青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『わたしのいるところ』ジュンパ・ラヒリ

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わたしたちが通りすぎるだけでない場所などあるだろうか? まごついて、迷って、戸惑って、混乱して、孤立して、うろたえて、途方にくれて、自分を見失って、無一文で、呆然として(傍点四七字)。これらのよく似た表現のなかに、わたしは自分の居場所を見つける。さあ、これがおまえの住まいだ。この言葉がわたしを世界に送り出す。

原題は<Dove mi trovo>。直訳すれば「私はどこにいますか」。四十六篇の掌編小説で構成された連作短篇小説のように思えるが、これはジュンパ・ラヒリがイタリア語で書いた最初の長篇小説である。四十六もある各章のタイトルが「歩道で」「道で」「仕事場で」というふうに、表題に対する応答になっている。

「わたし」は四十代後半の女性。ローマと思しきイタリアの街に独りで暮らす。仕事は大学教師。父とは早くに死に別れ、母は地方の町でやはり一人暮らしをしている。神経質であることは自認している。出不精で観劇という唯一の趣味の他には金を使いたがらなかった父、とそれに不満を感じながらも我慢をし、その分娘に対して厳しくあたった母の影響で、「わたし」という人物が作られた。「わたし」は他者に対して、そう易々と胸襟を開けない。

しかし、心の中では周囲の人々や自分の暮らす街について思うところはある。というか厳しい批評眼を駆使し、気のついたことを日々手近にあるノートや紙にメモを残している。この本は、バールやトラットリアその他「わたし」が立ち寄る先で目にする人々の印象のスケッチであり、親しい友人のポートレートだ。気に入った若い人々や、気分のいい日の記録には心あたたまる言葉が並ぶが、好きになれない人々や気分がすぐれない日にはネガティブな感情や言葉があふれている。

『停電の夜に』をはじめ、英語で書かれた小説にはベンガル系移民という出自がついて回る感があったが、それら自分ではどうにもできないものから自由になるために、彼女はイタリア語で書くことを自ら選び取った。母語のことを<mother tongue>と呼ぶが、ラヒリにとっての英語は「継母」<stepmother>だったからだ。継母から自由になることで、小説の内容も変化することになった。舞台となる土地にも登場人物にも名前が与えられない。すべては抽象化し、より本質的なものにじかに触れるようになる。

そのエッセイ風なタッチは、堀江敏幸の小説を思わせると同時に、人との距離感や都市に対する愛着には『不安の書』において、フェルナンド・ぺソアが見せるリスボンという都市に寄せる愛着に似たものがある。血縁や顔見知りと始終顔を突き合わせていなければならない田舎とちがって、都市では気ままな独り暮らしが許される。人と顔をあわせたくなければ、自分の部屋に閉じこもることが許される。家族のいない独り者ならなおさらだ。

その一方で、一人暮らしの日々において、人がいつも相手をしなければならないのは孤独である。「わたし」は、親しい女友だちがつまらない夫や無神経な子どもに時間をとられていることを疎ましく感じている。それでいながら、自分の親しい友人と結婚した男と会った日には、もしかしたら、二人で暮らせたかもしれないなどと想像し、際どいところで距離を保ちながら、その出会いを楽しみにしてもいる。

「わたし」は生まれ育った土地に住んでいながら、ほとんど人と一緒に食事することがない。昼食はトラットリアで済ませ、夕食はツナ缶か何かをフォークで突っつくだけだ。たまに人に招かれると居合わせた客と言い合いになり、周囲の人々の顰蹙を買う。人と人とがいっしょに何かをしようとすれば、自分には無価値であっても、誰かにとっては大事な、無難でつまらないものが間に入ることも必要悪だが、「わたし」はそれに我慢できない。

孤独な「わたし」もかつては男と暮らしていたことがある。近くに住んでいて、たまに会うこともあるが、その切り捨て方は冷徹で、過去に愛したほとぼりのようなものを一切欠いている。とりとめもないような日常性に包まれているようなタイトルがつけられた章が並ぶ中に「精神分析医のところで」という章が現れる。ひやりとさせられる瞬間だ。特に何か病んでいるわけではないようだが、夢について話す場面は真に迫っていてかなり怖い。

子どもの頃の思い出に、適当な間隔を置いて木の切り株を並べた遊具を飛ぶ話が出てくる。小さかった「わたし」は、今いる切り株から次の切り株へと飛び出す勇気を持てないでいる。これがトラウマなのだろうか。今いる街を出て、新しい暮らしを試みるときが来ているのに、暮らし慣れた街や一人暮らしの気楽さを捨てる勇気が出ない。しかし、自分が煮詰まっていることは自分が一番よく知っている。お気に入りの文房具店も店を閉じ、スーツケース屋に変わってしまった。これは啓示なのか? 

それまで、およそ小説らしくない日常性の中に埋没しているように見えた「わたし」の前に自分そっくりの女性が現れる。ドッペルゲンガーだろうか? 「わたし」は、街角を颯爽と歩いて行くその女性の後をつけるが見失う。「そっくりさんの後ろ姿を見てわかることがある。わたしはわたしであってわたしではなく、ここを去ってずっとここに残る。突然の震動が木の枝を揺らし、葉っぱを震わすように、このフレーズがわたしの憂鬱を少しのあいだかき乱す」

ドッペルゲンガーを見た者は死ぬ、という説がある。たぶんこの街にいた「わたし」は、ここを去ることでなくなってしまう。しかし、生まれ育った土地を離れても、わたしはわたしだ。ここにいた「わたし」は、橋の上ですれちがう男友だちやパニーニ職人の記憶の中に留まって、この街に住み続けるのだろう。切り株と切り株の間の距離は思っていたより近かったのかもしれない。