青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『みかんとひよどり』近藤史恵

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陽のあたる縁側に、何度綿を打ち直してもすぐにぺたんとなってしまう縞木綿の座布団を敷いて、その上に座る一人の老女。庭の奥には亡夫が丹精した蜜柑の木に木守めいて残る黄金色の果実に一羽の鵯がきて止まり、さかんに実をついばんでいる。手にした湯飲み茶碗に、斜めになった茶柱がそこだけ陽を浴びて揺らめいている。そんな光景が目に浮かぶ表題で、字面だけで想像するなら随筆か何かと取り違えそうだ。

かな書きの題名だけを読んだとき、ふとそんなことを想像した。近頃では書店も減って、新刊の表紙を目にすることもなくなった。まして、ベストセラーででもなければ平積み、面陳という形で、表紙が目に留まることもない。本を手にして初めて、表紙に描かれたマウンテン・パーカを着込んだ男二人が、ワイングラス片手に季節外れのキャンプを楽しんでいる姿が目に留まる。手前にいるのはポインターか。枯れ木に吊るしたランタンはおしゃれだが、焚火でもバーベキューコンロでもなく七輪というのが微妙だ。

『タルト・タタンの夢』や『ときどき旅に出るカフェ』で料理とミステリをうまく融合させた独特の路線を行く近藤史恵の新作である。例に挙げた二作が連作短編集で、いわばアラカルトだとすると、今回はやや短いものの長篇のフル・コース。野性的な男とどちらかといえば線の細い男性、それに生きのいい女性という三人の組み合わせは『タルト・タタン』を思わせる。今回のテーマは近頃何かと話題になっている「ジビエ」である。

腕はいいのだが、経営手腕に欠けているのか、店をつぶしてばかりいるシェフの潮田は三十五歳。今は女性オーナーにジビエ料理を食べさせるという契約で、店を一軒任されている。野鳥を撃ちに山に入った潮田は道に迷い、遭難しかけたところを猟師の大高に救われる。その日の獲物を解体する大高の手際に魅せられた潮田は、それ以降大高が仕留めた野鳥を引き取ることになる。

フランスなどでは季節になると供されるジビエだが、日本では害獣駆除という目的が先になって名前が知られるようになったようだ。野生の鹿や猪を、こちらの都合で勝手に害獣扱いするのはいささか気になるところだが、山間で農業をしている友人がいて、近くのカフェでお茶しているとき、林から鹿が出てきたことがある。ふだんは優しい男なのに、鹿の害を口にする口吻の激しさに驚いたことがある。町の人間には見えていない部分があるのだ。

店を軌道に乗せるため、潮田がどんな料理を作るのか、という愉しみが一つ。そこに、潮田が泊めてもらった大高の山の家が放火に遭うという事件が起こる。人づきあいを避け、猟犬と山に籠る大高にはどんな経緯があるのか、という興味が話を引っ張る。二人の男はほぼ同年輩で、まだ不惑には遠い。自分の生き方に対する悩みもあるし、他者との軋轢もある。対照的な男二人の出会いは二人の成長にどう影響を与えるのだろうか。

閑話休題、少し前に中島敦の『山月記』がネットで話題を呼んだことがある。長年にわたり教科書教材たり続ける理由は、全文転載可能な短篇であり、代表作であることの他に、人を虎に変えるほどの執心を戒める奇譚を「臆病な自尊心、尊大な羞恥心」という作家のアイデンティティの核となる主題を絡めることで普遍的な主題に再構成した工夫にあるだろう。

超エリートの主人公が己の才を恃み、職を辞して詩作に励むが、困窮し下級官吏と成り果て、遂に発狂し山野を馳せるうちに虎に変身を遂げる。偶々出会った旧友にその苦衷を打ち明けるという話だ。自分の才能を恃んで次第に生活が苦しくなっているという点で潮田に、人と交わらず独り山に籠る点で大高に似ている。とかく、若いうちは自分の生き方にこだわるあまり、周りが見えず独りよがりに執して身動きが取れなくなるものだ。

潮田は調理学校では自分の方がずっと成績がよかったはずなのに、あまりぱっとしなかった同期のシェフが大きな店を成功させていることに嫉妬する。このあたりの落ち着かない気持ちには覚えがある。優等生の陥りやすいところで、師匠のお覚えめでたく何でもそつなくこなすのは得手だが、さて、自分独りになった時、何ができるかというとそれはまた別の問題である。むしろ、しくじって頭を打った者の方が周りをよく見て失敗からの脱出法も知っているものだ。

大高の車が当て逃げされたり、友人の猟師が銃を盗まれたり、と不穏な空気が漂い出すあたりで話は一挙にサスペンスが高まる。動物の命を奪うという点で、猟師は環境保護を訴える運動家には目の敵にされる。ジビエ料理を看板に揚げるレストランのシェフも同様だ。しかし、一方では作物を荒らす鹿や猪、鳥を駆除してほしいという近隣の農家の願いもある。また、せっかく仕留めた獲物も、衛生管理の点で許可を得ていない施設で解体したものは店で提供できないなどという縛りもある。

ミステリではないが、サスペンス風味を利かせて読者を引っ張ることで、他の生き物の命をいただくジビエ料理を切り口に、料理、環境保護、農業、狩猟といった各種の間に横たわる確執をどう考えればいいのか、というヒントを与えてくれる。ひとくちに解決できる問題などはありはしない。その中で、他者との間に生じる軋轢を逃げることなく受け止め、誠実に対処してゆくよりほかにやれることはないだろう。二人の青年の交流がその糸口となる予感がする。

フランス語をあしらったメニューに見立てた目次は今回も健在。第一章「夏の猪」に始まり、第十一章「ヒヨドリのロースト みかんのソース」に至るまで、全十一品。どれも実際に口にしてみたい料理ばかり。それにもう一つ、愛犬家の近藤らしく、潮田の飼うイングリッシュポインターの雌犬ピリカと大高の北海道犬のマタベーが人間たちに負けずに活躍する。頼りない潮田ではあるが、ピリカを案じる気持ちに嘘はない。犬に限らず動物と暮らす者として、うんうん、そうだよね、と何度もうなずかされた。シリーズ化できそうな気もするが、ジビエに限ると難しいか。とまれ続編を期待したい。