青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『翼ある歴史-図書館島異聞』ソフィア・サマター

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前作『図書館島』をすでに読んでいたとしても、本作を読むのにあまり役には立たないかもしれない。聞きなれない名前が矢継ぎ早に登場し、あらかじめ何の情報も知らされていない人物が突然行動を起こす。あれよあれよという間に、事態は戦闘状態に入ってゆくのだ。不親切きわまりない幕開けである。もっと、余裕のある展開にしてもよかったのではないか、と初読時は思った。ところが、再読しはじめてその意味に思い至った。これは何度も繰り返し読むことをはじめから期待されている書物なのだ、と。

「剣の歴史」、「石の歴史」、「音楽の歴史」、「飛翔の歴史」の四巻からなる物語は、各巻ごとに語り手が交代する。「巻の一・剣の歴史」は、オロンドリア帝国に属するネインの貴族の娘タヴィスが語り手。次の王との結婚を期待される身でありながら、タヴィスにその気はない。周囲の期待を裏切り、名をタヴと変えて軍隊に入り、男達にまじって訓練を受ける。馬に乗り剣を振るうのが得意な、今でいう戦闘美少女。巻の四の語り手、シスキの妹でもある。

「巻の二」は『図書館島』にも出てきた「石の司祭」に纏わる物語。語り手は司祭の娘ティアロン。王子の戦争により父の司祭は殺され、娘は幽閉される。その王子アンダスヤ(ダスヤ)はタヴィスたちのいとこにあたる、オロンドリア帝国の王テルカンの息子である。ダスヤとシスキは互いに愛し合っており、二人が結ばれればネインの血を引く王が生まれることになる。それこそが辺境レディロスの城で虎視眈々とネインの血統による帝国の支配を目論む娘たちの大叔母マルディスの思うつぼとなる。

それというのも「言語戦争」におけるラスの勝利でオロンドリア帝国が誕生する前は、ネインやケステニヤといった小国が分立し、フェレドハイのような遊牧の民は、自由に各地を行き来することができ、国や部族によって言語も風習も信仰する神もちがっていた。帝国の支配は、それらを一つにしたが、谷の民や、砂漠の民にとって不自由をかこつもととなり、反乱の火種ともなるものであった。

タヴはフェレドハイの氏族の長であるファドヒアンやダスヤと手を組み、反乱を起こす。その原因のひとつが現テルカンが、民の信仰するアヴェレイではなく、「石」の教団に取り込まれ、司祭イヴロムが王に代わり帝国を牛耳る現状に対する不満だった。石に彫り込まれた古代の文言を研究し、それに則って王を導くイヴロムだが、それは信仰というよりも一種の否定神学ともいうべきカルト色の強いものであった。

「音楽の歴史」の語り手は、フェレドハイの歌い手でタヴの恋人セレン。彼女の歌う歌をタヴが鉛筆で書き記したものが「巻の三」である。四つの巻は、時間の順序に従ってはいない。鞍鳥と呼ばれる大きな怪鳥イロキに乗って空を駆ける女剣士タヴによって四つの巻は糾われてはいるが、視点もちがえば時間も異なる。しかも、回想視点が何度も挿入されるので、読者は支配する者と支配される者、勝者と敗者、それぞれの観点で、戦いのはじまりから終わりに至るまでを行きつ戻りつしながら眺めることになる。

「翼ある者」という呼び名は、怪鳥イロキに乗るタヴを意味するのは勿論だが、古い書物に残る吸血鬼ドレヴェドのことも指している。帝国が平和理にあるときは姿を見せないが、不穏な状態に陥ると、どこかで頭に角のある者の噂が口の端に上るようになる。しかも、「ドレヴェドの歴史」という書物によるとドレヴェドは王家の祖ということになる。女神アヴェレイの持つ負の側面こそ肩甲骨に翼の生えるドレヴェドが生まれる所以であった。

