラ・スアレス

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電話を発明したのは誰か、ときかれたら、たとえあなたが図書館で『発明発見物語』を読んでいてもいなくてもグラハム・ベル、と答えられる。「電話のベル」と覚えやすいからだ。ところが実際はそうではないらしい。イタリア人のアントニオ・メウッチなる人物がベルより先に特許を申請しているからだ。でも、金に困っていたメウッチは特許保護願を申請するための料金を支払うことができず、特許は失効してしまう。翌年ベルの特許が発効する。それが史実らしい。

それがどうした、と言われるかもしれないので付け足しておくと、実はメウッチがその実験内容について記したメモが実際に残っている。それは彼がキューバの劇場で働いていた時に書かれた。つまり、電話が発明されたのは、なんと電力事情が悪く、よく電話が通じないキューバだったという皮肉な事情があるからだ。これは、それがまだ世に知られていない時代に、いろいろな事情からそれについて調べていた数人の男女の物語である。

1991年、米ソ冷戦が終わり、それまでソヴィエト連邦を頼りにしていたキューバ経済は危機に陥る。表題は、何もかもすべてがなくなってしまった、つまり「零」年を意味している。いうまでもなくハバナキューバを代表する都市で、これはハバナという都市を舞台にした、一風変わったミステリ・タッチの「小説」とひとまずは言っておこう。

主人公で物語の語り手でもある女の名はジュリア。有名な数学者の名を借りた仮名である。「小説」と先に書いたが、形式からいえば、この話はインタビューを通して録音された内容を書き起こした形になっている。文中、ときどき語り手のジュリアが「きみ」と呼びかける部分が挿入されるのがはじめは不思議だったが、最後まで読むと「録音のスイッチを切って」という言葉が入っていて、なあるほど、そういうことだったのね、と納得した。

じゃあ、どうしてミステリなんてことを言ったのかというと、最後に謎が解決されるオチがついているからだ。それに、ジュリアが語る話の内容はといえば、ある文書の行方についての探索行そのもの、というかそればかりだからだ。もちろん、まだ若い男女が登場するので、恋愛らしきものやセックスそのものも描かれはするが、それが中心に来ることはない。理由はいろいろ途中でくるくる変わるが、ジュリアはその文書を見つけたい。そのために、男とつきあっていると言っても言い過ぎではない。

物のないキューバでは、まず金がモノを言う。次に配給では手に入らない物品や自動車を使っての旅行なども、外国人観光客という枠を使えばかなりの自由がきく。というわけで、そのメウッチ自筆のメモが見つかれば、それを外国人(バルバラというイタリア人)に売ることで金が手に入る。それだけではない。世に知られていない新事実なわけだから、それをもとにした論文なり小説なりをを書くことで、名を売ることもできる。

ということで、パーティーでその話を聞いたジュリアは大学時代の師であり、今は愛人関係にあるユークリッド(もちろん仮名)にその話をする。すると、ユークリッドは先刻承知で、すでに多くの資料を収集しているが、肝心のメモが手に入らないのだ、と打ち明ける。そのメモは知人の所有物だったが、金繰りのために売り払われて、今は所在が不明だという。ジュリアはユークリッドと協力して文書を探し始める。

そこに現れたのがエンジェル(仮名)という二十歳代の金髪のイケメンと同年輩のレオナルド(仮名)というムラート(混血)の作家で、二人は仲は良くないが友人関係にある。なぜ仲が悪いのかというと二人にはエンジェルの元妻であるマルガリータを取り合った過去があるからだ。実はその文書というのがもともとマルガリータの家に伝わるものだった。しかし、マルガリータが荷物をエンジェルの家に置いたままブラジルに去り、その文書の行方がよくわからなくなっていたのだ。

三人の男が、それぞれ別の男が隠し持っている、とジュリアに話すたび、その話を信じたジュリアは別の男のもとに走り、結果的にではあるが肉体関係を持つ破目に至る。この辺りの事情は実にあっけらかんとしたもので、誰が誰と寝ようとあまり問題にしないのがラテン気質というものなのだろう。よくは知らないので想像で言ってます。そんなわけで、最後の最後まで文書の行方は分からないものの、男女関係のもつれはそれなりに解決してメデタシ、メデタシ、となる。

最後に、その文書はどこにあったのか、という謎解きが明かされる。古典的なミステリの愛好家なら、だいたい見当がつくと思うのだが、ポオやチェスタートンの短篇でも使われた、あの盲点をつくトリックが使われている。まあ、ミステリ・タッチとはいえ、純然たるミステリではない。どちらかといえば、物のないハバナで大豆ばかり食べながらも、実に陽気で、明るく生き抜くキューバの人の暮らしぶりを味わうのが主眼の小説である。これくらいバラしても叱られはしないだろう。

ところで、グラハム・ベルが電話を発明し、その受話器を使って最初に発した文句というのが本の中で紹介されている。それが「ワトソンくん、用があるからちょっと来たまえ」というのだ。ちょっと話ができ過ぎていると思わないだろうか。これで、ミステリを連想しなかったら、おかしいだろう。