青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『アメリカン・デス・トリップ』上・下 ジェイムズ・エルロイ

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<上・下巻併せての評です>

アメリカが清らかだったことはかつて一度もない。悪党どもに幸いあれ―

「電文体」が帰ってきた。一文が短い。まるで電報。一文に単語が五つ以上使われることは滅多にない。新聞の見出しが躍る。電話の録音の書き起こし。マフィアのボスのバカ話。ハリウッドのスキャンダル。ときどき無性に読みたくなるジェイムズ・エルロイ。シリーズ中残る一作は「アンダーワールドUSA」三部作の第二作。アメリカ史に影を落とす要人暗殺の連鎖を背景に、男たちの報われることのない闘いを描く。

前作で死んだケンパー・ボイドに代わり、ウェイン・ジュニアが登場。ラスヴェガスの富豪、ウェイン・テッドロー・シニアの一人息子。ウェイン・シニアはクー・クラックス・クラン。子は父を憎んでいる。憎悪がウェイン・ジュニアの糧だ。ピート・ポンデュラントはそんなウェインを弟のように見守る。三人の主人公が交代で視点人物を務める。もう一人はウォード・リテル。懐かしい友に再会した気分だ。

ジャック・ケネディの死に始まり、マーティン・ルーサー・キング、ボビー・ケネディの死に終わる。アメリカの暗黒史を暴くクロニクル。一九六三年十一月二十二日、ラスヴェガス市警刑事、ウェイン・テッドロー・ジュニアのダラス到着に始まる。以後、ラスヴェガス、ロサンゼルス、メンフィス。さらにキューバ、ヴェトナム、ラオス国境のケシ畑。舞台は太平洋をまたぐ。時はヴェトナム戦争の真っ最中。

ピートにとってヴェトナムはもう一つのキューバだ。ピッグス湾で仲間を見捨てたケネディが許せない。軍から横流しされた武器をキューバに送る。夢よもう一度だ。イデオロギーではない。金儲けも関係ない。ハヴァナには夢があった。カジノがあった。そこにピートの生きる場所があった。ケネディは腰が砕けた。カストロはハヴァナを奪った。ピートは夢を忘れられない。

ウェインはダラスに送り込まれた。指令は黒人のヒモの殺害。ウェインは殺せなかった。逆にダラスの刑事を殺してしまう。ピートの助けを得て死体を処理。辛くも罪を免れる。ところが、ヒモ男はウェインの妻を惨殺する。復讐に狂ったウェインは仲間の黒人三人を殺し、刑事を辞める。化学専攻のウェインはヘロイン精製に通じていた。ピートはウェインをヴェトナムに誘う。ウェインは見る。ヴェトナムを。ヘロインに群がる男どもの姿を。ウェインは見続ける。見ることは知ることだ。ウェインは強くなる。

ウォードは孤独だ。理想や主義を捨てた堕落したインテリ。誰も彼を理解できない。権力者の黒子となって相手を援ける。相手は誰でもいい。大富豪でも、マフィアのボスでも、FBI長官でも。イデオロギーも信仰も介入する余地はない。相手に合わせて仮面をかぶり、カメレオンのように色を変える。盗聴し、強請り、人を動かす。帳簿を誤魔化し、金を動かす。ウォードが動く方に世界は動く。人が殺される。ウォードは怖れる。

シェルシェ・ラ・ファム。女を探せ。犯罪の陰に女あり。エルロイの女たちは魅力的だ。顔やスタイルは当然のこと。会話が弾み、機転が利き、歌が歌え、ダンスが踊れ、数字に強い。腕が立つのは男も同じだが、男は女に勝てない。エルロイの男たちは女に弱い。ノワールのヒーローなのに。惚れっぽい。人間臭い。そこがいい。

男たちの見果てぬ夢が終わる。夢は美しすぎた。ヴェトナムはキューバに代わる楽園ではなかった。ボビーの目指すアメリカの正義は潰える。マフィアが潰す。フーヴァーが潰す。組織は一度握った権力を離さない。そのためには裏切る。裏切りに次ぐ裏切り。大義は国家に裏切られ、男は愛した女に裏切られる。ドラッグが見せる束の間の美しいトリップ。夢の終わりはいつも切ない。

オズワルドは、何故ジャック・ルビーに殺されたのか。マーティン・ルーサー・キングを殺したかったのは誰か。ボビーの死を願ったのは。史実と虚構をつき混ぜ、どこまでが本当でどこからがフィクションなのか、そのあわいを判然とさせないエルロイ・マジック。これが事実である必要はない。しかし、これが事実であってもよい。そう思わされるだけの重さが宿る入魂のノワールである。今のこの国の報道など、この小説一文ほどの重さもない。