青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『モスクワの伯爵』エイモア・トールズ

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書名からロシア文学だと思うかもしれないが作者はアメリカ人。原作は英語で書かれている。原題は<A Gentleman in Moscow>(モスクワの紳士)。邦題は主人公アレクサンドル・イリイチ・ロストフが帝政ロシアの伯爵であることに由来する。小説が扱うのは一九二二年から一九四五年まで。小説が始まる五年前の一九一七年、ロシアでは二月革命十月革命が起きている。貴族には、亡命、流刑、投獄、銃殺など、悲惨な運命が待っていた。

暗い予感に躊躇するかもしれないが、早まってはいけない。主人公のロストフ伯爵は銃殺刑を免れる。革命前に書いた詩が人民に行動を促した事実が認められたのだ。従来どおり、モスクワの超一流ホテル、メトロポールに住むことを許される。ただし、部屋は最上級のスイートから屋根裏部屋に変わる。ホテル外に一歩でも出たら銃殺刑という処分。貴族のプライドを傷つけ、自由を奪う、見せしめの刑である。

伯爵は意気消沈したか、それとも自分をこんな目にあわせた相手に復讐を誓っただろうか。自暴自棄になっただろうか。とんでもない。名づけ親である大公の「自らの境遇の奴隷となってはならない」というモットーに従い、新しい境遇を受け入れ、第二の人生に足を踏み出してゆく。伯爵は逆境を前向きにとらえ、新生を愉しむ。その姿はむしろ明るく颯爽としている。

この伯爵という人物が実に魅力的だ。小説の魅力の大半はこの人物にかかっている。当意即妙の話術。文学や音楽に関する教養。人を惹きつける態度物腰。人間観察力による客の差配。料理の選択とそれに合わせるワインに関する蘊蓄を含め、貴族として持ち合わせている資質に加え、主人公だけが持つ人間的魅力に溢れている。

貴族とか紳士とかいう人々はこんなふうに生きているのか、とその優雅さにため息が出る。何しろ、父が作らせた時計は一日二度しか鳴らない。紳士たるもの時間に縛られてはならぬのだ。朝起きたら、コーヒーとビスケット、果物を摂り、昼の十二時に時計が鳴るまでは読書。<ピアッツァ>で昼食を楽しんだ後は好きなことに時間を費やす。晩餐はレストラン<ボヤルスキー>でワインを伴に、食後はバー<シャリャーピン>でブランデーを一杯。そして夜十二時の時計の音を聞く前に眠るというもの。

机の脚に隠された金貨の力もあり、欲しいものは取り寄せる。外に出ずとも暮らし向きに不自由はない。午前中は読書で時間がつぶれるが、午後の無聊をどうしたものか。主人公を退屈から救うのが少女ニーナとの出会いだ。仕事に忙しい父親に放っておかれたせいで、ニーナはホテルを遊び場にしていた。伯爵はニーナに案内されホテルのバックヤードに通暁する。秘密の通路や隠し部屋は単なる遊び場所ではなく、後に出てくるスパイ活劇での出番を待つ。伯爵と少女との会話がチャーミング。

貴族にロマンスはつきものだが、外出の自由を奪われた男は女とどう付き合うのか。密室物のミステリ同様、軟禁状態での色恋は不可能に思える。伯爵はコース料理はメインディッシュから逆算してオードブルを選ぶ。同様に作家はストーリを組み立てる時点で、後から起きる事件の原因を先に置く。綿密に練られたプロットがあって、多くの伏線が張られている。二度読みたくなる。ああ、これはこのためだったのか、と膝を叩くこと請合い。

ホームズ張りの観察眼の持ち主である伯爵は、レストランで客をどの席に案内するのが最適か一目でわかる。その特技を生かして給仕長となる。マネージャーのアンドレイ、料理長のエミールと互いの力量を知る者同士の間に友情が芽生える。その一方で、伯爵の前に一人の男が立ちふさがる。給仕のビショップだ。党の実力者にコネがあり、権力の階段を上ってゆく。この男が伯爵の宿敵となる。

敵がいれば味方もできる。グルジア出身の元赤軍大佐オシブがその一人。外交上の必要から伯爵に英仏語会話やジェントルマン・シップを学ぶうち肝胆相照らす仲になる。もう一人がバーの相客リチャード。アメリカ人ながら育ちの良さや学歴、と共通項のある二人はすぐに打ち解ける。リチャードがプレゼントした蓄音機とレコードも大事な伏線のひとつ。

革命時、パリにいた伯爵は身の安全を図るなら帰るべきではなかった。祖母の国外脱出を援けるためなら自分も一緒に逃げればいい。戦いに加わらないのに、なぜ国内にとどまったのか。それには深い理由があった。新しい友との出会いの中で、過去の経緯が語られる。伯爵の衒気が敵を作り、最愛の妹を傷つけたのだ。王女をめぐる軽騎兵と貴族の恋の鞘当て。ツルゲーネフの小説にでも出てきそうな過去の逸話が伯爵の人物像に陰翳を添える。

貴族であることを理由に処分されながら、伯爵は一概に革命後のソヴィエトに対して批判的な立ち位置をとらない。むしろ、時代というものは動いてゆくものだ、と冷静に受け止めている。しかし、スターリン独裁による粛清やシベリアの収容所という現実は、自分の友人知人の運命と直接関わってくる。ニーナに代わり、その娘を育てることになるのもニーナの夫のシベリア送りがからんでいる。

三十代から六十代までの人生を、伯爵はホテルの外に出ることなく、友達に恵まれ、女性を愛し、「娘」を授かり、子育てを経験し、やがて立派に成長した娘を外の世界に送り出す。どんな時代にあっても、どんなところに暮らしていても、人と人とは邂逅する。階級差やイデオロギー、国籍を超えて、人は人と生きてゆく。近頃珍しい人間賛歌が謳いあげられる。

ひとつの街のように、まるで異なる人生を生きてきた人と人が、ひと時のめぐり逢いを生きる、ホテルという場所を生かして、魅力的な登場人物を配し、ここぞというときに動かす。それまで軽い喜劇調で進んでいた話が、最高潮に達すると、ル・カレのスパイ小説のようなシリアス調に変化する。はじめに張っておいた伏線が次々と回収され、見事に収斂する。

格式あるメトロポール・ホテルの調度は勿論のこと、大きなフロアを泳ぐように動き回る給仕たち。様々な食材をさばくレストランの調理場。林檎の花咲きこぼれるニジニ・ノヴゴロドライラックの蜜を求めて蜜蜂が群舞するアレクサンドロフスキー庭園、と魅力溢れる風景が眼の前に浮び上る。まるで映画の一シーンを見るようだと思っていたら、映画化も決まっているという。アンドレイのナイフ四本のジャグリング、エミールの包丁さばき、と見どころは多いが、演ずる役者もさぞ大変なことだろう。