青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『終焉の日』ビクトル・デル・アルボル

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病室のテレビは国会が襲撃されたクーデター事件を放送している。一九八一年のスペイン。弁護士のマリアは三十五歳。バルセロナの病院で死にかけている。複数の事件に関わっているらしく病室には監視がついている。事件は一応終っているのだが、逃亡中の容疑者がいて、刑事が時折訪れて尋問めいた話をしていく。マリアは脳腫瘍の手術後で、しかも腫瘍はまだ取り切れていない。髪の毛は剃られ、身体にはチューブがつながれている。

多視点で語られる。遡行したり、現時点にもどったり、行きつ戻りつを繰り返しながら、絡み合う人物同士のもつれあった関係を一つ一つ解きほぐし、一本の筋の通った物語に纏め上げてゆく。親の因果が子に報い、というのは見世物小屋の口上だが、まさに、それを地で行く因果応報の地獄絵図だ。拷問、暗殺、監禁、調教とこれでもかというくらい救いようのない残酷さに満ち溢れている。

三年前、マリアはある事件を担当した。セサル・アルカラという警部がラモネダというたれ込み屋を拷問し瀕死の重傷を負わせた、とその妻が訴えた。証拠も証言も揃っていた。警部は投獄され、マリアの仕事はそれを機会に倍増した。しかし警部の暴行には理由があった。彼はプブリオ議員の悪行を暴く証拠を握っていたが、逆に娘を誘拐され、事実を話せば娘を殺すと脅されていた。ラモネダを傷めつけたのは娘の居所を吐かせるためだったのだ。

一九四一年、セサルの父マルセロは、フランコ独裁政権下のファランヘ党バダホス県支部長を務めるギリェルモ・モラの次男アンドレスの家庭教師に雇われていた。プブリオは当時貰の私設秘書としてすべてを掌握する片腕だった。そんなとき、モラが共産党シンパに襲撃される事件が起きた。暗殺を計画したのはモラの妻だった。イサベル夫人に惹かれていたマルセロは夫人の逃亡に手を貸して逮捕された後、夫人殺しの罪で処刑されてしまう。しかし、真犯人は他にいた。

第二次世界大戦中、スペインは参戦に積極的ではなかった。余力がなかったのだ。ただ、ヒトラーの支援を受けていたフランコは「青い旅団」をロシア戦線に派兵した。父による母の虐待を指弾した長男フェルナンドを、モラはその一員に加えることで罰した。アンドレスは守り手の母と兄を失い施設に放り込まれてしまう。イサベラの処刑を目撃してしまった兵士ペドロも、プブリオの手で同じくロシア行きとなる。

愛する者や自分の人生を奪われた者たちの復讐劇の幕が切って落とされる。三十五年という時間は、人をその容貌だけでなく精神の根底から変えてしまう。ましてやシベリアの強制収容所(グラーグ)という地獄を経験すれば、変わらない方がおかしかろう。死んだものと思われていたのを幸いに時間をかけて計画された復讐手段は手が込んでいた。

一方で権力を得たプブリオは議員職だけに飽き足らず、クーデターを計画し、権力の掌握を狙っていた。自分の邪魔になる警部の娘を誘拐し、口を封じたが、マリアという弁護士が獄中のセサルに接見し、証拠を嗅ぎ出そうと動き出したことに気がつき、マリアの元夫を使って脅しをかけるが、マリアには通じない。そこで、ラモネダをマリアに付き纏わせる。マリアとセサルは、娘のマルタを取り戻すことができるのか。夫人を殺した真犯人は誰か。

スペイン現代史を背景に、父の犯した罪によって人生を狂わされる子どもたちの悲惨極まりない人生を描く圧巻のミステリ。とはいえ、謎解き興味は薄い。あまりに多くの人間が視点人物となって事件を異なる角度から語りはじめるので、謎がいつまでも謎でいられなくなるのだ。そうなると、興味は人間ドラマの方に移るわけだが、今のこの国の現状と変わらず、悪は追及をすり抜け、運命に翻弄された弱者ばかりが憂き目を見ることになる。どこまで行っても霧の晴れない世界に放り込まれた者たちが互いに傷つけあうのを傍で見ているようでいたたまれなくなる。

小説の中で日本刀が大事な役割を果たしている。ただし、日本で作られたものではない。ピレネー近くの村で鍛冶職人をしているマリアの父が作ったものだ。日本人読者からすれば、それはちょっと、と思ってしまうのだが、鞘は泰山木と竹、鍔には龍が彫られているというから本物の拵えのようだ。原題は<La Tristeza del Samurái>(侍の悲しみ)。西洋人から見た武士道に対する憧憬は感じられるものの木に竹を接いだような違和感が残る。

バルセロナを舞台にしたミステリといえば、カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』を思い出すが、スペインの近代史を背景にしている点以外にも、グラン・ギニョールを彷彿させる血塗れの残虐さや醜悪さの追求といった点に共通するものを感じる。裏切りとそれに対する報復に寄せる執着も並々ならぬものを感じる。国民性などという言葉で簡単に括りたくはないが、美観地区にちなんで、バルセロナ・ゴシックとでも名づけたいような独特の雰囲気がある。人にもよるが残酷描写が嫌いでなければハマってみるのも悪くないかもしれない。