青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『夜のアポロン』皆川博子

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76年から96年までに発表されてはいるものの、単行本未収録であった短篇を集めたものである。著者自身は原稿も掲載誌も残しておらず、編者が当時の掲載誌を捜し集めたという。初出は「小説宝石」をはじめとする小説誌で、今では廃刊になっているものもある。一昔前には駅前の書店などで発売日に平積みされており、その当時は大人が読む本だと思っていた。近頃では書店そのものを見かけないので、どうなっているのかしらないが、なんだか妙に懐かしい匂いのする小説集だ。

巻頭に置かれた表題作を読み、子どもの頃を思い出した。田舎のことで、サーカスは祭りの日くらいしか町に来なかった。鋼鉄製の球体の檻の中をオートバイがぐるぐると駆け回る演し物は記憶に焼きついている。「アポロン」は、そのバイク乗りの綽名である。本来はスピード・レーサーになりたかったが、それには途轍もない金がかかる。男が選んだのはどこまで行っても飛び出すことのできない鋼鉄の檻の中をいつまでも走り続けることだった。

華やかなボリショイなどとはちがう小屋掛けのサーカス。旅から旅への浮草暮らしの男と女が死を賭した恋の顛末。女は言う「サーカスは、古くさくて、うす汚くて、わびしいものほど、華やかで残酷で素晴らしいんです」。逆説である。皆川博子の描く世界は、陰と陽でいえば陰。内と外でいえば内。表と裏でいえば裏。どこまでいっても明るい外部に抜け出ることがない。逆に、内部は多彩だ。体や心の中に分け入るような物語世界は表からは見えない色や形と冷たいようでいて生温かい人肌を感じさせる。

書かれた時間の順に並べられている。掲載誌の求めに応じて書きぶりも変わっていったものと思われるが、個人的には初期のものに心引かれる。「冬虫夏草」は、主人公の家に寄生するように棲みついた女のことをいうのだろうか。腐れ縁めいた二人の中年女と若い男の奇妙な同居生活の歪さを通して、頼られることの喜びと煩わしさを被虐嗜虐の快楽にまで突き詰めた意欲作。戦時疎開の記憶が生々しく、ひりひりするような女二人の心理劇が痛い。

ヒッチコックの『めまい』を彷彿させる「致死量の夢」は、誰でも一度や二度は見た覚えのある「墜落する夢」が主題。人は耐えられないほど辛いことに出会うと記憶に蓋をする。迪子が繰り返し見る墜ちる夢には何が隠されているのか。秘された記憶に閉じ込められた罪が、当事者同士の偶然の再会により一気に噴き出す。小さな公営住宅に暮らす三人の女には自分も知らない過去の因縁があった。短い話の中で二転三転する謎解きの妙味。人の心の深淵に潜む悪意の奔出を描いて秀逸。

「天井から、肉塊が吊り下がっている。生肉は、かすかに腐臭を放ちはじめている」という穏やかでない書き出しではじまるのは「雪の下の殺意」。雪まつりで賑わう地方のスナックが舞台。開けたばかりの店に同業のミツ子が顔を出す。七年前の雪まつりの晩、ミツ子の姉のトシ子はかがり火に飛び込んで死んだ。云うなら今夜は七回忌。雪に降り込められる北の町ならではの鬱屈が二人の会話に漂う。

同じ店の台所でマスターの妻、友江が坐り込んで肉塊を眺めている。なぜ友江は呆けたように吊り下げた肉塊を眺めているのか。意表を突く出だし、時と場所、話の筋を限る「三一致の法則」通り、舞台劇を見るようだ。人口三万の小さな町、ほとんどの人は顔見知りだ。封じ込められたような町では男と女の出会いもまた限られる。パイの奪い合いが狂気の賭けを生む。謎は解けても、雪解けは遠い。

公共図書館に所蔵がなく、故山村正夫氏の書庫から発見されたという曰く付きの「死化粧」。書生と人情本作者のコンビが旅役者の子役の死の謎を解く開化人情譚。『柳多留』からの引用や、湯屋の風情、河原者に対する差別意識、お上の威光を振りかざす巡査、と江戸から明治にかけての人情の移り変わりも視野に入れた謎解き小説だ。山田風太郎ばりの開化物は他の作品と比べると趣きが変わるが、余韻の残る幕切れなど、手馴れたものだ。

中井英夫に傾倒するミステリー作家が、和泉式部に因む暗号の謎を解くのが「ほたる式部秘抄」。初の長篇ミステリーでジャンルの登龍門であるポオ賞をとったものの、次作を書きあぐねている「わたし」は高校時代からの友人敦子に乗せられて取材で京都旅行中。貴船の宿に泊まった二人は、そこで一人の女の残した暗号を教えられる。急用で先に帰ることになった敦子に煽られ、慣れぬ暗号解読にはげむ「わたし」は、ついにその謎を解く。冒頭と結末部分が受賞後第一作の文章。間に挟まれているのが暗号解読ミステリーという凝った造り。

ミステリーのジャンルに当てはまるものを集めた『夜のアポロン』は幻想小説を集めた『夜のリフレーン』と対をなす皆川博子の単行本未収録短篇集である。編者の日下三蔵氏も解説で書いているように「クオリティの高さは驚異的」である。これが単行本未収録で、作家自身も原稿や掲載誌のコピーを残していないというのが信じられない。これくらいのものならいつでも書ける、という作家の自負かも知れないが、何とか本にしたいという編者の執念がなければ二度と日の目を見ることはなかったろう。編集者の存在を感じさせる一冊である。