青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『イタリアン・シューズ』へニング・マンケル

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スウェーデンの冬は寒い。海まで凍りついてしまう。毎朝、島の入り江に張った氷を斧で叩き割って穴を開け、その中につかるのが「私」の日課だ。寒さと孤独と闘う、と本人はいうが、自分に課した懲罰のような行為だ。元医師のフレドリックは六十六歳。昔はストックホルムを臨む、この群島に五十世帯もの家族が暮らしていた。今は七人だけだ。自ら望んで島流しのような暮らしをするにはどんな理由があるのだろう。

ある日、水浴を終えて家に帰る途中、歩行器に頼って雪の上を歩く女の姿を見つける。どうやら、この島を訪れる唯一の訪問者である郵便配達夫ヤンソンがハイドロコプターに乗せてきたらしい。近づくにつれ、それが昔捨てたハリエットであることが分かる。元恋人は癌に侵され余命いくばくもなかった。死ぬ前に昔の約束を果たせと言いに来たのだった。

刑事ヴァランダー・シリーズで知られる北欧ミステリの雄、へニング・マンケルによる新作。つかみはばっちりという発端だが、これはミステリでもサスペンスでもない。いや、もちろんドキドキハラハラはさせられる。秘されている事実があるからだ。「私」はなぜ、こんな孤独な暮しを自分に強いているのか。ハリエットは、なぜ別れて四十年も経つ今頃になってフレドリックに会いに来たのか。

孤独な隠遁生活を送る老人という設定だけで、読みたいと思わされる。他人事ではないからだ。我が身を振り返れば、主人公と同い年の今も、妻や子に囲まれてひとつ家に暮らしてはいるものの、これは単なる偶然に過ぎない。もともと、家族を持とうなどとは考えてもいなかった。もとより自分から動くタイプではない。出会いというものがあり、相手の意思というものがなければ、どうなっていたかは分からない。

家族を持てば、責任がついて回る。自分勝手な生き方を送りたいと思っているものには、それは桎梏でしかない。おまけに、現に生きている世の中は自分が生きていたいと思うものでもなければ、自分の子を住まわせたいと思う世界でもなかった。主人公は何故、絶海の孤島で孤独な人生を送ることにしたのか、その訳が知りたいと思った。

この歳になると、結婚も二度や三度の経験があるのが西欧の常識らしい。この前読んだデニス・ジョンソンの『海の乙女の惜しみなさ』にも、別れた元妻が死ぬ前に電話をかけてくる話があった。人の死を前にすると、誰しも敬虔な気持ちにさせられる。振り返りたくもない過去を振り返る気にさせられるのだ。

ミステリではないので、ネタバレを心配することもないのだが、これから読む読者のことを考えると内容を詳しく書くことはできない。主人公が外科医で、自ら孤島に引きこもっているというなら、その原因は自分がおかした誤診のせいでは、と推察できる。足の不自由な老女が、連絡もなしに、突然氷に閉ざされた絶海の孤島にまで足を運ぶのは、有無を言わさず、相手をそこから引っ張り出す目的があるからだ。

主人公は過去の不幸な出来事を「大惨事(カタストロフ)」と呼んでいる。被害者意識から自分の行為に対して直面することを避け、病院を飛び出して外国に逃げた。故国に舞い戻ってからは祖母の家があったこの島に世間から逃げるようにして隠れ住んでいる。四十年ぶりに突然現れた元恋人が、彼を世界に引っ張り出し、連れまわることで、結果的にフレドリックは世界との関係を作り直すことを迫られる。

帯に「孤独な男の贖罪と再生、そして希望の物語」とあるが、それは主人公の側に立った視点でしかない。客観的に見れば、主人公の行為は利己的で、無責任。それ以上に他者に対しての思いやりというものを徹底的に欠いている。捨てた女のいうことを聞いて、旅に出たのはいいが、過去を責められると、また女を振り捨てて島に逃げ帰る。古傷に向き合いはしたが、相手が責めないのをいいことに、再び傷つけるような行為に及ぶ。

どうにも救いようのない男なのだ。犬や猫、鳥を相手にしている時だけ人間らしさが垣間見える。そう考えて、思い至った。三十年以上、誰ともつきあって来なかったのだ。人間とのつきあい方などとうに忘れていて当然ではないか。そんな「人でなし」が、死を前にした昔の恋人の手で、人の世の中に連れ戻され、情けない目や、怖い目にあわされ、しだいに人間性を回復してゆく。これはそういう物語なのだ。

「贖罪」というのは、まだ納得がいかないが、「再生」の物語というなら、なるほど、と思わされる。ミステリの大家らしく、読者を物語世界に誘い込む手立ては巧いものだ。イタリアの名工の注文靴に対する蘊蓄など、枝葉末節と見誤りがちだが、冒頭から結末に至るまで、ちゃんと主筋にからみついていて、最後にきちんと回収される。どれだけ逃げ回っていても、最後には勘定を合わせるために、見たくない真実に直面させられるのが人生というものなのだろう。たまには自分の人生について振り返ってみるのも悪くない。そんな気にさせられる物語だ。