「巻の四」の語り手はシスキ。王子と結ばれ帝国を治めることを期待されていた。ところが、反乱の失敗で傷ついたダスヤを見守りシスキは七年ぶりに二人きりで暮らすことになる。愛し合っていた二人がなぜ離れ離れになったのか、世継ぎと決まっていた王子がなぜ無謀な反乱に加わったのか、思いもかけぬ理由が最後に明らかにされる。ミステリでいえば謎解きにあたる最終章のあっと驚く展開は、それまで封印していたファンタジー色が一気に躍り出て、読者を別世界に連れだすこと必定。

二度読めば、伏線にも気づくが、初めて読んだときは、巻頭に付された家系図とオロンドリア帝国の地図、そして巻末に置かれた用語集と首っ引きで、何とか話の筋道を理解するのに必死で、言外に匂う仄めかしなど気づくはずもない。ただただ四人の女性の境涯を追うのに夢中だった。それでも、最後まで読んでから初めにもどると、なるほど、あんなに面妖だった事態の進展が手にとるように呑み込めるから不思議である。

核となるのは、ケステニヤという小国の独立を目指すナショナリズムの動きだ。ネインの貴族の娘ながら、遊牧の民フェレドハイに加わって放牧生活に馴染んだタヴは、彼らがジプシーのように粗略に扱われることに義憤を抱く。部族の民が誇り高く生きていくためにはケステニヤはオロンドリア帝国から独立するほかはない。英国から独立を目論んだスコットランドやスペインのカタルーニャのように、独自の文化、風習を持つ民族の分離、独立にかける情熱が物語の底流にある。

しかるに、戦闘場面は多くない。話者が女性ということもあるが、戦いの終わった時点から語られる傷ついた者の哀歌の趣きが強い。独立を夢見て戦いを始めたタヴは多くの者の命を奪うことになり、司祭の娘はただ一人の父親の命を奪われる。セレンは兄や仲間を殺され、シスキもまた戦に敗れたダスヤと取り残される。女は政略結婚の道具でしかなく、書かれた歴史の中で女の占める位置など無きに等しい。ならば、女の手で書きとめられる歴史が必要となる。『翼ある歴史』は、その試みではないか。

ダスヤとタヴが起こした反乱の犠牲者であるティアロンの語る物語は、その中ではいわば外伝。ティアロンの父イヴロムの物語は、貴族階級の姉妹や王子の物語とは大きく色あいが異なる。ルサンチマンの色濃い野望を果たすために、友人や弟子の解釈を異端と切り捨てるだけでなく、遂には死に追いやる、イヴロムの暗い情念の奔出は読んでいて空恐ろしい。カルト集団の持つ力が権力と結びついた時、そこに待っているのは終末的な世界である。とても他人事とは思えない。

指輪物語』や『ゲド戦記』でお馴染みの物語の舞台となる地図を巻頭に置きながら『翼ある歴史』は、ファンタジーというより稗史小説めいている。しかし、結末に至り、ファンタジー色が一気に強くなる。トールキンル=グウィンに影響を受けたというソフィア・サマターは、言語に関する関心が高く、民族によって異なる言葉や伝説、風習を厳密に創造し、詳細に言語化する。そのため、用語集を引かなければ、初めは何が何やらさっぱりわからない。いや、最後に至っても充分呑みこめたとはとても思えない。

ファンタジーにおける異世界の創出は、作家が描きたい世界を思うがままに作り出すための仕組みである。物語を追う過程で、読者は様々な主義主張、思惑を無意識の裡に受け止めることになる。世界の中での女性性について、文字文化と無文字文化の世界の葛藤、定住と移住、その他、挙げだせば枚挙に暇がないが、それが主ではない。まずは作者によって精緻に作り上げられたこの物語世界をじっくり楽しむことだ。話はそれからである。前作をはるかにしのぐ物語世界が読者を待っているのだから。