青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『オーバーストーリー』リチャード・パワーズ

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まず、ジャケットが出色。巨木の根元に陽が指している写真の上にゴールドで大きく書かれた原語のタイトルがまるで洋書のよう。角度を変えるとタイトル文字だけが浮かび上がる。最近目にした本の中では最高の出来である。表紙、背、裏表紙を広げるとカリフォルニアの朝の森にいるような気がしてくる。そうなると、バーコードの白抜き部分が邪魔だ。折り返し部分に印字するとか、帯に印刷するとか。他に方法はないものだろうか。

前置きはこれくらいにして中身に入ろう。カバーの写真が直截に示す通り、木の話である。写真にある木はおそらくレッドウッド(セコイア)。樹齢二千年を超えるものもある、ウディ・ガスリーの『わが祖国 This Land Is Your Land』の歌詞にも登場する、アメリカの森を代表する巨木である。

この本を読んで初めて知ったのだが、レッドウッドの原生林が材木用に伐採され続け、激減しているそうだ。当然それに対する反対運動が起きる。その中の過激なものに<Tree sitting(樹上占拠)>と呼ばれる抗議行動がある。森を守るために訴訟を起こしても、企業側は裁判で負ける前に伐採を終わらせようと急ぐ。そこで樹上にプラットフォームを築き、何日もそこに座り込むのだ。切り倒せば人が死ぬので、企業側も手を出せない。

本作は「根」「幹」「樹冠」「種子」の四部からなる。『オーバーストーリー』というタイトルからは「超物語」や「物語を超える物語」などの意味を想像しがちだが、<second story>といえば「二階」のこと。<story>には「階(層)」の意味がある。<overstory>は「林冠(層)」(森の上部の、樹冠が連続している部分)を意味している。ダブル・ミーニングだろう。本作自体、いくつも集まった<story>が、層をなして複雑に絡み合い、ひとつの<The Overstory>を創り上げている。

小説のハイライトにあたるのは「樹上占拠」を描いた「樹冠」の章だろう。地上六十メートルの樹上に立てこもる二人の男女、そこに食料その他を届ける仲間、迫りくるチェーン・ソーの音、風で揺れるデッキ、命綱をつけての樹上探検、避けて通れない排泄、雨水をためてのシャワー、高い枝の上に生えるハックルベリー、木の洞にできた水溜まりに棲むサンショウウオ、とそこには信じられないほど豊かな生活がある。無論、愛も育つ。なにしろ若い男女が二人きりで何日も共に過ごすのだ。

話は二人の何世代も前、南北戦争の前から始まっている。ノルウェー系の新参者は石を投げて栗の実を落とすのを見て笑う。そこ、ブルックリンで栗は無料で手に入るアメリカのご馳走だ。栗は新しくできた州であるアイオワまで男のポケットの中に入って運ばれ、そこで芽を出す。一本、二本と枯れて行き、残る一本が土地のランドマークになるほど大きく育つ。その一家の男は代々、栗の木を月に一度写真に撮り続けた。その子孫はアーティストになった。これがニコラス・ホーエルの「根」だ。

七人の男女と一組の夫婦が<overstory>の「根」となる。中国系のミミ・マーは父と同じ技師。家は代々イスラム教を信仰する回族。貿易商を営んできたが共産党の時代にすべてが奪われる。三つの魔法の指環と阿羅漢(アラハット)を描いた巻物を身に帯びて、ミミの父はアメリカに渡る。携帯電話の発明者である父が死に、指環は三姉妹で形見分けし、ミミは未来を教える扶桑の指環を手にする。自社ビルの前に生える松が一夜にして切り倒されたことに怒り、彼女は抗議行動に飛び込む。

ダグラス・パヴリチェクはヴェトナム戦争時代、パラシュート降下中、落下地点を誤るが、ベンガルボダイジュの上に落ちて命を拾う。仕事を転々とし、皆伐した跡地にダグラスモミを植樹する仕事を見つけ、達成感を持つが、それが、逆に会社に新たな伐採を可能にするトリックだと知り傷つく。公園内の木が聴聞会を前にした深夜、市の手配した業者の手で切られようとするのを見て、体を張って阻止し、警察につかまってしまう。ミミとの出会いが彼を伐採の抗議集会に向かわせる。

アベンジャーズ』というシリーズ物の映画がある。それぞれがコミックの主人公だったヒーローが寄り集まって悪と戦うという設定だ。本書も似た設定だ。「根」にあたる部分が、それぞれのヒーローの個別の活躍を描く部分で、そこだけで充分面白い短篇集になっている。そこだけ読んで本を閉じてもいいくらいに。しかし、異なる分野で優れた能力を持つヒーローたちが力を合わせて難局に挑むというストーリー展開は鉄板で、面白さからいえばそこは外せない。

ただ、個人的な感想からいえば「根」の個々のエピソードを語る淡々としたストーリーが好きだ。活動家たちに根拠を与える理論の構築者がいる。それに影響を受けてコンピュータ・ゲームで解決策を練る企業家がいる。ついにできなかった我が子の替わりに木を植え、庭が自然に帰るのを見守る夫婦がいる。感電死から奇跡的に蘇り、木の声を聞くことができるようになった大学生がいる。出色の個のストーリーがあって、その上に『オーバーストーリー』があるのだ。

木が人間と同じように、或いはそれ以上に、感情や意志を持っているというパトリシア・ウェスターフォードの理論は、一見するとトンデモ理論のように見えるが、噛んで含めるように説明されると誰にでも呑み込めるように書かれている。それ以上に、美しく手放すことのできなくなる理論であって、これを読んでしまうと、最早今までの人間至上主義ともいえる世界には戻れない気さえする。木のために人間ができることなど、たかが知れている。われわれ人間はさっさと滅びるのがもっとも意味がある行動なのかもしれない。