青玉楼主人日録

仮想の古書店「青玉楼」の店主が、日々の雑感や手に入った新刊、古書の感想をつづります。

『リンカーンとさまよえる霊魂たち』ジョージ・ソーンダーズ

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歳をとるにつれ、死のことを考えることが増えてくる。それほど頻繁でもないし、それほど深刻でもないのだが、ただ漠然と自分もいつかは死ぬことになっているんだなあ、と思ってみるくらいのことだ。死後の世界については考えたことがない。そんなものがあろうとは思えないからだが、人によっては死後の世界の存在を真面目に考えている人もいるだろう。

原題は<Lincoln In the Bardo>。リンカーンは、あの有名なアメリカ大統領本人である。<Bardo>とはチベット仏教で、死と再生の間、霊魂が住む世界のこと。日本では「中有」とも「中陰」ともいう、いわゆる四十九日の期間だが、時間的制限はないとも言われている。基本的には輪廻転生を前提とする考え方だが、本作の中で<Bardo>から抜け出るのはむしろ輪廻転生の苦を解脱した「成仏」に近い。多くのアメリカ人はキリスト教のはずなのに、かなり仏教的な世界観であるのが新鮮だ。

リンカーンにはウィリーという息子がいて、南北戦争当時に病気で亡くなっている。その息子が死にかけているときに自宅でパーティーを開いていたことで、彼は人々の顰蹙を買ったことが記録に残っている。葬儀の終わった後、深夜、リンカーンは独りで納骨所を訪れ、棺の蓋をとり、我が子の額に触れる、というのも実際にあった事らしい。この話はその逸話をもとに、大量の記録の引用による歴史小説であり、抱腹絶倒のユーモアが炸裂するナンセンス極まりない幽霊譚である。

というのも、その納骨所近辺には、自分が死んだことがどうにも認められず、なかなか「成仏」できないでいる多くの霊魂たちがたくさん暮らしていたからだ。彼らは新入りのウィリーが普通ならすぐにでもその世界を離れてゆくのに、なかなか出て行かないことを心配する。彼はすぐにでも父や母が連れ戻しに来てくれると信じているからだ。ところが、やってきた父は彼に気づかず、彼がそこから離れた死体にしか興味がないらしい。

父親がウィリーに気づけるよう、先輩の霊魂であるぺヴィンズとヴォルマンは、リンカーンの中に入ろうと試みる。前にも体を占拠して成功したことがあるのだ。霊魂に入られた人間は、それとは気づかないが、何かしらの影響を受けるようなのだ。しかし、この霊魂たちには少し変わったところがある。生前の人生に厄介なつまづきがあって、この世界でとる形が奇妙なことになっているのだ。

ロジャー・ぺヴィンズ三世は同性のパートナーが「正しく生きる」ことを選んだことに衝撃を受け、手首を肉切り包丁で切り、自殺を図った。ところが、どくどく流れる血を見ているうちに、その「気を変えた」。この世界は観るに値する美しいものに溢れていることに気づいたのだ。だから、彼の顔にはそれを見るための眼や、匂いを嗅ぐための鼻がいくつも生じ、それに触れるための手が何本も生えている。その手首のすべてに傷がある、とちょっとホラーじみている。

ハンス・ヴォルマンは四十六歳の時、十八歳の妻を迎える。彼は幼い妻がその気になるまで初夜を延ばし、やっと妻がその気になった日、仕事場で上から梁が落ちてきて下敷きにされて死ぬ。そのため、彼のこの世界での姿は素っ裸で局部を大きくしたままだ。何という皮肉、そして突き抜けた笑い。この辺りの面白さがソーンダーズ一流のユーモアだ。このこっぱずかしい格好をした中年男の活躍がなくてはこの話は始まらないし、終わらない。

牧師のエヴァリー・トーマス師の髪はまっすぐに逆立ち、口は恐怖のあまり完璧なOの字を描いている。彼はキリストの使者による最後の審判を受けたことがある。まるで閻魔様が浄玻璃の鏡で生前の行いを確かめるのと同じような審判の例が語られるのだが、善き魂は純白のテントに迎え入れられ、悪しきそれは肉でできたテントの中で磔にされ野獣に生皮を剥がれるというから、まるで地獄絵だ。あまりの恐ろしさに彼はそこから逃げ出し、誰にもその結末を秘密にし、舞い戻ったのだ。

その他にも、とんでもない連中が後から後から現れて、三人に続いてリンカーンの体を占拠する。黒人を差別する白人、白人に仕返しを訴える黒人、戦争で人を殺した軍人、殺人者、二人の男の間で心を決めかねている娘、口の悪い夫婦者、等々。これらの霊魂に体を占拠されたリンカーンは、悪評高い自分の政治姿勢を振り返る。戦争をやめるべきか、続けるべきか、いつまでも、我が子の死に拘泥することが大統領である自分に許されるのか、等々。

やがて彼が見つけた答えが、これまでの死を無駄にしないために、新しい世界を作るために殺し続けるしかない、というものだ。これは以後、アメリカが戦争を始め遂行する際の指標となる。霊魂たちの乱痴気騒ぎの傍らで、アメリカ史に対する冷徹な批評が開陳されていることに驚きを隠せない。帯にあるトマス・ピンチョンの惹句「驚くほど調和のとれた声―優雅で、陰鬱で、本物で、可笑しな声―で語られるのは、我々がこの時代をくぐり抜けるのにまさに必要とする物語だ」。まさにその通り。

霊魂がこの世界を去るとき、恐ろしい音とともに「物質が光となって花開く現象」が起きる。多くの霊魂が一人去り、二人去り、消えてゆく。そして、ぺヴィンズやヴォルマンにもそのときがやってくる。今まで目をそらしてきた自分の人生の真実を見つめ、そして、あのとき死ななければどのような人生を送ることになったのか、ありえたかもしれないが実際には知ることのできなかった自分の未来を目にし、彼らも「成仏」を遂げる。

これを読んで、死ぬことが怖くなくなるなんてことはまずない。それはないが、人間と世界を肯定する気にさせてくれる小説ではある。ハチャメチャでありながら、人と人が心を通わせることの得難さを教えてくれるし、人の運命の定めのなさについても考えさせられる。ひとしきり心揺さぶられ、それから、残りの人生を悔いなく生きてみたくなった。この人生、それほど捨てたものじゃないかもしれない。