青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『パリンプセスト』キャサリン・M・ヴァレンテ

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「訳者あとがき」も「解説」もないのは原作者の意図だろうか。冒頭から、いきなり隷書体めいたフォントで「十六番通りと神聖文字通りの角で、ひとつの工場が歌い、溜息をつく」と書き出されたら、慣れない読者は本を投げ出さないだろうか。ここはひとまずざっと読み飛ばしておいて、慣れた明朝体活字で綴られた、いかにも小説らしい文章から読み進めることをお勧めしたい。ある程度、あらましがつかめたら、古怪な文章に戻るとよい。そうして、少しずつ物語世界に分け入るしかない。

『孤児の物語1・2』でファンタジー界に強烈な印象を与えた、キャサリン・M ・ヴァレンテの新作である。『孤児の物語』は、既存のファンタジーにはあり得ない奇想が溢れていて、初めての読者はついていくのに骨が折れた。何よりも次から次へと繰り出される摩訶不思議な物語の一つ一つが短く、見慣れぬ土地を彼方此方と引きずり回される落ち着かなさに眩暈がした。まるで、色とりどりのアラベスクに見惚れている万華鏡を誰かの手が勝手にくるくる回しているような気分だった。

湧き出てくるアイデアを整理する暇もなく、そのまま一つの物語世界に放り出したような前作とは異なり、奇想は健在ながら、本作は物語の結構というものを意識して書かれたことがよく分かる。異形の者たちが綾なすファンタジー世界と、リアルな人間が生活を営む現実世界を弁別することで、目くるめく幻想の世界と愛と苦悩に満ちた現実世界が、写し鏡のように互いを支え合う。エンデの『はてしない物語』が異なる世界を二色のインクの使い分けで示していたように、本作はフォントの違いが世界を分かつ。どちらの世界も互いに浸潤しあっているのはいうまでもない。

紙が発明される以前、本には羊皮紙が使われていた。高価なため一度使った羊皮紙の文字を消し、再利用することも多かった。それをパリンプセストという。近頃では、X線等で元の文章を判読することもできるようになった。現実世界の裏にかつて存在した世界を透かし見ることができる。表題は二つの世界が並行世界であることの暗喩だ。「口絵」と「見返し」と題された部分に挿まれた本文五部で構成されている。各部は四章で成立し、各章の前に、先に述べたフォントの異なる短い物語がついている。この作家独特のファンタジーが濃厚に味わえる部分だ。再読、三読時にたっぷりと味わうのがいいだろう。

「パリンプセスト」とは、この地上には存在しない、人々の夢の中にだけ存在する領地の名前である。そこに入るには一つの通過儀礼がある。体の上に蜘蛛の巣状の刺青に似た徴を持つ者と愛を交わす必要がある。それが異界に入る扉で、一度入った者には、同じ刺青状の模様が皮膚のどこかに刻印され、こちらの世界でも消えることはない。地図のような黒い線は、謂わばパスポート。よくよく見るとラテン語のような綴りで、通りの名まで記されている。厄介なのは滞在は一夜の夢に限り、再訪するには、また誰か徴の持ち主と寝る必要がある。それが通行税なのだ。

しかも誰もが行ける場所ではない。主人公は運命の赤い撚り糸で結ばれた、世界中に散らばった四人の男女。中にはアマヤ・セイという日本人の少女もいる。新幹線で東京から京都に向かう途中、佐藤賢二という鉄道ライターと出会い、パリンプセストへのパスポートを手に入れる。セイの行く先はほかでもない、パリンプセストへと向かう列車の客席である。葦の葉で編まれた吊り革や波打つ水面に稲穂が実る客室を、セイは黒い着物姿の<第三のレール>とともに疾走する。

ノヴェンバーはサンフランシスコのチャイナタウンで出会った中国人娘から、パリンプセストへの切符を手に入れる。「移民」に反対する兄とはちがい、その娘は気に入った相手と見るとパリンプセストへ連れていくのだった。図書館司書だった父に育てられた影響で、知識だけは身に着けたが、ロサンジェルスとサンフランシスコを行き来するだけの世間知らず。父の残した蜂を飼って蜂蜜を作るのが仕事だった。その蜂がノヴェンバーをパリンプセストの盟主、カシミラに近づける。

ノヴゴロド生まれのオレグはニューヨークで錠前師をやっていた。鍵にぴたりと合う錠前を探すのが得意、というのは何というあけすけな比喩であることか。オレグには自分が生まれる前に川に落ちて死んだリュドミラという姉がいた。子どもの頃からその姉はベッドの足下に髪を濡らして腰掛けていた。オレグは自分と一緒に歳を重ねてきた幽霊を愛していた。ところが、姉と同じ名の首筋に黒い線のある女とつきあい出した頃、姉は姿を消してしまう。

ルドヴィコは少し髪が薄くなったローマの装丁家カトリック信者で聖イシドールが著した『語源論』という世界最古の百科事典を信奉していた。ルドヴィコは妻も自分と同じ世界を愛していると思っていたが、ルチアにとってはそうではなかった。ある日、膝の裏に黒い模様が現れたのを機に、ルチアは帰ってこなくなる。ルドヴィコは、妻の友人を訪ねて回り、ネレッツァという女を見つける。ネレッツァはルドヴィコをルチアを見かけたところに案内するのだったが、そこは…。

愛する女を見失い、深い喪失感に見舞われた男たちは、オルフェウスのように愛する者を求めて異界を彷徨う。この世では何者でもなかった女たちは、誘われるままに足を踏み入れた世界で自分を必要とする者たちの愛に包まれ、圧倒的な使命感に満たされる。四人は、現実世界では満たされないものを得られるパリンプセストの世界に「移民」となることを願うが、それには現実世界で互いを見つけることが必要だった。

現実とされている世界に不信や違和を感じている者にとって、この世界とは別に存在する並行世界の存在は魅力的だ。ましてやそれが、自分にとって命より大切なものが存在する世界であるならなおさらのこと。不条理な世界に倦み、失った愛を希求する恋人たちにとって、唯一リアルな世界とは、確かな手触りを持つ過去の記憶によって紡がれる物語の世界ではないのか。パリンプセストには、戦争の記憶もあれば、新しく移り住む移民を待ちわびる人々の存在がある。

まるで羊皮紙から古い文字を削り取るように、現実の歴史を改竄することは、過去をないがしろにする行為である。過去とは人々の記憶に残る現実である。偽りの世界を拒否し、自分の心に正直な者が生きることを希求する世界が現実でないはずがない。虚ろな現在に突きつける肚の底からの違和感が、パリンプセストの世界を生じさせた。機械仕掛けの虫たちや獣や爬虫類の顔と肢を持つ者たちの世界に行きたければ、黒い蜘蛛の巣めいた地図を探して、行き交う人々の衣服から出た肌を見つめるしかない。もし、あなたが孤独であるなら、どこかに同じインクに足を浸した相手がいるかもしれない。